連載3回目
4ヶ月の準備で始めた一人暮らし。母は助けであり、壁だった
2025年09月12日公開
Nanako Kobayashi
文/油田優衣 : 写真/安藤真澄
2002年、北九州市生まれ。脊髄性筋萎縮症の当事者|小林奈々子(こばやしななこ)
中学まで特別支援学校に通い、高校から地域の学校に通う。2021年にKCS北九州情報専門学校に入学。2024年から一人暮らしを始める。趣味はアニメ鑑賞と外出とおしゃべり。UNISON SQUARE GARDENなどのバンドが好きで、大型音楽フェスにも足を運んでいる。友だちに言われて嬉しい言葉は、「ななちゃん面白いね!」。
【イントロダクション】
今回は、北九州市で自立生活をしている小林奈々子さんにインタビューを行いました。
実は小林さんは、インタビュアーである油田と同じ特別支援学校の出身。
今回のインタビューでは、同じ特別支援学校出身の油田優衣と、同じ北九州市在住の岩岡美咲さんの2人で小林さんのライフストーリーを聞かせていただきました。
今回のインタビューでは、「宝物」だったと語る特別支援学校時代の話から、友だちづくりにつまずいてしまったという高校時代の話、「楽しく通い尽くした」という専門学校時代の話、フルタイムでの就職とその後の休職に至るまでの、小林さんのライフストーリーをじっくりお伺いしました。
また、小林さんは就職してからJEEDの家賃補助の制度を知り、急ピッチで準備を始め、昨年から一人暮らしをスタートされました。インタビューでは、一人暮らしの準備や、お母さまとの関係の葛藤、現在の一人暮らしの状況についても、たくさんお話していただきました。
JEEDの家賃補助の制度を知り、大慌てで一人暮らしをスタート!
油田:ななちゃんは去年(2024年)の9月から一人暮らしも始められたということで、まずはその一人暮らしまでの経緯を聞いてもいいですか?
小林:はい。私が中学校のときかな? 油田さんが私の通ってた支援学校にお話をしに来てくださったときに、油田さんが一人暮らしを目指しているという話をしてくださって。そこで「私にも一人暮らしができるのかもしれない」とか「そういう道が頑張ればあるのかもしれない」ってことが見えたときに、それが私の夢になってて。
油田:じゃあ、中学生の頃ぐらいから、一人暮らしをしたい気持ちはあった感じ?
小林:はい。普通高校に通うのも、就職するのも、一人暮らしのためにやりたいことでした。
油田:なるほど。
小林:一人暮らしを始めるタイミングはずっと見計らってて、就職して2、3年経って貯金が貯まったら考えようと思ってました。だけど、就職してから一人暮らしのことについて調べていたときに、家賃補助の制度を見つけまして。JEEDの制度で、働いてる障害者の方が職場から通勤しやすい場所に引っ越すということであれば、その家賃を補助しますよという制度があったんです。
油田:へえー!
小林:入職して半年以内ならその制度を使えることを知って。これは大チャンスだと思って、申請の期限が残り4か月のところから急ピッチで話を進めて、重度訪問介護の時間数を得たり、事業所を確保したりして、なんとか一人暮らしを始めました。入職したときはそんなに早く(一人暮らしをする)とは考えてなかったんですけど。
油田:すごいですね。働き始めながら、一人暮らしの準備をするって、めっちゃ大変だったんじゃないかなって私は思ったんですけど。
小林:ほんと、やる気だけはあるんです。
油田:すごいですね。そのやる気、素敵です。時間数の交渉や事業所探しは、どうでしたか?
小林:事業所さんについては、以前から「いつか一人暮らしをしたときに夜勤で入ってください」ってことで1箇所は押さえていたんですけど、もうあと1、2事業所は探さないといけないってことで、そこもなんとか見つかって整いました。でも最初の1カ月は水曜日の夜勤だけ見つからなくて、そこは母が泊まってくれました。
油田:ちなみに最初って時間数は何時間出たんですか?
小林:最初に役所に行って、重度訪問介護682時間が出ました。また、重度訪問介護も居宅介護も併用して使えるようにしてもらえました。
油田:おぉ、一発でけっこう出たんですね。
小林:そうなんです。担当の役所の方が、その年から異動してきた方だったんですけど、すごいわかってくださる、応援してくださるいい方で。恵まれました。
油田:えぇーすごい。そして、居宅介護と重度訪問介護の併用も認められた※6んですね。
小林:はい。理由として役所に言ったのは、「重度訪問介護に切り替えると、居宅介護で入っていた事業所が撤退してしまう。今のところ、代わりに入ってくれる他の重度訪問介護の事業所も見つかりません」という理由でお願いしました。私の意図を役所の方がちゃんと受け取ってくれて認められました。居宅介護は、実家で利用していたときと同じように、夜のお風呂3時間と、朝の起床介助のケア1.5時間、使っています。
油田:なるほど。今休職されてる間は、日中も重訪ですか?
