連載2回目
介助者とともに、障がい者の暮らしに選択肢を持てる社会をつくりたい
2021年03月12日公開
ATSUSHI TADOKORO
文/嶋田拓郎 : 写真/嶋田拓郎
脳性麻痺・横浜市港北区在住|田所淳(たどころあつし)
1981年生まれ。横浜市緑区(都筑区)見花山にて先天性の脳性麻痺者として生まれる。1歳から5歳まで川和保育園に通い、その後「横浜市立上菅田養護支援学校」に12年間、18歳から都筑区にある障がい者作業所に在籍。そのかたわら、小学校や企業で障がいを理解してもらうためのさまざまな講演を行う。現在は、24時間介助を受けながら自立生活をしながら、口腔ケア商品「オーラルピース」の個人販売も行っている。
丸山浩輝(まるやまひろき)
NPO法人コアの介助者兼サービス提供責任者。田所さんの介助には20年以上前から入っている。
20年以上介助者と一緒にいて
――27歳から本格的に介助者との自立生活がスタートし、この数年で24時間というふうになっていったとのことですが、介助者との付き合い方の変化はありましたか? 田所さんとお隣にいる介助者の丸山さんは、家族的な雰囲気で、丸山さんはとてもリラックスされているように見えます。
田所:丸山とはいい関係だと思います。でも介助関係はいつも悩んでいて、とても難しいですね。当然ですが介助者のなかには合わない人もいれば、合う人もいるからです。例えば、僕は気が弱いから、気が強い人は合わないです。
――「気が強い人とは合わない」とのことですが、具体的にはどういった意味ですか?
田所:「田所さん、それは違う」と僕の考えや行動に強くたしなめてくる人ですかね。介助者に強く言えることができれば、気の強い介助者とも上手く関係が築けるとは思いますが、僕はそうではありません。逆に、気の合う介助者というのは、一緒に買い物行ったり、遊びに行ったりと、仲良くやれる人ですね。
丸山:気の合う介助者というのは私ですね(笑)
――お2人はいい関係ですね。お二人は20年以上の付き合いというのも、家族のような雰囲気になっている理由なのかもしれない。
丸山:長年の関係ですからね。家族みたいになってもう嫌になっちゃう時もありますが(笑)
田所:彼が大学生のときから、僕の介助に入ってもらっています。
丸山:大学卒業して24歳ぐらいの時に彼と出会いました。介助歴20年弱です。実は私以外にも何人か田所さんと20年以上の付き合いの介助者がいますよ。
介助関係の悩み――当事者が介助者に気を遣う関係に
丸山:私は今、彼のサービス提供責任者をやっているのですが、長ければ長くいるだけ、彼に対して良いことも悪い思いも積み重なっていきますし、彼も私に対して同じです。ただ、同じときを過ごしてきたことで、私のことを「丸ごと」理解してくれていると感じる時があります。また、「この野郎」って私が言ったとしても、関係が簡単には壊れないという安心感があります。介助者としてもサ責(サービス担当責任者)としても20年つるんできた男同士の、介助を越えた関係性はあるかもしれないです。
――丸山さんのお話を聞いていて、田所さんは介助者を手足として見てはいないように思いました。一方の丸山さんも仕事として割り切る関係を田所さんに求めておらず、それ故に、人間関係で生じる「面倒くささ」も引き受けていますよね。
丸山:そう思います。ただ、さきほど田所さんが「気の強い介助者」は合わないって言っていましたが、他にも悩んでいますよね。話していいですか?
