あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

「楽しく通い尽くした」専門学校時代から就職、休職に至るまで

Nanako Kobayashi

文/油田優衣 : 写真/安藤真澄

2002年、北九州市生まれ。脊髄性筋萎縮症の当事者|小林奈々子(こばやしななこ)

中学まで特別支援学校に通い、高校から地域の学校に通う。2021年にKCS北九州情報専門学校に入学。2024年から一人暮らしを始める。趣味はアニメ鑑賞と外出とおしゃべり。UNISON SQUARE GARDENなどのバンドが好きで、大型音楽フェスにも足を運んでいる。友だちに言われて嬉しい言葉は、「ななちゃん面白いね!」。

【イントロダクション】

今回は、北九州市で自立生活をしている小林奈々子さんにインタビューを行いました。
実は小林さんは、インタビュアーである油田と同じ特別支援学校の出身。
今回のインタビューでは、同じ特別支援学校出身の油田優衣と、同じ北九州市在住の岩岡美咲さんの2人で小林さんのライフストーリーを聞かせていただきました。

今回のインタビューでは、「宝物」だったと語る特別支援学校時代の話から、友だちづくりにつまずいてしまったという高校時代の話、「楽しく通い尽くした」という専門学校時代の話、フルタイムでの就職とその後の休職に至るまでの、小林さんのライフストーリーをじっくりお伺いしました。

(文/油田優衣

目次

専門学校へ進学。難航した役所との交渉

油田:高校のあとの進路について聞かせてください。

小林:高校卒業後は専門学校に進みました。その前に、大学受験を一番に考えて受験したんですけど、落ちてしまって。ただ、大学受験の勉強をしながらも、専門学校の道も考えてましたし、オープンキャンパスも行っていました。そして、心がすごく軽くなったというか、そこに決めようって思ったことがあって。専門学校のオープンキャンパスに行ったときに「他に志望している学校はありますか?」と聞かれて、正直に「この大学を受けようと思ってます」って答えたら、「いいね、頑張ってね。うちは大学受験の合否が出てからでも間に合うから。それからまたおいで。全然入れるよ」と言ってくださって。なんていいことを言ってくれるんだと思って。

油田:すごい親切ですね。その専門学校は、ななちゃんが興味のあることを学べる学校だったんですか?

小林:そうですね、私は将来はデスクワークをしたいな、ぐらいしか思ってなくて、プログラミングの専門学校に入りました。公務員の学校も視野には入れてましたけど、やっぱ学校の待遇が一番大事だなと思ったので。

油田:それで専門学校に入学されて。学校生活はどんなスタートでしたか? 介助の問題もあったと思うんですけど。

小林:介助については、重度障害者大学等進学支援事業※2という制度を使いました。時間数については、(役所の方から)授業中はいらないでしょってことで休み時間の分しか出してもらえませんでした。

油田:岩岡さんが北九州市で初めてのユーザーになった事業ですね。この事業を使うにあたって、役所との交渉はどうでしたか?

小林:難航しました。とっても。

油田:そうなんですね。岩岡さんの前例もあるし、スルッと使えたのかなと思ったんだけど……。

小林:私、高校のときから、その制度を使いたいということを役所に相談していたんです。専門学校に入学する1年前か1年半前くらいから、ずっと。充分な時間を設けて相談をさせてもらって、役所の方も「使えますよ。おそらく」って言ってくださって、安心していたのに、いざ「半年後に使います」と相談しに行ったら「ちょっと待ってくださいね」みたいな感じで。

油田:「ちょっと待って」ってなんやねんという感じですが……。

小林:その制度を使える/使えないの話が難航し、そこからさらに「ヘルパーさんはどこが入るの?」となって。

油田:あぁ、入ってくれる事業所はあるのか、と。事業所探しは自分でやったんですか?

小林:私が電話をかけても、介護派遣事業所の方は「相談支援専門員さんを通してください」と言われるんですね。自分で探すのも難しいので、役所の人にも「入ってくれるように言ってください」「探してください」と言って。もちろん最初に相談支援専門員さんに、「(ヘルパーの体制を)整えるのちょっと手伝ってください」「ヘルパーさんを探してください」って言ったんですけど、なかなか集まらなくて。

油田:それって、高3のいつ頃の話ですか?

