あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

自立生活ができるのは"特別な人"……?

Masanobu Ashikari

文/吉成亜実 : 写真/NPO法人自立支援センターおおいた提供

デュシェンヌ型筋ジストロフィー|芦刈昌信

1976年生まれ、大分県出身。デュシェンヌ型筋ジストロフィーのため、24時間人工呼吸器を使用している。地域の学校への通学が困難になったことを理由に、小学校4年生から西別府病院に入院。35年間の入院生活を経て、2021年に退院する。現在は、大分県別府市で24時間ヘルパー制度を活用しながら一人暮らしを営む。NPO法人自立支援センターおおいたで、SNSを活用した情報発信や人工呼吸器体験会の企画などを担当。

目次

退院したから見つけられた、親や病院との適切な距離・良い関係性

吉成:長期入院から地域に出るのは、病院側の説得や親の理解を得ること、あとは介助体制の確立という部分がネックになると、私の経験も含めて強く感じています。芦刈さんは病院の説得をどのように進めていったのですか?

芦刈:説得はほぼ僕一人で、あとはオンラインでの支援会議のときには彼女や押切君、支援者が間に入ってくれたりもしました。

吉成:先ほど仰っていたように、親御さんからの反対があっても、やっぱり出たいという自分の思いを通そうと思えたのは、誰かからのアシストがあったりしたのですか?

芦刈:そうですね、たぶん一人だったら無理だったと思います。自立支援センターの人や彼女の後押しがあったから、親が反対しても自分の人生だからと思うことができて、ここまで頑張れたと思います。

吉成:病院やご家族からの反対があった中での退院から、およそ1年たったんですよね。退院後の病院やご家族との関係性に変化はありましたか?

芦刈:病院には今、月に2回受診しています。通院のときに入院中関わりのあったナースにも会ったりして「元気?」と声をかけてくれたり、外来で行ったら診てくれるし、病院の反応は普通通りです。結構いい関係でいられているかと思います。
親は、僕がお金に困って助けてと言ってくると思ってたみたいだけど、そういうことを言わないので逆に「あれ?」と思ってるようです。その分、いい肉を持ってきてくれたり、野菜を差し入れてくれたりします。ついこの前、たまには親の顔でも見に行こうかと思って実家に行ったんですけど、母がすごく喜んでくれて。僕は今46歳なんですけど、母に頭とかほっぺたとかを撫でられて気持ち悪いなーって思いながら、でも喜んでくれてるからいいのかなと思ったりしました。僕は今安定した生活を送っているし、楽しそうにしているので、今では親も「退院してよかったな」とよく言ってくれています。

吉成:そのように退院する前は反対していた、病院の方や家族も実際に生活している姿を見たり、適切な距離感で過ごすことができると、逆に関係性が良くなったりしますよね。私の場合、退院する前はさまざまなことを気にしたり心配したり、周囲に「退院はできない」と言われたり、そういうことがありました。でも、実際に退院してみたら何てことないというか、普通にできるじゃんと思うことがたくさんあったのですが、芦刈さんもそういったことがありますか?

芦刈:僕は呼吸器のことがいちばん心配で、ヘルパーさんがちゃんと対応できるのかなって思っていました。実際にやってみると、みんな結構優秀というか、すぐ覚えてくれて、すぐに安心できたので、意外と自分がしっかりしていたら大丈夫だって思いました。生活も大変かなって思ってたけど、料理とかもともと結構好きだったので自由にできるし、生活費とかのことも心配してたけどなんとかやりくりできてるので、大変なこともあるけど意外と生活できるじゃんと思っています。

吉成:呼吸器の話は、私もいままで看護師さんがやっていたことをヘルパーさんにやってもらうというのが不安でした。でも、病院では職員一人で十何人の患者さんを看ることになるけど、今のように自分に専属のヘルパーさんが付くことによって、逆に一対一で私のことだけを集中して覚えてくれればいいってことになるから、むしろきめ細かい対応ができるのかなと感じました。

"特別な人 "と思ってた人は、地域で生活したいから生活してるだけだった

吉成:入院中の芦刈さんは「自立生活ができるのは"特別な人"だと思ってた」と仰っていましたが、そういった意味では、現在の芦刈さん自身がある意味"特別な人"になったと言えると思います。その点、何か思うことはありますか?

芦刈:そのときは本当に選ばれた人、特別な人、エリートのような人しか自立生活はできないと思ってました。実際自分が地域に出る立場になったけど、考えてみたら病院にいるときから一人だけ他の人と違う生活をしてたので、案外自分が結構そういう人だったのかなって思ったりもします。でも僕みたいな、別にそんな特別な活動をしてたわけではない普通の人でも、自立生活はできるんだなってすごく思ってます。
今は、「特別とか関係ないから」と思ってて。地域で暮らしたいと思えば暮らせばいいし、病院にいたい人はいればいいし、こんな自分でもできるから、まあ自分次第でどうにでもなるなっていうのはすごい感じてます。「特別な人と思ってた人は、別にみんな特別な人じゃなくて、地域で生活したいから生活してるだけ」と、全然考え方が変わりました。普通でも自立できるんだっていう感じ。

吉成:私も地域に出る前は「特別な人だから」、「恵まれた人だから」、病院を出れるんだって思ってました。でも、出てみて自分の経験やいろんな人の話を聞いて「出たいと本気で思うか」という事と、口に出したり、どうにかして「出たいという思いを誰かに伝える」ことが大切なのではないかと思いました。私も芦刈さんと同じように、こういう人じゃないと出れないとか、こういう条件がないと出れないということはいっさいないと思っています。誰でも出ようと思えば、もちろん大変なこともあると思うんですけど、頑張れば出れるんじゃないのかなって、今となっては感じてます。

ここからは現在のことについてお伺いします。芦刈さんは昨年自立生活を始めてから現在まで、どのように過ごされてきましたか?