小林:日中をいま急いで整えてまして。できる限りの協力を事業所さんもしてくださって。
油田:そうなんですね。休職をうまく使って、って言うと変かもですが、これに乗じて24時間にするのはいい手ですね。
小林:そうですね、理由になるかなと。
心配性でしっかりものの母は、一人暮らしに対して揺れに揺れ……
油田:急遽、一人暮らしすることになったということでしたが、ご家族はどういう反応やったんですか?
小林:記憶がないぐらい緊張してました。私なんて言ったんでしょう……。
油田:緊張?
小林:母に最初「一人暮らしをしようと思います」って言うときです。
油田:それはどうしてですか?
小林:私が何かするって言ったときは、だいたい母は不安から否定的なことを言うんですね。「これはどうするの?」とか「そもそもまだ早い」みたいなことを言われたんですけど。母に話したときも、たしか、家賃補助の制度のことを前置きにして話して、で「一人暮らししたい」とは言わずに、「期限が半年までなんだけど、お得じゃないかなぁ?」とか「この制度を使ったりして一人暮らしをしたりは無理かなぁ?」とか、そんな言い方をした気がします。
油田:ドキドキしながら。
小林:ほんとにドキドキしてました。
油田:で、それを言ったときのお母さまの反応はどうやったんですか?
小林:制度自体には興味を示して、「一緒に調べようか」って言ってくれて、一人暮らしの話を進めてはくれたんですけど、でも、そこから母には常に心の負担があったと思います……。
油田:心の負担、というと?
小林:不安やもどかしさが伝わってきました。先週と今日とで言うことが違ったりとか。一人暮らしを応援してくれるときもあれば、「やっぱり実家にいない?」って言ったり。なんかいろいろでした。
油田:あー、そっか。お母さんも揺れてたんですね。
小林:ほんとにもう。
油田:で、いよいよ一人暮らしの準備のために動き始めるわけじゃないですか。そのときのお母さんもずっと揺れてる感じだったんですか?
小林:うん、揺れてました。一人暮らしを始まるまで揺れてました。
油田:そっかそっかー。けっこうななちゃんのお母さんは心配性な感じ?
小林:心配性で、すっごくしっかりものなんです。頭がすごくいいんですよ。
油田:そうなんだ。
小林:はい、私がなんにも気にせずに生きてしまえるぐらい、なんでもしてくれたし。私が困らんように。やっぱり一人暮らししてから、いかに母が守ってくれていたか、きっちりしてくれていたかをすごく感じます。
油田:お母さんも「守らなきゃ」と思ってたからこそ、そこから離れるって、お互いすごいパワーがいりますよね。
小林:私は一人暮らしが夢だったから、プラスのパワーなんですけど、母的には私が離れることにデメリットしかないというか。さびしいばっかりやけ、それを応援するのはやっぱりつらかったと思います。
油田:そっかそっかー。
小林:母も油田さんのこと言ってましたよ。「ようお母さんは許したねえ」って。
油田:確かに、そうだよね。うちの母親はほんと全然(私が一人暮らしすることに)反対しなくて。そこはすごいありがたかったというか、よう手放してくれたなって思います。でも、今思うと、母は私が中学のときから一緒にCILに行って24時間介助で自立生活をしてる人たちを見てて、それも大きかったのかなと思います。あと、私が言うこと聞かないのわかってるから、「あぁ、優衣もいずれはああなるのかな」って前々から心づもりはしてたらしくて。
小林:ああー。
油田:そういう感じでしたね。自立生活を始める上で、私はわりとそこらへんは楽だったというか。親との間の絡み合ったしんどさみたいなのはなかったです。
小林:母が壁であり、助けであり、どっちでもあるような、不思議な数ヶ月を過ごして、一人暮らしが始められたかなと思います。
油田:そっかそっか……。「壁であり、助けであり」って、なんか、すごいワードですね。
小林:ほんとに、どっちのときもありました。
一人暮らしをして変化した母親との関係
油田:一人暮らしをされて、お母さんとの関係に変化はあったりしました? それともまだここは変わってないな、とか。
小林:これは、私もヘルパーさんも言ってるんですけど、やっぱり関係は良くなったと思います。
油田:それは具体的にどういうとこで?