小林:高3の秋頃ですかね。専門学校に入学する半年ぐらい前から「ほんとに使うのでよろしくお願いします」という話をしに行って、そこからずっと揉めているというか……。ヘルパー探しも難航し、制度を使える/使えないの話も難航し……。

油田:入学までにほんとに使えるようになるのか、ヒヤヒヤだったんですね……。

小林:ほんとにヒヤヒヤしたし、時間数が下りて、授業の合間30分、昼休み1時間(の支給)となったんですけど、そうなると話が違ってくるんですよね。というのも、短時間だと入ってくれるヘルパーさんがいないんです。

油田:そうですよね。単価もめっちゃ低いし。

小林:そう。居宅介護の身体介助と同じ額をくださいって思いました。やっぱり単価が低いし、30分だけというので、事業所さんには赤字覚悟で、ボランティアみたいな気持ちで入ってもらわないといけない。事業所さんが見つかるか、ヒヤヒヤ、ピリピリしてました。まぁ利用者からしたら、単価なんて知らないよって話なんですが。

油田:ほんとそうですよね。事業所はなんとか集まったんですか?

小林:はい。ヘルパー事業所、12事業所を使って。

油田:12事業所!?

小林:そうなんです。大変でしょ? こんなの。

油田:わけがわからなくなりそうです……。で、事業所は集まったものの、介助を受けられたのは、休み時間のみだったということでしたよね。ななちゃん的には、その時間数は充分なものだったのか、それともやっぱり足りなかったなと思うのか……。

小林:そうですね、時間数としては足りなかったけど、これでよかったなと思っています。

油田:足りなかったというのは具体的に?

小林:授業の間は介助をつけてもらえなかったんです。授業が1コマ90分あるんですよ。そうなると、水分を調整しないといけない。例えば授業前に水分補給をして。授業が始まって30分経ってトイレに行きたくなっても、1時間トイレに行けないんです。

油田:それは辛い。授業中もどこかで待機してくれていたら、めっちゃ安心ですよね。

小林:そうです。

油田:その一方で、「これでよかったな」っておっしゃってたのは、どういう意味で?

小林:授業中にも介助者が入るとなった場合、私の専門学校にはヘルパーさんの待機場所がないと言われたんですね。で、授業中ずっと横につかれていたら、ちょっとストレスだっただろうなと生活し始めて感じました。

油田:そっかそっか。待機場所の問題もあったんですね。でも、使ってない教室が一つぐらいはあるのでは……と思いますけど。

小林:ほんと、どこかスペースはあるんですけど……。まぁ、そのぐらいの認識の違いはいいかと思いつつ。

放課後に友だちと遊んだり、一人で電車の旅をしたり……

油田:専門学校での生活はどうでしたか?

小林:ほんとに楽しく3年通い尽くしました。

油田:「通い尽くした」(笑)。 具体的にどういうところが楽しかったですか?

小林:頑張って友だちをつくったので。

油田:あぁ、すごい。高校のときの教訓を活かしたんですね。

小林:はい。もう二度と同じようにはしたくない、これは学びにしなきゃだめだと思って。頑張った分だけ友だちができました。

油田:専門学校では、ななちゃんのほうから声をかけて、みたいな?

小林:そうです。とにかく声をかけました。あと、友だちをつくりやすかった理由が、女子が少なかったことです。高校は女子がほとんどで、女子ってすぐグループを固めるから入りづらかったんですけど、専門学校は男子40人に対して女子が5、6人だったので、仲良くなりやすかったです。

油田:そっかそっか。ちなみに家から専門学校までの通学はどうしてたんですか?

小林:制度的には通学でも介助者を付けられました。でも、私の家に迎えに来てまた学校に行くのに、ヘルパーさん、どんだけ歩くの? とか、車はどこに止めるの? という問題があったので、通学は歩いて行ってましたね。

油田:一人で?

小林:はい、基本一人で。雨が降ったときだけ、お母さんに送ってもらっていました。

油田:そうだったんですね。専門学校から家は近かったんですか?

小林:はい、近かったです。徒歩15分、20分ぐらい。

油田:専門学校時代、楽しかったこととかあります?

小林:高校3年間は友だちがいなかったので、「放課後どっか行こうよ」とかいうのがなかったんですよ。でも、専門学校に入ってからは、友だちと「このあとスタバ行こうよ」とか、そんなことがでてきて。

油田:わ〜! 放課後一緒に遊べるっていいですよね〜。放課後はスタバ以外にどっか行ったりしてました?

小林:私が電車に乗るのが好きでして。八幡に行ったり、門司に行ったり。

油田:へえー! それは一人で? 友だちと?

小林:どっちもありますね。

油田:えーいいですね! じゃあ、寄り道して帰ったりとか?

小林:もうぜんぜん家に帰らなくなりました。

油田:夜まで遊んだりみたいな?

小林:そうです、門限ギリギリまで。何もなくても散歩してましたし。

油田:いいですね、それは楽しそう。

小林:そうですね、とっても楽しかったです。

油田:それは、それまでと比べると大きな変化だったのでは? 電車とかもきっと中・高は使う機会ってなかったんじゃない?

小林:そうなんです。専門学校に入ってから自分一人で電車の乗り方を覚えて。障害者割引が一人じゃ効かない※3ことを覚えて。

油田:そうね、確かに(笑)。介助者なしでも割と出れる感じなの?

