連載3回目
障がい当事者とヘルパーで、責任を分かち合う
2021年06月15日公開
Kouhei Kajiyama
文/篠田恵 : 写真/嶋田拓郎
筋ジストロフィー(デュシェンヌ型)・東京都武蔵野市在住|梶山紘平(かじやまこうへい)
1985年、東京都葛飾区生まれ。3歳の時、筋ジストロフィー(デュシェンヌ型)と診断される。実家で暮らしていたころ、『こんな夜更けにバナナかよ』 (渡辺一史著)を読み、自立生活を志す。2010年、25歳の時に事業所派遣ヘルパーを利用し、埼玉県さいたま市中央区で一人暮らしを開始。一時体調を崩し入院するものの、2012年にさいたま市大宮区で自薦ヘルパーを利用して一人暮らしを再スタート。2017年からは東京都武蔵野市で、常勤自薦ヘルパー5人体制で一人暮らしをしている。気管切開し人工呼吸器を使っており、全介助が必要。
親しくなり過ぎたことによる、介助者の気の緩み
――少人数の自薦ヘルパー体制を初めて動かしてみて、それまでと生活は変わりましたか?
梶山:特に医療的ケアの部分できめ細かな対応ができるので安全性が上がり、精神的な余裕も生まれ、活動の幅が格段に広がりました。新幹線や飛行機に初挑戦できました。ようやく自分らしさを取り戻して、「自立」と呼べる生活になったと思います。今は、自薦ヘルパーの体制以外の介助を考えるのは難しいですね。まあでも、自薦ヘルパー体制の初期はいろいろあって…。ヘルパーに辞めてもらったりとか。
――差し支えない範囲で、どんなことがあったが聞かせてもらえますか?
梶山:常勤ヘルパーは月180時間も僕と一対一です。自薦ヘルパー体制初期は、定着を第一に考えて僕もフランクな関係を心掛けていましたが、親しくなりすぎると自分の価値観を押し付けてくる人が一定数いるんですね。たとえば、「わざわざ外に出なくても、買い物はインターネットですれば良いじゃないか」と面倒くさがったり。ついには待機時間に遊んでいるなど基本的な敬意や礼儀がなくなっていきました。1人は勤務態度が悪くなりすぎたので、辞めてもらいました。
――長い時間一緒にいたので、緊張が緩んでしまったんですね。
梶山:今は、ヘルパーとの距離感を工夫しています。仲良くし過ぎず、べったりしない。他人のことは心底まで理解できないので、障がい者もヘルパーもお互いに「そんな考え方もあるのか」くらいが気が楽です。僕のことを完全に理解してもらわなくても良いと思っています。もっと言えば、あんまり自分のこと話し過ぎたくない、すべてを全部、知ってもらうのは嫌なんです。僕はいまだに、ベテランヘルパーさんのことも実は良く知らないです。
ヘルパーと障がい当事者が、お互いに見返りを求めすぎないのも大事です。介助に対する使命感の強い人は、「やってあげてるのに」という気持ちが強くなることがあります。当事者が特に期待していないこと、たとえば遠出するたびにお土産を買ってくるとか、当事者が好きそうなものを街で見かけて買ってくるとか。
そのたびに当事者が少し大げさに褒めないと、承認欲求が満たされないので不満が溜まっていきます。最終的には「感謝がないのはどういうことだ」と逆上する、「感謝するのは社会人としてのマナー」と説教してくるなど、関係性が悪くなっていきます。
一度、関係が悪化すると修復はほとんど無理なので、僕もヘルパーもお互いに贈り物をするとしても、相手から見返りを求めない気持ちでいます。「喜んでもらえたらラッキー」と気軽に考えることが大事です。とても当たり前のことですが、僕は基本的にリアクションが薄く「ありがとう」を大々的に表現するのが苦手で、誤解が生まれやすいから特に気を付けています。
天畠:このインタビューの時間中は、ヘルパーの方はどうされているんですか?
