連載1回目
障害のことやいじめ、介助者との関係で苦しかった子供時代。周りの大人にしてほしかったことは……
2025年07月22日公開
Fuuka Hori
文/油田優衣 : 写真/浅里のぞみ
1995年、北海道生まれ、北海道育ち。脳性まひの当事者|堀楓香(ほりふうか)
地域の学校に通い、2015年に大学に進学。大学進学を機に重度訪問介護を利用しての一人暮らしを始める。講演や執筆活動のほか、コメディエンヌとして活動。趣味は、音楽、映画、怪談ライブ。
【イントロダクション】
大学進学と同時に札幌市で自立生活を始められ、現在は障害当事者としての発信活動やコメディエンヌとして活動されている堀さん。
今回のインタビューでは、自分の言葉を聞いてもらえず辛かったという保育園時代の話から、友人関係や介助者との関係で苦悩した小中学校時代、自分を解放し始めた高校、自立生活を始めた大学時代、コメディエンヌとしての活動をしている現在に至るまでのライフストーリーをじっくりお聞きしました。
そしてインタビューの最後には、自立生活の難しさやしんどさを赤裸々に語ってくださった堀さん。堀さんの話は、希望に満ちたものではありません。しかし、自分の弱さを隠さず私たちの目の前に開示してくれる堀さんの語りからは、「しんどいのはあなただけじゃないよ。しんどいけど、なんとかやっていけるもんだよ」という希望を差し出してくれます。
言葉が伝わらなくて毎日泣いていた保育園時代
油田:幼少期のことって、記憶や思い出はあります?
堀:けっこう大変だった記憶があります。保育園に行ってたんですけど、あまりいい思い出がなくて。先生にも言語障害で言葉が伝わらなくて、自分の意思表示ができなくて。毎日泣いてました。当時泣いていたら、保育園の先生に「泣けばいいと思ってるんでしょ?」と毎回言われてたんですけど、全く思ってなくて、ただ涙が出るだけなのに……と思っていました。
油田:そうだったんですね。保育園に入ることにハードルはありましたか?
堀:親から聞いたのは、当時まだ、脳性まひの診断ついてなかったので、今後どんな症状・障害が出るかわからなかったんです。障害児の先生加配※1がある保育園だったから受け入れてもらったそうです。
油田:だけど、あまりいい思い出がなかった。
堀:はい。母は、私を保育園に預かってもらえて、すごいありがたかったらしいんですけど、私は保育園が大嫌いだったので、行きたくなかった。
油田:友だちとの関係はどうでしたか?
堀:友だちとはコミュニケーションはとれてたので。一緒に遊んだりしてました。
油田:どんな遊びをしてたんですか?
堀:ボール遊びをしたり、牛乳パックで大きい家を作って遊んだりとか。
親の付き添いを条件に地域の小学校に入学。「毎日が参観日だった」
油田:その後、地域の小学校に進学されたんですよね?
堀:はい。小学校に入学する前に、母親と養護学校に見学に行ったんですけど、そこが自分的には直感的に嫌だって思って。行きたくないと思ったんですよね。それで、母に「あなたは兄弟がいる学校と、見学に行った学校、どっちに行きたい?」って聞かれて。私は「兄弟がいる学校」って答えました。母親も、(私が養護学校に行ったら)兄弟と行事が被るのが嫌だと思ったのと、仕事をしてたので、例えば私が熱が出てお迎えの要請がきても、すぐに行けないからという理由で、地域の学校がよいと思ったそうで、地域の学校に行くことになりました。そこから母は大変だったらしく……。学校側、校長先生とめっちゃ話し合いをしたんですけど、結局、母が付き添うなら入学していいっていう条件がつけられて、その条件で入学した感じです。
油田:じゃあ小学校6年間はずっとお母さまが付き添われていた?
堀:えっと、6年間ずっと午後の時間だけ付き添いをしていたそうです。私は「なんで自分だけお母さんが四六時中一緒にいないといけないんだろう」って思って。
油田:そうですよね。
堀:うっとうしかったんです。「毎日、参観日か!」って思って。算数の授業中に問題が解けなかったら、お母さんにめっちゃ怒られた。
油田:えー、それは嫌ですね。お母さんって授業中もずっと同じ教室にいたんですか?