小林:そうですね、やることは制限されるんですけど、人に頼みつつ、自分でできる範囲で楽しみつつ。

油田:へえー、おもしろい! 放課後ぷらっと八幡とか門司に行くっていいですね。

小林:そうなんですよ。門司を超えて、下関まで行って、そこから唐戸市場まで歩いてました。

油田:ええー、けっこうな冒険!

小林:ほんとに母に心配もされましたけど、まぁ、外に出ちゃえばこっちのもんなんで(笑)。

油田:あはは、そうだね(笑)。そうやって自分だけの世界を、親の関与なしで広げていけるというのはいいことですね。

小林:やっぱり、そういう時間がね、つくれたから、ほんとによかった。

油田:そこで怖がらず外へどんどん行けるのは素敵です。

小林:もう母が怖がりで。あらゆる事故を耳に入れられてたので。まぁ気をつけることはしつつ。

油田:そっか。お母さんはけっこう心配性な感じだったんですか?

小林:そう。今でも「一人で横断歩道を渡るな」って言うんです。

油田:そんな、小学生じゃないんだから(笑)。

小林:「誰か人の後ろにくっついて渡りなさい」「あんたはちっちゃいんだから」って言われます。

油田:そっかそっか。ななちゃんは、雨の日以外は一人で通学してたわけじゃないですか。そこらへんはお母さんから抵抗されなかったんですか?

小林:あ、そうですね。抵抗されてましたけど、ちょっとずつ出かける時間を増やしたり……。

油田:あぁ、最初は抵抗されてた?

小林:晴れた日も迎えに来てました、最初は。

油田:それはどういうふうに徐々に断っていったんですか?

小林:「今日は友だちと予定がある」って言って。友だちと予定がない日も「友だちと予定がある」って言って。

油田:なるほどね(笑)。頑張ってななちゃんのほうから距離を置きにいって。

小林:あと、ヘルパーさんの口添えもけっこう頼ってました。

油田:ヘルパーさんの口添え?

小林:「ななちゃん、そろそろこういうことしてもいいんじゃない?」とか。

油田:それは自宅に来てくれるヘルパーさんが?

小林:そうなんです。ほんとに助けられました。

油田:それは素敵なヘルパーさんですね。「こういうことをしてもいいんじゃない?」というのは、具体的にどういうことを?

小林:「こんな利用者さんがいてね、こないだバスに乗って、ここに行っててね。車いすでも行けるみたいよ」とか「バスの運転手さんが優しくってね」とか言って。

油田:あぁ。そしたらお母さんも「まぁ一人で出してやってもええか」みたいに……。

小林:そうそう。「この便のこの人は優しいから」とか、そこまで言わないとお母さんは安心できないんですけど。「じゃあそれに乗ってみたら」とは言ってくれるんです。

油田:へぇー、そっか。ななちゃんはけっこう、心配性のお母さんから頑張って頑張って離れようとしてる感じなのかな?

小林:そうですね、ほんとに。親離れを少しずつして。

油田:そっかそっか。お母さまとのことはまた後でも聞かせてもらえたら嬉しいです。

フルタイムでの就職から休職に至るまで。「みんなと同じ」が好きだったけれど……

油田:専門学校に通われて、その後、就職活動を考える段階に入るのかな? そこらへんのことを聞かせてください。

小林:就職活動については、車いすでも受け入れてくれそうなところとか、リモートを推進してるようなIT企業とかの説明会に行ったりしたんですけど、インターンの段階で断られたり……。介助者さんが会社のなかに入るのは、企業秘密とかそういった面で難しいとのことでした。

油田:そっか、やはりかなりハードルはあったんですね。

小林:ありましたね。そもそも受けられる企業が少ないなって思いました。

油田:ななちゃんは今は介護派遣事業所で働かれているとのことですが、そこに就職するまでの経緯はどんな感じだったんですか?

小林:今働いてるところは、もともと私が利用してる介護派遣事業所だったんです。その事業所の方が、私が専門学校に入ったときに「もし他にどこにも行きたいところがなかったら、うちの事務に」ということをずっと言ってくださってて。私も福祉のことに興味がありましたし、快く受け入れてくれるのが嬉しくて、最終的にそこに決まりました。ご縁って感じがほんとします。

油田:そうだったんですね。仕事中の介助はどうしてたんですか?

小林:市の「重度障害者等就労支援特別事業」※4という制度とJEEDの制度※5、この2つを使っています。

油田:その手続きはすんなりいったんですか?

小林:それはわりとすんなりいきましたね。私たちも役所との話し方がちょっとわかったので。

油田:それは良かった。ちなみにそれはフルタイム?

小林:はい、フルタイムです。9時から18時まで。

油田:わー、きつくないですか?