梶山:待機中。ご飯を作っています。
――ご飯は梶山さん一人分ですか?
梶山:いっとき、ヘルパーの食べる分もうちで作ろうとしたんですけど、いらないって言うんですよ。学生運動や障がい者運動の初期には、同じ釜の飯を食うとか、良かったと思う。それが続いて、障がい者の自立生活も制度が形になったものだから。でも今はヘルパーを利用する人もヘルパーの数も昔に比べたら増えて、いろんなタイプの人がいて、しかもヘルパーは有償労働で。生活丸ごと一緒にという時代ではないのかなと思います。
――時代が変わってるというのもありますし、介助者の特性もありますね。でも介助者が、黒子になりきれない部分もあると思いますが、5人が「梶山さんチーム」みたいなあり方ですか?
梶山:チーム感、結束感はそんなにないです。チームっていうか、それぞれ好きにやって、という感じ。
――今の梶山さんにとっては、それが良い?
梶山:ヘルパーと当事者はチーム感、色があり過ぎない方がいい。むしろ無色な方が、社会活動とかするにあたっては人が寄ってくる。色が濃いとちょっとね、ヘルパー以外の人たちが僕に話しかけにくくなったりして、引かれちゃうんですよ。
障がい当事者とヘルパーで、責任を分かち合う
――梶山さんが介助者を利用して生活するにあたって、ルールのようなものはありますか?
梶山:喀痰吸引とか身体介助の決まったルーティンは妥協せずに、ちょっとでも手順が違ったり、不快だったらきちんと伝えるようにして、常に緊張感があるようにしています。ポイントは、不快であれば何度でも不快だと伝えることです。ヘルパーが14人もいた頃は十分に教える時間がなく、多少不快でもオッケーを出してしまっていましたが、今は違います。
一方で、最低限のルーティン以外の作業は、ヘルパーに自分の裁量でやってもらいます。というのも、「自己責任」を自分で全てをコントロールし、責任を持つことだと勘違いしてる人が多いなと思うんです。ヘルパーの中にも、僕が自立生活しているからといって「梶山さんが全部悪い」と、自分のミスを僕のせいにしてくるような人がいました。
だから責任をヘルパーと障がい当事者が分け合う姿勢をまず見せるのが大事で、僕が半分、ヘルパーたちが半分、が良いんじゃないかと思っています。ヘルパーへの介助研修は基本的に当事者がしますが、僕の場合は長く働いているヘルパーにお任せしています。
天畠:具体的にはどんなことを任せますか?
梶山:たとえば求人広告は僕が自分でつくりますが、名刺作成や電話対応といった採用まで至る細かいところをヘルパーにやってもらう。
――最終的にはヘルパーの意見を聞いて梶山さんが判断する?
梶山:判断もしてないかもしれない。ヘルパーの判断を聞いて、それいいんじゃない、みたいな。そういう意味では、僕は「自分ですべて意思決定し周囲に頼らない」という、一般的に想定されている自立をしているかは、あやしいです。自立しないで一人暮らししてる感じ。
――今のところ、梶山さんにとっての「自立」はどんな意味ですか?
梶山:不快さができるだけ少ない状態で、自分らしい生活を送ること、でしょうか。自立生活にあたって、必ずしも一人暮らしが最善でもないと思います。ただ少なくとも、大人数のヘルパーが頻繁に出入りするようでは、一人ひとり身体の状況が違う重度障がいの当事者や、障がいを持つ子の親御さんが、安心して任せようという気持ちには到底なれませんよね。自薦ヘルパー利用による一人暮らしは、良い方法の一つだと思います。
――必ずしも一人暮らしが最善ではない、というのをもう少し詳しく教えてもらえますか?