芦刈:今もコロナの感染者数は多いですけど、退院した頃も多くて外に出るのが怖かったです。退院してから役所に行くのも全部人に頼んで、最初の2カ月くらいはほぼ家から出ませんでした。とにかく生活に慣れるので精いっぱいだったし、ヘルパーさんたちにも介助を覚えてもらわないといけないし、一日があっという間に過ぎて行きました。それから少しずつ、近所を散歩してみたり、自立支援センターおおいたの車を貸してもらえるのでヘルパーさんと出かけてみようと車で遠出したりするようになって、そこから外に結構出るようになりました。
コロナにビビってたらいつまで経っても外に出られないと思って、思い切って出て、いままで行きたかったラーメン屋とか、いろんな所に行こうって思ってます。今は、生活も慣れてきて事務所(自立支援センターおおいた)で仕事もコンスタントにこなせるようになってきました。ちょっと買い物出ようかと思ったとき、外に出たりもできているし、やっと生活に余裕が出てきた感じです。

吉成:先ほど「事務所でお仕事を」というお話がありましたが、現在はどのようなお仕事や活動をされているか、詳しく教えてください。

芦刈:自立支援センターおおいたで、午後1時半から4時半くらいまで事務所に行って、Facebookで生活の状況や外出したときに行ったところの動画を投稿するなどの情報発信の仕事をしています。 あとは今度、8月に会場を借りて呼吸器体験会というのを企画してます。一般の人に鼻マスクを実際につけてもらって、呼吸器で空気を流して体験してもらおうというイベントなんですけど、そのイベントは初めて自分で企画して立ち上げたイベントなので今はその準備に追われています。あと自立支援センターおおいたで、重度訪問の研修で使う動画を僕が編集したり、防災計画に少し関わってたり、仕事的にはそういう活動をしてます。
仕事じゃないときもなるべく町に出て、呼吸器で生活してる人もいるよっていうのをアピールしていかないといけないなって思って、いろいろなところに行ってます。あとは入院中から書いてた詩とかをこれからも書いて作品展をやりたいなっていう思いがあります。

吉成:現在の重度訪問介護の支給時間は何時間ですか? また、その時間数を得るための交渉はどのようなものでしたか?

芦刈:842時間です。移乗のときなどは、2時間くらい2人で入るときがあります。時間数を得るための交渉は、僕ではなく、押切君などの支援者が行ってくれました。苦労せず、すんなり必要な時間が降りたようでした。僕の住んでいる地域では、すでに24時間介助を取っている人が結構いるので、先に交渉してくれた先輩たちのおかげだなって思ってます。

吉成:現在はいくつの事業所・何人の方が介助者として入っていますか?

芦刈:3事業所、ヘルパーさんは全部で12、13人くらいです。

――芦刈さんがお住まいの地域(別府)のヘルパー事情、介助者探しや事業所の問題など苦労された面はありますか?

芦刈:別府市は訪問介護事業所を3つ見つけないとだめなんです。利用する事業所が少ないと、1つの事業所が停止になったときに困るだろうからって、3事業所探さないといけないんです。
どこもヘルパー不足というのは聞いていたんですけど、自立支援センターのヘルパーはかなりいるので、そこのヘルパーさんと、他の2つの事業所はもともと僕の知り合いだった所が入ってくれました。あと、一度新聞で介助者募集を呼びかけたら、1人自薦ヘルパー※7として入ってくれた人もいました。そのような感じで、事業所や介助者探しの苦労はそんなになかったです。
でもやっぱり別府もヘルパーは少ない方なので、ヘルパーが見つからない人もいるみたいだし、訪問入浴の事業所は1か所くらいしかなくて、入浴介助も大変みたいです。僕は運よく自立支援センターの職員が多く入ってくれたけど、別府だから多いということもなく、ヘルパーが少ないっていうのは変わらないです。

注釈

※1 筋ジス病棟などで長期入院する患者と繋がり、院内生活改善や地域移行の支援を行うネットワーク「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」というものもある。 https://note.com/kinjisu_project/
※2 https://wawon.org/institution/
※3 芦刈昌信氏インタビュー http://www.arsvi.com/2020/20201219am.htm 、http://www.arsvi.com/2020/20201219am2.htm
※4 海老原宏美、自立生活センター東大和元理事長。2021年12月24日、44歳で逝去。
※5 https://jil-oita.sakura.ne.jp/
※6 自立生活プログラム。ILPは、障害者が自立生活に必要な心構えや技術を学ぶ場。 http://www.j-il.jp/about/ilp.html
※7 https://wawon.org/institution/#institution_004

プロフィール

デュシェンヌ型筋ジストロフィー|芦刈昌信

1976年生まれ、大分県出身。デュシェンヌ型筋ジストロフィーのため、24時間人工呼吸器を使用している。地域の学校への通学が困難になったことを理由に、小学校4年生から西別府病院に入院。35年間の入院生活を経て、2021年に退院する。現在は、大分県別府市で24時間ヘルパー制度を活用しながら一人暮らしを営む。NPO法人自立支援センターおおいたで、SNSを活用した情報発信や人工呼吸器体験会の企画などを担当。料理が好き。最近作って美味しかったのはハンバーグ。

文/吉成亜実

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