堀:用事がある時は同じ教室にいてもらって、それ以外は別室で待機してました。
油田:ちなみに堀さんは、どういう支援が必要だったんですか?
堀:私は字が書けなかったので、ノートテイクをしてもらっていました。低学年のときは付き添いの人がノートテイクをしたりとか。日常のことは、トイレ介助や給食での食事介助がありました。
油田:付き添いの人って、お母さんってことですか?
堀:お母さん以外にもボランティアの人がいたんです。PTAのお母さんとかにも声をかけたり、社会福祉協議会を通じて、ボランティアの人を母が集めていました。でも、みなさん年上の方で、なんか、やる気満々の方が多くて……。こっちからしたら余計なおせっかいと思うこともありました。
油田:PTAや社協を通じて集めてきた人たちはやる気に満ちていて、ちょっとなんか違うな、みたいな?
堀:はい、うっとうしいなと思うことがよくありました。例えば、私が友だちと話してるときに入ってくるとか。あと、全体的に嫌だったことは、授業中に板書をするとき、私が「黒板のこれを書いて」って言ったら、復唱されるんです。聞き取れないので、確認のために復唱されるんですけど、しーんと静かな教室にボランティアの人の声がおっきく響く瞬間がもう恥ずかしくて嫌でした。
油田:そっか。ちょっと時系列が飛んでしまうんですけど、大学のときのノートテイクとかはどうやってたんですか?
堀:授業が始まる前に、支援学生さんに、授業で先生が言ったことを要約して書いてほしいと伝えて、授業中はなるべく話さないようにしてました。可能であれば指をさしたりして、「ここ書いて」ということを伝えたりしてました。
油田:大学のときはうまく要望を伝えられたんですね。でも、小学校のときは、どうしたらいいか、どうしてほしいかを伝えるのって難しいですよね。それに、小学校・中学校ってやっぱ浮くってことがしんどいですよね。
堀:そうです。
大人と関わるなかで「自分は障害者なんだ」と気付き……
油田:小学校時代の友だち関係はどうでしたか?
堀:低学年のときは私もみんなと同じ感覚で、くすぐり合ったり、鬼ごっこしたり、ドッジボールしたり、放課後に一緒に帰る約束をしたり。
油田:いいですね。
堀:はい、楽しかったです。でも、意識がはっきりしていくにつれて、多くの大人が私のことを「障害者」っていう目で見ていることに気づくようになって、無駄に大人びた部分があった私は、それで「私は障害者なんだ」って勝手に思っちゃって。たぶん同級生側には壁はなかったのに、自分から壁をつくってしまって、勝手に閉じこもってしまったんですよね。
油田:そうなんですね。それってだいたい何歳ぐらいですか?
堀:8か、9歳。
油田:堀さんを「障害者」として見てくる感じがする大人っていうのは具体的に誰とかあったんですか?
堀:学校の先生とかボランティアさん。あと、家に来ていたヘルパーさんですね。それで、親以外の大人と関わることも多くて、そのなかで勝手に「あ、自分は障害者だ」って思っちゃった。
油田:「障害者だから」みたいな言葉を直接言われたわけではないけど……ってことですか?
堀:そうですね。でも、ヘルパーさんからはしばしば「あなたは人にお願いする立場なんだから、お願いする言葉を選びなさい」っていうことをめっちゃ言われていて。
油田:そうなんですね……。さっき、堀さんを「障害者」として見てくる大人のなかに、学校の先生の存在も挙げられてましたよね。先生との関わりでも、自分は他の子と違うんだなって思う経験があったってことですか?
堀:そうですね。まず、ほかの子と同じ対応をしてくれなかった。他の子は悪いことやいたずらをしたら怒られるのに、私は怒られなくて、なだめられる。なんかちょっと壁があるな、なんか違うなって。関わり方がなんかおかしいなって。
油田:そういうのって、やっぱりわかりますよね。
堀:すごいわかりました。
油田:友だちとの間で壁をつくってしまったっていうのは、どういう感じなんですかね……? 素で付き合えないみたいな感じなのかな。
堀:うーん。素で付き合えなくなるのもそうだし、みんなはきっと私が考えてることとは違うことを考えてんだろうな、とか思ったり。
油田:みんなは私が考えてることとは違うことを考えてる?
