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フリーイラストレーター・絵本作家。2022年4月から「枚方市重度障害者等就労支援特別事業」の開始により、在宅での仕事中も介助サービスを使えるように。
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プロの漫画家としても活動中。介助者をビジネスパートナーとして捉え、仕事上でも言いたいことをお互いに言い合える関係を模索している。
旧国立療養所から退院し自立生活を作り上げた経験をもとに、当事者支援や行政交渉をしてきた。現在は在宅で保険代理店勤務。
自立生活センター十彩代表。大学進学と同時に自立生活をはじめる。趣味の推し活のため、全国各地を飛び回る。
米国留学で障がい者学内支援の充実に驚くも、生活介助は友人の中心だった。帰国後介助者を利用し友人への遠慮に気づく。
障がいを持つ先輩の助言で、両親と同居をしながら重度訪問介護の利用を始め、生き方が広がった。地域活動にも取り組む。
八雲病院から2020年に退院し自立生活を開始。退院過程で絶望を味わった過去の自分を助ける方法を見つけ、伝えたい。
支給時間や介護事業所の不足のなか、4、5年かけて一人暮らしの体制を構築。最初は抵抗のあった呼吸補助装置も今は「眼鏡のように日常生活の一部」。2023年7月に34歳で逝去。
秋田県で公務員をしていた26歳の時、ALSを発症。入院や在宅生活を経て、ヘルパー募集に苦戦の末、24時間介助の自立生活を開始。2018年、CILくらすべAkitaを設立。
AJU車いすセンターでの活動を経て 、2021年に自立生活センター・VISIONを設立。2018年に結婚・出産を経験。介助を使いながらの育児に奮闘中。
就活時、時短勤務や介助者利用など能力とは関係ない理由で不採用が続いた。制度と企業の意識両方を変えるべきだと痛感。
NPO法人境を越えて理事長。48歳でALSを発症後、現在人工呼吸器を使いながら24時間介助を受けて生活。深刻な介助者不足を解決するため日夜活動をおこなう。
介助者と北九州市立大学に通う。「特別扱いでなく合理的配慮」信念に、市や大学と交渉しバリアフリー環境を整えてきた。
CILてくてく代表。自立生活の雇用主モデルを批判的に継承し、誰もが自立生活可能なCILや社会を目指す。
公費で出せない就労中の介助者費用を自費でまかない、介助を付けながらライターとして働く。インクルーシブ教育にも深い問題意識をもつ。
短期大学のビジネス情報学科を卒業後、一般企業で事務の仕事をしている。通勤し、顔を合わせて仕事をすることの大事さを日々感じている。
歌手、エッセイスト。介助者から受けたハラスメントのサバイバーでもある。一人ひとりが幸せに生きることを諦めなくて良い社会のために発信を続ける。
富山市で60もの事業所に重度訪問介護の利用を断られた経験から、自薦ヘルパーを利用。さらに当事者事務所を立ち上げた。
お互いを「看合う」関係の介助者とともに熊本のグループホームに入居し自立生活準備中。ピアカウンセラーを目指す。
オンラインゲーム対戦を通じ、障がいのある子が意思を表せる場を作ろうとしている。自薦ヘルパーを利用し一人暮らし中。
脳性まひの身体障害で、トランスジェンダー、パンセクシュアル。YouTubeチャンネル「セクマイ障害者 ウエキチCh.」で情報発信をしている。
自身の経験から教員を志す。制度的なハードルに直面しながらも、学校勤務と在宅勤務のハイブリッド教員生活を構築中。
京大への進学を機に24時間介助を受けての一人暮らしを始める。介助者手足論を批判的に継承しながら、介助者との関係のあり方を模索中。
自立生活センター東大和元理事長。インクルーシブな社会の実現のために自立生活運動に尽力してきた。2021年12月に44歳で逝去。
当事者同士の結婚や子育てを通して、生活=障害者運動であると痛感。障害者運動は堅苦しいものではないと若い世代の当事者に伝えたい。
横浜で20年、同じ介助者と二人三脚で自立生活を築く。自身は受けられなかった、特別支援学校のキャリア教育実現を目指す。
相談員の仕事の経験から、当事者の生活を制度の枠内に生活に押し込める矛盾を感じ模索中。当事者の悩み共有の場をつくりたい。
小学4年から35年間、西別府病院で入院生活を送る。コロナ禍のなか退院に向けて動き出し、2021年から自立生活を始める。2023年1月に46歳で逝去。