小林:そうなんです。それで、今月から休職というかたちでちょっとお休みをいただいてます。

油田:体調がしんどくなった感じ?

小林:そうですね。2か月ぐらい前から首と腰の痛みがけっこう強くて。体がきつくなってからは、心の面もよろしくなくて、いったん休みなさいということで。

油田:無理しすぎたのかなぁ……。

小林:かな……というところですね。

油田:いや、ほんと、SMAの体でフルタイムで働くのは大変だと思います……。堂々と休んで、自分の体を労ってあげてください。でもほんと、なかなか難しいですよね、自分のペースを見つけるのって。

小林:ほんとに。入社するときは「なんていい進路に進んだんだろう」って思っていて、職場もほんとにいい人ばっかりで幸せだなって思ってたんですけど、やっぱり自分が仕事ができないというのが大きくて。

油田:仕事ができないというのは、体力の面で?

小林:体力的にじゃなくて能力的に。自分のもの覚えがいかに悪いかもわかったし、自分のできなさに打ちひしがれる日々で、心にきてました。まぁ、自分が仕事ができない分には、頑張ればいいと思ってやってきたんですけど、やっぱり体の痛みが出てきたときに、毎日こんなにきつい思いして体にひずみまで生じていることがつらかったです。それに病気の進行のことも頭によぎっちゃって。いつも手で(口まで)持ち上げて飲んでいるコップにストローをささなければ飲めなくなったり、首がいつもより座りづらくなったり……。「そんなわけない」と思っていても、毎日クタクタに疲れて家に帰って、力が入らない日々が続いてると、よくないことばっかり考えてしまって。

油田:うんうん。

小林:私が就職したときはみんなから「フルタイムで働いてすごいね」って言っていただいたんです。でも、やるもんじゃないなってことに1年働いてやっと気付いた(笑)。

油田:フルタイムなんて、すごい体力がある人にしかできない芸当ですからね……。

小林:私は「みんなと同じ」という言葉が好きだったんです。友だちとも「週5日働いてて、私たち偉いね」って同じように話せるのが嬉しかったんですけど、ね……って感じです。

油田:そうねえ。そこから降りざるをえないつらさ、みたいなものはあるかもしれないね……。

小林:また出てくると思います。

油田:そっかそっか。ななちゃんは、高校でも専門学校でも、健常な人と同じペースでやってきて、やれてきたからこそ、けっこうつらい面はある感じ?

小林:そうなんです。やっぱり高校や専門学校のときにみんなと同じようにできてたから。仕事できついと思うのは甘えなのかなとか、私が弱くなったのかなとか、そんなことばっかり考えてますし……。今でも「動けないぐらいきつくて休職したのか?」って聞かれると悩みます。

油田:難しいよね。「全く動けないわけじゃないけど、しんどい」って言うのって。

小林:そう。とにかく一日働くのはしんどいんですって言いたい。

油田:そうそう。「頑張れば動ける、けど……」っていう時点でかなりしんどいと思うから、そこはほんと堂々と「私は休む」って言っていいと思います。

小林:はい。今の会社を辞めたいわけではないんです。この1年でやっぱり福祉の仕事が好きってすごく思って。で、もしご縁を結ぶことができたら、人ともうちょっと関わるようなお仕事ができたらなって希望をもってます。

注釈

※2 「重度障害者が修学するために必要な支援体制を大学が構築できるまでの間において、重度障害者に対して修学に必要な身体介護等を提供」するための制度(https://www.mhlw.go.jp/content/001084414.pdf)。地域生活支援事業として実施されるため、自治体によって実施状況に格差がある。

※3 JRは、障害者手帳をもつ人がひとりで利用する場合、片道が100kmを超えないと、割引にならない。詳しくはこちらを参照。https://www.jr-odekake.net/railroad/service/barrierfree/discount/

※4 正式名称は「雇用施策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」。雇用施策とはJEEDが起こっている雇用施策のこと。詳しくはこちらを参照。
https://www.mhlw.go.jp/content/001073876.pdf

※5  「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構」。介助が必要な障害者が職場での介助や通勤の介助を受けれるよう、企業に助成金を支給している。介助をつけながら働くことについては、わをんのこちらのホームページを参照。https://wawon.org/work-with-care/

プロフィール

2002年、北九州市生まれ。脊髄性筋萎縮症の当事者|小林奈々子(こばやしななこ)

中学まで特別支援学校に通い、高校から地域の学校に通う。2021年にKCS北九州情報専門学校に入学。2024年から一人暮らしを始める。趣味はアニメ鑑賞と外出とおしゃべり。UNISON SQUARE GARDENなどのバンドが好きで、大型音楽フェスにも足を運んでいる。友だちに言われて嬉しい言葉は、「ななちゃん面白いね!」。

文/油田優衣

この記事をシェアする