小林:そうですね、家に帰って人(妹や母)がいるのが私もストレスだったし。お母さんも夜中に私の寝返りをするために起きなきゃいけなかったり。寝返り以外のことでも、ヘルパーさんのいない時間に私が何か不都合があれば対応しなきゃいけないから、家にいなきゃいけないとか。いろんな縛りが母にもありました。母は「それより奈々子にいてほしい」みたいなことを言うけど、やっぱりストレスだったと思うんですね。いざ私が離れたら、夜に外に出るようになったし。
油田:そっかそっか。
小林:そういう母を見て、一人暮らししてよかったなってすごく思います。未だに母は「いつでも実家に帰っておいで」って言ってるけど。
油田:そっかそっか。今はわりと距離は置けるようにはなった感じなのかな? あ、でも家は近いのか。
小林:そうです、近いです。
油田:じゃあ、お母さんはちょくちょく家に来る感じ?
小林:はい。私の家の冷蔵庫を見て「これはまだ使わないの?」って言ったり。
油田:それはななちゃん的にはありがたいのか、うざいのか、どっちなんですか?
小林:どちらの感情もあります(笑)
油田:ははは(笑)。
小林:美咲さんも途中から一人暮らしをされて、親御さんと離れて関係が良くなったとかはありますか?
岩岡:私の親は「出ていきたいならどうぞ」という感じでした。それは突き放した言い方ではなく、すごく協力してくれて。「出ていかないで」とは一回も言われたことはないです。私の家も実家から車で15分くらいなんで、「ちょっとこれ買ってきて」って言ったら、買い物ついでに寄ってくれますし。
油田:いいですね。いい使い方(笑)。
岩岡:頼れるとこは頼りつつ(笑)。それこそ、ななちゃんもお話してくれたように、私の場合も、私が一人暮らしをしたからこそ、両親が旅行に行けるようになったり、お母さんが自由に友だちと出かけられるようになったりしました。やっぱり今まで私がその機会を奪ってたんだな、と。両親が今こうやって自由に過ごせている ことが、一人暮らししてよかったなと実感することの一つだなと思います。
小林:やっぱそうですよね。
岩岡:でも、まだまだ甘えてはいるんですけど(笑)。まぁ両親もまだ元気だから、ちょっと頼っとこうって感じで、甘えてますね(笑)。
小林:私たちも「県外に飛び出さないで近くにいてあげてる」ぐらいの気持ちでいいのかな、ってちょっと思います(笑)。
岩岡:だからこそ、優衣ちゃんが県外にポーンって行けたのが、私からするとすごいなーって。
油田:私は福岡県内で自立生活したら、絶対に毎週末おばあちゃんとかおじいちゃんとかお母さんが来るやろうって思って、それは絶対嫌やと思って。絶妙に日帰りできない距離はどこかなって思ったら、「脱九州」はせなあかんなと思って。きっぱり離れたかったんですね。だから、ちょうどいい距離でした、京都は。
小林:京都がちょうどいい距離なんて、うちのお母さんが聞いたら泡吹いて倒れちゃいます(笑)。
油田:あはは(笑)。でもほんとね、すぐ来れないんでね。それがいいですよ、ほんと。私は楽です。
「重訪の申し子」!?
油田:いま一人暮らしして半年以上が経ってると思うんですけど、介助者との関係で思い悩むことはあったりしますか?
小林:それが、なくてですね。ほんとに今ベストメンバーってくらい、いいヘルパーさんが揃ってて。
油田:あら、それはいいことですね。
小林:ただ、この前、相談支援専門員さんに、ちょっと心がきついって話をしたときに、「重度訪問介護を使い始めてまだ半年。ずっと介助者がいる環境は無理してたんじゃないか」って言われて。それを聞いて、「介助者自体に不満はないけど、人がいる生活に少し疲れてたのかな」って気付きました。でも、具体的な不満はなく半年過ごせてきたのは、すごく幸せなことだなって思います。
油田:そっかそっか。誰かがいるのは慣れるまではね、やっぱ気を使ったりとか、どこかシャキッとモードになってたりとかしますもんね。
小林:この人のときは、もうちょっとテンション上げないと心配させちゃうな、とか。
油田:あぁ、そういう気遣い、しちゃうよね。
小林:やっぱあるんですよね。心配されたほうが鬱陶しいときってあるじゃないですか。
油田:そうですよね。最近私のヘルパーさんのなかで、テンションが常に低空飛行の人がいて。でも、機嫌が悪いわけではなく、ずっと一定で変わんないんです。その人のとき、なんか楽で。
小林:あ、わかります。
油田:その人のときは、こっちのテンションが低くてもいいと思えて。
小林:私はそういう人のことを母と一緒に「重訪の申し子」って呼んでるんですよ。
油田:なにそれ(笑)。おもしろい。
小林:やっぱり長時間一緒にいるのに、よくしゃべる明るい人というのは向いてないんじゃないかって思って。
油田:確かに。私たちも家でずっと元気でなんか、いれないですもんね。
小林:そう、介助者さんもきっと疲れるし。
油田:テンションが上がらない、ダラーっとした自分をさらけ出しても大丈夫みたいな人って楽ですよね。
小林:ほんとに楽なんです。しゃべりたいことをしゃべって。
油田:確かに。明るい人も明るい人で、そっちに引っ張ってくれるという点でいいときもあるけど、それに合わせなきゃと思ってしまうときはしんどいですよね。
小林:そうなんですよ。「ラーメン食べに行くんです」って言ったら「やったー!」って言って付いてきてくれる人とか、嬉しいときは嬉しいんですけど……。
油田:そうですよね。話がそれるんですけど、けっこう介助者さんとラーメン食べに行ったりするんですか?