堀:はい。私は付き添いのこととかで悩んでるけど、みんなはそんなことでは悩んでないだろうなとか。やっぱり私とは違うから、本当のとこではわかり合えないかなとか。なので、孤独でした。
油田:そっか。小3、4ぐらいからずっとそういう壁を感じながら過ごしてた。
堀:そうですね。でも、交換日記もしていて、夏休みとかは友だちとプールに行ったりとか、お泊り会をしたりして、楽しかったです。
いじめや友人関係、介助者との関係で苦悩し、孤独だった中学時代
油田:小学校を卒業して、中学校も地域の学校に?
堀:はい。中学はますます自分も相手も心が多感な時期なので、お互いの心がぐちゃぐちゃで。周りの目も気になっちゃうし、どう思われてるかも考えちゃうし。それでちょっと苦しくなって、学校に行かない日もありました。
油田:周りからどう思われているかっていうのは、障害があるってことに関して?
堀:そのことも含めて見た目とか。小学校でも中学校でも、いじめがありました。自分のしゃべり方や動きの真似をされて。中学生のときはそれがなおさらしんどくて。何がおもしろいんだろうって思って。それに加えてしんどかったのが、家に来るヘルパーさんが私の生活に干渉してくることでした。
油田:ほう? どういうことですか?
堀:私はその頃、友だちがほぼいなくて、すごく悩んでて。他に相談できる人もいなかったから、家に来るヘルパーさんに相談してたんです。「なんで私は友だちいないんだろう」とか、「どうやったら友だちできるんだろう」とか。そしたら、ヘルパーさんから「あなたの性格がよくないから、友だちいないんだよ」と言われたり。
油田:え! そんなこと言う人がいるんですか? やばいですね……。
堀:いま考えたらマジでやばいと思います。でも、自分でも当時の性格は、あまりよくなかったと思います。あと、中学生のときって、どうしても、ホルモンバランスの関係で、体の変化で太ってしまうことがあると思うんですけど、それなのに、ヘルパーさんから「楓香は食べ過ぎだから太るんだよ」とか言われたり。
油田:えぇ……。
堀:やば……って感じなんですけど。私のことに干渉してくるヘルパーが多かった。
油田:当時はきっと「干渉されてる、おかしい」ってことすら、わかんないですよね。
堀:わかんないですよね。これが全部って思っちゃうから。何が正解で、何が違うかもわかんなくて。
油田:よく、その環境をサバイブされましたね……。
堀:ほんとにねぇ、よく生きてたなって思います。ほんと、中学は全然いい思い出はないです。
油田:学校の介助員さんとの関係も大変だったとか?
堀:そうです。介助員さんは何でもやりたがる人で。私が「その支援はいらない」って言っても、「いやいや」って。
油田:こっちが決めんねんって感じですね。
堀:ね、こっちが決めるのにって思った。
油田:そういうしんどさを誰かに共有できたりはしたんですか?
堀:できない。誰に言っていいかもわかんなくって、ずっと一人で抱え込んでて。その頃、日記みたいに自分の気持ちを携帯のメモに書いてたんですけど、もう、すっごい闇でした。あのときは、よくがんばってたなって、ほんとに精一杯だったんだなって思います。
地域の高校へ進学。「初めて先生も友だちも人として関わってくれた」
油田:中学卒業後の進路選択のことを聞かせてください。
堀:中学でなにもかも疲れたので、最初は特別支援学校に行こうと思ってました。それで、家から遠い、寄宿舎付きの特別支援学校に見学に行ったんです。ところが、当時私は薬を飲んでたんですけど、寄宿舎の人から「自分ひとりで薬を飲めないとだめだよ」って言われて。
油田:え、入寮できないってこと?
堀:そう。それで、まさかの寄宿舎からお断り。
油田:えぇー。その寄宿舎って、障害がある人が入ってるんですよね。なのに?
