あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載3回目

病院とは違う介助者との距離感

Masanobu Ashikari

文/吉成亜実 : 写真/NPO法人自立支援センターおおいた提供

デュシェンヌ型筋ジストロフィー|芦刈昌信

1976年生まれ、大分県出身。デュシェンヌ型筋ジストロフィーのため、24時間人工呼吸器を使用している。地域の学校への通学が困難になったことを理由に、小学校4年生から西別府病院に入院。35年間の入院生活を経て、2021年に退院する。現在は、大分県別府市で24時間ヘルパー制度を活用しながら一人暮らしを営む。NPO法人自立支援センターおおいたで、SNSを活用した情報発信や人工呼吸器体験会の企画などを担当。

目次

「楽しい介助が好き」――人が好きだからこその葛藤

――少し前に、介助者との関係に悩んでいるという芦刈さんのSNSの投稿を見たのですが、どのような部分で悩んでいたのですか?

芦狩:病院では介助者が付きっきりではないので、自立してからずっとヘルパーさんが横にいる生活になったのが、大きな変化でした。僕は、一人でいる時間も好きだったので、ちょっと今は一人でいたいなって思うときがあります。生活を始めたころは、ヘルパーさんに待機をしてもらうことに抵抗感があって、ヘルパーさんの手が空いてたらなにかしてもらわないと悪いなって、次は何してもらおうかって、ずっとそればっかり考えてました。なので最初すごく疲れてました。
あと、介助のことで「もうちょっとこうしてほしいな」って思うことはあるんですけど、病院生活が長かったのでなかなか自分の言いたいことが言えないっていうこともありました。

――芦刈さんの仰っていたようにヘルパーの待機については、悩みとしてよく聞きますが、吉成さんはどうですか?

吉成:私は、待機(見守り)をしてもらうことへの抵抗感は最初からなかったです。介助者によっては何かしないといけないという思いを持ってる方もいると思うから、そういう方に対して、見守りも大事な業務だっていうのを伝えるのも大切だと思いました。
あと、一人の時間が欲しいというのは、私もすごく分かります。わをんのインタビューを受けた当時は、退院直後で時間数がまだ十分になくて一人で過ごす時間もありました。でも今は時間数も得られて、人が常にいる状況になって、一人になりたいなって思うことはありますね。贅沢な悩みかもしれませんが。

芦刈:介助者との関係で悩んでいること、思い出したのですが、介助者との距離がどうしても近くなりすぎてしまうことがあったりします。例えば、勤務時間を過ぎても話を続けてしまうとか、介助者のプライベートについていろいろ聞いてしまうとか。そのせいで介助者との関係がギクシャクしてしまうこともあったんですが、ヘルパーさんから「あまりいろいろ聞いてこないで」と言われたりしてから、そういうのはいけんなと思いました。その辺はちょっと苦労したことですね。

――吉成さんはいかがですか?

吉成:自立生活センターや自薦のヘルパーがメインで入っているからかもしれないですが、芦刈さんはどちらかというと、介助者との距離が近いのかなと感じました。逆に、私はそこまでヘルパーさんと距離が近くないなと思いました。そんなに自分のやってることや活動も共有してないし、ヘルパーさんのプライベートな部分も自分からは深く掘り下げないですね。普通に話はするし、仲が悪いとかではないんですけど。個人的には私のパーソナルな部分と介助(者)は別かなって、今は考えていますね。

芦刈:僕はなかなか割り切れないですね。性格的に人が好きなので、どうしても喋りたくなっちゃうし、外出するときもヘルパーさんとどこ行こうかって話して、その人が甘いもの好きだったらケーキ屋さんをコースに入れたり、そういうことを楽しみながらやってたりします。僕は楽しく過ごせる介助が好きなので、自立生活センターの上の人からは「介助者と利用者っていう立場を考えて」と言われることもあるんですけど、どうしても僕的には、ただ介助する側・される側とはなかなか思えないんです。この関わり方がすごくいいときもあるし、悪いときもあるので、ずっと悩みながら過ごしていくんだろうなと思います。

――人それぞれ、関係性の求め方や持ち方が違いますね。当事者と介助者の間に事業所が入るということは、CILや民間、自薦などその事業所の在り方や方針も介助関係に影響を与えると思います。芦刈さんはどのように思いますか?

芦刈:自立支援センターでは基本的に利用者が指示を出して動いてもらうのが基本なんですけど、呼吸器を付けているから、お風呂介助中とかに全部指示を出すのはすごく大変です。なので、気付いたら動いてってみんなに言っています。全部に指示を出してたら疲れるので、あとから「これやっておきました」って言ってくれればいいからって感じです。とにかく僕は介助する人と楽しくやりたいっていうのが基本になっています。指示出しもすべては難しいし、そういう生活をしたいと思ってるので、事業所とは少し方針が違うかもしれないですね。

吉成:介助を使うというか、介助者に入ってもらうってことの方針や方法に、正解はないと思います。芦刈さんみたいに介助者と楽しみたいって思ってるから、介助者と仲良くしたいし、指示出しも全部はできない、一部分は指示なくやってもらいたいっていう方法があってもいいと思います。一方で、私のように自分の活動と介助の部分は分けていたいというのも、全然悪いことじゃないのかなって思っています。私の考え方も、今はそう思ってるけど今後変わっていく可能性があるかもしれないし、芦刈さんも変わっていく可能性がありますよね。そのときどきに応じて、いい感じでやっていけたらって私は考えてます。

吉成:芦刈さんは、その他に介助者との付き合い方でなにか意識していることなどはありますか?