小林:はい、近くの魁龍に(笑)。でも、それも人を見てますね。そんなにテンションが高くない人とかは一緒に家でお茶したり。
油田:いいですね。
小林:ヘルパーさんに合わせたほうが自分も楽なときが多くて。この人のときだからラーメン食べに行こうという気分にもなるし。
油田:ああ、わかるわかる。「この人のときは、ここ行きたい」みたいなのありますよね。
小林:あります、あります。そんなんが楽しかったり。
介助を入れたり抜いたりしながら、恋人との時間を過ごす
油田:最後に、ななちゃんの趣味や好きなことを聞かせてください。
小林:友だちと出かけるときはやっぱ楽しいです。アニメが好きな友だちとアニメのコラボショップに行くために、ことあるごとに博多に行ったり。あと、電車で移動するのが好きです。一人でも、人と一緒でも。北九州市で電車で行けるところはいろいろ行きました。あと旅行も。熊本旅行に去年彼氏と一緒に行ったり。遠出が好きだなって思います。
油田:いいですね〜。熊本旅行はお2人で行ったんですか?
小林:はい、2人で行きました。
油田:いいですね。彼氏さんは遠くに住んでおられるんだっけ?
小林:はい、韓国にいます。
油田:たまに家に来られたりとかするんですか?
小林:そうですね、こっちに来たときはだいたい私の家に泊まってます。
油田:一人暮らしだったら、家にも呼びやすいですよね。
小林:そうなんですよ。一人暮らしをし始めてからホテル代がかからなくなりました。でも、私がうるさくなりました(笑)。「散らかさないで」とか「きちゃない靴下でこのスペース歩かないで」とかも言うようになったし(笑)。
油田:ははは(笑)。ちなみに彼氏さんがお家に来るときは、介助者はどうしてるんですか?
小林:適所で入れてます。夜の寝返りは彼氏がしてくれるので、一晩は(ヘルパーさんの介助は)いらないけど、お風呂とか髪の毛のセットとかメイクとかはヘルパーさんにしてもらいたいので、ちょこちょこ入れたり抜いたりの生活をしています。
油田:うまく工夫してるんですね。
小林:やっとスタイルが確立しました。
油田:それは良かった。でもほんと、介助者を入れながら恋人やパートナーと過ごすというのは、いろいろ考えることが多いですよね。
小林:そうなんです。相手が「僕が(介助)するよ、できるよ」って言っても、私は「下手だから嫌だ」とか思って。
油田:確かに。あと気を遣いますよね、なんかね。
小林:お互い楽なライン見つけるのがいいですよね。
油田:そうですね。またいつか、恋バナをしましょう(笑)。
注釈
※6 厚生労働省は、重度訪問介護と居宅介護の併給を禁じてはおらず、個々のケースに沿って検討するように通達を出している(「介護給付費等の支給決定等について」(平成19年3月23日障発0323002 号障害保健福祉部長通知)の「第4」の「4 同時に支給決定又は地域相談支援給付決定ができるサービスの組合せ」を参照)が、自治体によって運用が異なるという現状がある。
プロフィール
2002年、北九州市生まれ。脊髄性筋萎縮症の当事者|小林奈々子(こばやしななこ)
中学まで特別支援学校に通い、高校から地域の学校に通う。2021年にKCS北九州情報専門学校に入学。2024年から一人暮らしを始める。趣味はアニメ鑑賞と外出とおしゃべり。UNISON SQUARE GARDENなどのバンドが好きで、大型音楽フェスにも足を運んでいる。友だちに言われて嬉しい言葉は、「ななちゃん面白いね!」。
文/油田優衣
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