堀:はい。で、特別支援学校に通うのは無理やんってなって。じゃあ家から通える定時制高校に行こうと、進路を変更しました。お勉強もできなかったので、受験のためにすごく勉強しました。
入試のときも代筆をしてもらうことになるんですけど、普段付き添ってる人が代筆するのは公平ではないという理由から、札幌市の教育委員会の人が代筆をすることになったんです。でも、それだとその人が私の言葉を聞き取れるのか心配で、それを伝えたら、別室に普段の介助者にいてもらって、そこにマイクを通して、教育委員会の人が聞き取れなかったら、別室のその介助者に聞くという、まわりくどいやりかたで受験をしました。
油田:なるほど。それで合格されて。高校では介助の面はどうされていたんですか?
堀:高校は誰の付き添いもなしで行きました。エレベーターもあったので、車いすで全部移動できたし、ノートテイクについても、パソコンを用意してもらって、自分で打ってやってました。
油田:パソコンだったら追いつく感じですか?
堀:追いつかないので、書けるとこは書いて、先生もプリントを作ってくれることが多かったので、それで補ってました。
油田:なるほど。高校時代はどうでしたか?
堀:高校で初めて、先生も友だちも人として関わってくれたなって。担任の先生が「楓香はどうしたいの?」って聞いてくれて。
油田:逆に言うと、それまであまり聞いてもらえなかった?
堀:はい、まったく。高校の担任の先生が「遠慮しないで自分の意見を言っていいんだよ」と言ってくれたことで、私の世界が広がって。「あぁ、いいのか」って思って。すごくいい先生でした。
あと、私自身も、「障害とかあるし、どうやったって目立ってしまうから、いっそもう目立ちまくっていいや!」って思って。
油田:吹っ切れたみたいな?
堀:そう。もう吹っ切れて、高1のとき、ピアスを開けて、髪の毛を赤くしました。
油田:へえー! すごいですね、変化の振り幅が。
堀:たぶん今まで抑圧されてきたことが、いっきにボンと(笑)。
苦しかった子供時代に、周りの大人にしてほしかったこと
堀:幼少期からのことを振り返って思うのですが、私は言語障害があることもあいまって、自分の気持ちをうまく伝えられなかった。今から思うと、そのときに周りの大人たちには、一緒に感情に名前をつける作業をやってほしかったなって思います。
油田:そっか。こどもの頃ってただでさえ、自分の気持ちを言語化するって難しいですよね。そこにさらに言語障害があることによって、余計聞いてもらいにくくなるし、それゆえに、表出も難しくなりますよね。
堀:はい。そういう経験があって、言語障害のある人が「どうせ、自分が何を言っても聞いてもらえないんだな」って思ってしまうのは、あるあるだと思います。
油田:その感覚は堀さんにもあったんですか?
堀:ありました。
油田:それはいつから?
堀:もうずっと。保育園のときから。今とは真逆の人間性だったと思います。
油田:真逆?
堀:人と会っても一言もしゃべらない、みたいな。この前、その頃の私を知ってるリハビリの先生に会って話をしたんですけど、その先生いわく、「あのときのふうちゃんは一言もしゃべらなかった。たぶん物事はわかっているのに、いっさい言葉を発してくれないから、どう思ってるんだろう」って。その頃は中学生だったんですけど、年頃の女の子がまったくしゃべらなくて怖かった、と。
油田:堀さんは「どうせしゃべっても聞いてもらえないし」って心を閉ざしてたわけじゃないですか。それが変わったのはやっぱ高校ぐらいからですか?
堀:はい、高校です。今まで、外から与えられることをやるだけだった。でも、高校からやっと、自分がやりたいって思ったことはやっていいんだなって思えるようになって、自分から掴みにいくようになりました。
注釈
※1 規定の保育士人数に加えて、保育士が加配される制度。障害児が園での生活を支障なく過ごせるように支援する目的ものもので、保育園か保護者からの申請によって利用できる。自治体によって配置人数に差が出てくるという問題もある。
参考 https://www.hoikunohikidashi.jp/?p=16762874
プロフィール
1995年、北海道生まれ、北海道育ち。脳性まひの当事者|堀楓香(ほりふうか)
地域の学校に通い、2015年に大学に進学。大学進学を機に重度訪問介護を利用しての一人暮らしを始める。講演や執筆活動のほか、コメディエンヌとして活動。趣味は、音楽、映画、怪談ライブ。
文/油田優衣
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