芦刈:最初はまず、いろいろ話をしたりして仲良くなることかな。あとやっぱり、介助をする中で、ただ介助だけで終わる"作業"になるのはすごい嫌だなって思います。やりがいがあるとかやってて楽しいって思ってもらえたらいちばんいいですね。なかなかうまくはいかないけど、なるべく居心地がよく、雰囲気は良くしようかなって思ってます。だから僕はなるべく常に明るくいようかなって思ってて、その中で僕のことを好きになってもらうっていうか、この人の介助をやりたいなって思ってもらえたら、介助する人の意識も変わって介助が丁寧になっていくんじゃないかなって思います。やっぱりたまにしか関わらない介助者だと、慣れてないのもあるんですけど、日頃あまりコミュニケーションを取ってないので、介助が少し雑というか、そんなふうに感じることもあります。日頃入ってコミュニケーションを取ってくれてる人の介助の方がやっぱり丁寧だと感じるので、介助者とコミュニケーションを取ることはほんとに大事なのかなって最近思ってます。

夢は自薦ヘルパー利用とピア活動

吉成:これからはどのような活動や生活をしていきたいと考えていますか?

芦刈:やりたいことはいくつかあって、一つは呼吸器ユーザー目線のバリアフリーマップを作りたいと思っています。あとは、地元のサッカーチームに知り合いがいるので、その人と車椅子サッカーチームを作りたいとか、呼吸器を使ってる自分をいろいろ知ってもらう活動とか、最近嚥下に少し悩みがあるので、食べやすい食事や嚥下食の研究をしていきたいなと思っています。
本当にいちばんしたいのは、今まで支援してくれた全国の当事者の人とかに会いに行くことです。コロナ感染者が増えたり、お金の面で難しい面もありますが、いろんな人に直接会って話したいです。こんなふうに、やりたいことはいっぱいあるんですが、まだ実現できる余裕もないし、力もないので、これから自立生活センター の先輩とかに相談しながら、着実に実現していきたいなと思ってます。

吉成:活動やつながりをとても大事にしている芦刈さんらしい目標ですね。 ぜひたくさん実現していってほしいなと思いました。もう少し大きい目で見て、これからの夢はありますか?

芦刈:いつかはヘルパーさんを自薦ヘルパーにできたらいいなと考えています。自分の仲のいいヘルパーさんに専属で入ってもらって、自分でシフトとかを作って、そういう生活をしてみたいです。あと自立生活センターでも、中心になって相談を受けられるようになりたいなと思っています。

退院を考えているあなたへ――「壁にぶつかる覚悟も必要」

――最後にお聞きしたいのですが、もし施設で入所されている方から「地域に出てみたいんだけど」と相談されたら、芦刈さんはどのようにお声がけをされますか?

芦刈:自分の信念っていうのかな、そういうものが大切になると思います。出るまでにへこむことも多いし、結構な精神力がいると思うから、最初は「なんとなく出たいなあ」でもいいんですけど、本気で出たいならいろんな壁にぶつかる覚悟が必要かもしれません。僕がこの(自立)生活がいいよっていうのもなんか違うし、この生活も大変なことはあるので、まずそういう僕の経験とかを伝えることはできますね。そのあとは本人の判断になると思うんですけど、僕からいい面や悪い面を伝えて、それでも本人がやっぱり僕も出たいってなったら、僕も応援したいなと思ってます。

「絶対出た方がいいよ」って僕は言えないかな。自分でいろんな話を聞いて、判断していかないと、結局自立しても自分で動かないといけないことがいっぱいあるので、情報をまずいろいろ仕入れてもらって、それでも本人がやるっていったら僕も支援していきたいです。地域に出ることは強制的にやることでもないので、本人のやる気次第だと思います。僕も情報提供は協力したいから、いざってときにいろいろ説明できるようにしておかないとなって思ってます。

編集後記

今回、芦刈さんから伺ったお話を通して、同じ筋ジス病棟でも状況が違うこと、それでもやはり退院には大きなハードルがあることを改めて感じました。芦刈さんの述べていた「地域に出られる人は特別な人」という言葉は、病院にいた当時の私も感じていたことでした。筋ジス病棟から退院した芦刈さんや私は、はたして特別な人だったのでしょうか。 私も芦刈さんも、ともに院外の知人との接点が退院に向けて動きだすきっかけになっていました。このことからも、「特別な人」というのは、「地域(病院外)とつながりを持っている人」と言い換えることができるのではないかと私は考えています。 筋ジス病棟は、往々にして地域から隔絶された閉鎖的な環境になることが多いようです。そのような環境では、どうしても外部(地域)とのつながりを作ることが難しくなります。そんな中でも、地域とつながりを持ち続けられた人が、退院を果たせたと言えるのではないでしょうか。 そう考えると、長期入院から退院することのいちばんのハードルは、地域とつながりを持つことかもしれません。長期入院している方が退院など、自分の望む生活を送りやすくなるために重要なことは、病院や施設が今よりも風通しの良い環境になり、「特別な人」にならずとも当たり前に地域とつながりを持てるようになることではないかと感じました。

プロフィール

デュシェンヌ型筋ジストロフィー|芦刈昌信

1976年生まれ、大分県出身。デュシェンヌ型筋ジストロフィーのため、24時間人工呼吸器を使用している。地域の学校への通学が困難になったことを理由に、小学校4年生から西別府病院に入院。35年間の入院生活を経て、2021年に退院する。現在は、大分県別府市で24時間ヘルパー制度を活用しながら一人暮らしを営む。NPO法人自立支援センターおおいたで、SNSを活用した情報発信や人工呼吸器体験会の企画などを担当。料理が好き。最近作って美味しかったのはハンバーグ。

文/吉成亜実

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