田所:いいよ。
丸山:彼は20代前半の頃は、日常生活支援とか介助者を使うことに楽しみを見出していたそうです。例えば外出することや、夜の街に繰り出すことなどです。そして、その「楽しさ」を支えたのは、当時の介助者が「友達」のような存在だったからでした。しかし、年齢を重ねて彼も24時間365日介助者と接するなかで、介助者とはいつしか「友達」のような関係から変化していきました。それは、介助者自身にも田所さんに対して慣れすぎて緊張感がなくなり、横柄な態度が生まれてきたからだと思います。そこで彼が思ったことは、「僕の生活なのに君たちになぜ常に気を遣わないといけないんだ」ということです。今も悩んでいますよね。
田所:そうだね。
――元々友達のような関係から、家族のような関係になっていったのかもしれないですね。介助者との関係に緊張感がなくなり、介助者が田所さんにあまり気を遣わなくなり、一方の田所さんは介助者に気を遣うようになったのですね。
田所:そうですね。「家族的な関係性」になったことによるデメリットかもしれません。お互いに礼儀をわきまえる関係が必要ですね。
コロナ禍で顕在化した介助関係の「辛さ」
――このような介助者に対する「辛さ」が、このコロナ禍でより顕在化したとお伺いしております。詳しく教えていただいてもいいでしょうか?
田所:はい。コロナ禍が深刻だった、2020年4月〜6月は本当に辛い時期でした。コロナ禍前までは、横浜中を歩き回っていましたが、コロナ禍になってからは感染予防のために、できるだけ外出せずに家に閉じこもっていました。外出して様々な人に会うことを生きがいにしていたので、それができなくなったことだけでも大きなストレスでした。また、介助者の感染予防のために、できるだけ介助者が被らないよう調整したりするなどしていました。
――好きだった外出ができなくなったのは辛いですね……。外出できなくなったことで、暮らしにどのような変化が起きたか、もう少しお伺いしてもいいでしょうか?
田所:介助者との関係性が「辛く」なってしまったことが一番ですね。一日中家にいると、介助者と話すこともなくなります。その沈黙の時間はコロナ禍前にももちろんありましたが、外出していれば気が紛れていました。でも、一日中家に閉じこもっていると介助者との関係が煮詰まってしまうんですよね。
――「煮詰まってしまう」というのは辛いですが、介助関係においては普遍的な問題かもしれません。無言の時間であっても気まずくならない介助者が、「相性の良い介助者だ」とおっしゃっていた当事者の方を思い出します。夫婦問題にも似ていますね。
田所:そうかもしれません。それに加えて、もし私が感染してしまえば、事業所が介助者の派遣を止めてしまう可能性もあります。そうなった場合、私の自立生活は立ち行きません。
――感染してしまった時に、事業所は介助者を守るという建前がありますからね。
田所:感染予防を徹底することは前提に、介助者との関係をどのように風通しのいいものにするかが今の課題です。
気遣いはお互いへの信頼になる
――コロナ禍のなかで、より顕在化した介助関係の問題ですが、介助者と関係を築く上で重要なことは何だと思いますか? まず介助者の丸山さんからお伺いしたいと思います。
丸山:私は愛だと思っています。僕たちは当然職業なので、介助者としての職業的な気遣いは持つべきです。その上での、利用者への親しみを感じた行動を取るのはありだと思っています。教科書だと共感を持つというように説明されますが、教科書で使うような単純なことではなく「人間愛」が生まれてくるのだと思います。
――人間愛ですか。
丸山:私は田所さんとお互いの気遣いを共有し積み重ねていくなかで関係を築いてきました。私のダサい部分も見ているし、彼のダサい部分も見ていて。それを受け入れる、お互いに認めて合うことだと思います。
――田所さんは、今の丸山さんのお話を聞いてみていかがですか?
田所:丸山の言うように、お互いに気遣いをすることは大事です。特に僕の場合は、「この人がいい、この人が嫌だ」と顔に出てしまいます。だからこそ言葉で「ありがとう」って言葉にして伝えないと、関係が続きません。その礼儀を持った上で、お互いの心の壁を取り払いたいです。
――その点で言うと、田所さん的には丸山さんとの関係で言うと人間愛に根差した関係が築けていると思いますが、経験の浅い介助者とはいかがですか?
田所:なかなか難しいですね。介助経験を積み重ねていくなかで、信頼関係が構築できることもありますが、何年経っても築けられない人もいます。
――それはどういった理由でしょうか。
田所:先ほど言ったように、おそらくお互いに一言がないのだと思います。いることに慣れすぎちゃって、気遣いの一言がなくなっちゃう。24時間介助つきの自立生活はできているので、介助者との関係が上手くいかなくても、生活を送ることは最低限できます。でも僕は介助者と一緒に「楽しく」生活したいです。冗談を言い合って、時には別にばかにされてもいいけど、お互いへの気遣いができる一歩深い関係になりたい。
――介助者が自分を出して、田所さんにもっと深く関わろう、という気持ちがあると一歩深い関係になるかもしれないけど。難しい話ですね。
丸山:介助を仕事として割り切ることって、介助者の職業としてはおそらく正解なことだと思います。でも、重度訪問介護というサービスを利用している上では、仕事だけでない、個人的な付き合いをしていかなくちゃいけないのかなと思っています。業務ではないところが、おそらくこの重度訪問介護には存在していると思います。
――業務と仕事として割り切れないもの、バランスの取り方が大事であると感じました。
田所:そうですね。引き続き考えていきたいです。
特別支援学校でのキャリア教育に携わりたい!
――ここまでは、田所さんの現在のお仕事の話や、田所さん、そして介助者の丸山さんから介助関係の話をお伺いしてきました。ここから最後の質問となるのですが、今後してみたいこと、活動はありますか?
田所:特別支援学校に行って、介助者との信頼関係の築き方を教えたいです。重度訪問介護を利用することでこんな生活ができるよ、ということも伝えたいです。
――それはとても大事ですね。当事者の高校生は日々の生活で大変で、自立生活の選択肢があるとは気づく機会がないのかもしれません。
田所:そう思います。学校の先生も知識がなく、重度障がい者が作業所以外にどのような居場所があるか知らないことも問題です。
――学校の先生が「卒業後の選択肢には、こういう選択肢もあるよ」というように、積極的に進路指導やキャリア教育が広がっていく必要性を、お話を聞いていて感じました。
田所:僕もなんとかして訴えていきたいですね。
――特別支援学校の生徒たちの進路の選択肢の無さは、今も解決していないですよね。
田所:今も同じです。そして別の問題もあります。作業所数が少ないにも関わらず、利用したい人が多く、利用を待っている人がいます。その理由も通所している人が辞めないから、次を受け入れられないという背景があるからです。
――通所している人も、「この作業所を辞めたら他に行き場がない」という理由がありそうですね。
田所:そう思います。
丸山:僕ら介助者側も田所さんと一緒に、自立生活の方法を伝えることで、この状況を打開したいと思っています。本人が経験していくものかもしれませんが、行政での手続き方法や、お金のおろし方といった生活の方法は、もっと学校の段階で教えられると思っています。現状、選択肢が作業所だけということだけでもなく、自薦ヘルパーや当事者事業所を設立するという方法もあるということなど、多様性のある選択肢を教えたいです。
田所:どんどんやっていこう。
――特別支援学校で当事者の先輩が、生徒に卒業後の生き方の選択肢を伝えていくことで、生徒がエンパワメントされていくことができそうですね。このように田所さん、丸山さんの今後の目標・夢について語っていただいたところで、お時間となってしまいました。お話をきかせていただきありがとうございました!
プロフィール
脳性麻痺・横浜市港北区在住|田所淳(たどころあつし)
1981年生まれ。横浜市緑区(都筑区)見花山にて先天性の脳性麻痺者として生まれる。1歳から5歳まで川和保育園に通い、その後「横浜市立上菅田養護支援学校」に12年間、18歳から都筑区にある障がい者作業所に在籍。そのかたわら、小学校や企業で障がいを理解してもらうためのさまざまな講演を行う。現在は、24時間介助を受けながら自立生活をしながら、口腔ケア商品「オーラルピース」の個人販売も行っている。
文/嶋田拓郎
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