梶山:やまゆり園事件の後、インターネットの掲示板とかを見て感化されて、被告と同じようなことを言い出したヘルパーがいたんです。最初に介助に入ってもらった頃は、そんな感じではなかった。ただなんだろう、障がい者の中でも「できる人/できない人」という捉え方をしていました。スーパー障がい者がメディアでクローズアップされているのを見て、「こういうふうになれないあんたは、社会のお荷物だよ」っていう考え方が生まれるというか。もめましたけど、その人にはなんとか辞めてもらいました。
面接だけでなくある程度ヘルパーを見極める期間が欲しいというか、一緒に生活してみないとわかんない部分ってあるじゃないですか。シェアハウスみたいな場所で、若者と障がい当事者が一緒に暮らして、一定期間バイトで介助に入ってもらって合えば専属ヘルパーになってもらうとか。自立生活を少し外部に開くような、アパートで一人暮らし、だけじゃない スタイルも考えられるのかなと思います。やり方が難しいですが。
――なるほど。簡単には答えが出ない課題ですね。
「やりたいを言える場、反応を示せる場」をつくる
――重度障がいを持つ子どもたち、またそのお母さんたちとのオンラインゲーム対戦の活動について、教えてください。
梶山:新型コロナウイルス感染症が流行してから外出が難しいので、たくさんのオンラインイベントに参加する中で、10代の頃からゲーム好きだったので、重度障がい児の視線入力によるeスポーツに興味を持つようになりました。僕自身、病気が進行してからゲームを諦めていたのもあり、視線入力でできるなら自分もやってみたくて、機器を購入しました。
ゲーム実況の仕組みを使えば、オンライン対戦を観客に見せられます。月一度のペースで、ゲーム仲間や重度障がいのある子どもたちとZoom上で大会を共催しています。回を重ねるごとにスケールアップして、北は北海道、南は鹿児島まで地域を越えて、最近では特別支援学校の先生も参加してもらえるようになりました。
僕は学校時代にリコーダーなどが弾けずに、成績は最高でも2しか取れず、悔しい思いをしました。障がいがあると大好きな音楽でさえも、評価されないのが今の学校教育です。身体が動かないとやれる仕事は、パソコンでの事務業務に限られる現状は悲しいですし、身体をコントロールできることが、絶対的な評価になることに疑問を感じたのが、出発点です。
障がいがあると、「これやりたい」と意思表示しにくい気持ちはよく分かります。ツールがなければなおさらのこと。だからこそ「やりたいを言える場、反応を示せる場」をつくりたいんです。
――子どもたちは、どう反応してくれていますか?
喜んでくれていて、視覚センサーの使い方がどんどん上達しています。ゲームは自己選択・自己決定の連続なので、自我形成や自立生活のトレーニングになります。特に「あつまれ どうぶつの森」のようなシミュレーションゲームで遊ぶことでコミュニケーション能力を高めたり、社交性を身につけたりできます。生活をする上でもっとも重要なことの一つである、金銭管理の練習だってできます。身体が動かなくても、テクノロジーで子どもたちの力は伸びていきます。
このことを信じてもらえるなら、読者の皆さんもぜひ僕たちのeスポーツ部へ入部届を出してください。なかなか大人の障がい者には、重要性が分かってもらえないので寂しいです。いまやゲームもコミュニケーションツールですし、SNSは情報の宝庫、人とのつながりを広げることもできますから、これらの活用が自立への近道になるはずです。これからも本気で子どもたちと遊んで、その効果を体当たりで検証していこうと思います。
――重度障がい児は、親との関係に自分の住む世界が閉じがちですが、インターネットやSNSを利用することで、同世代の友人や親以外の大人と関係を広げ深めることができるように思いました。親子関係が良くなったり、介助を担う人が見つかったり、自立へとつながりますね。「デジタル・ネイティブ」と言われる世代の子どもや若者たちに、どうやって障がい者の権利や自立生活を伝えていくかも課題だと感じました。梶山さん、ありがとうございました!
プロフィール
筋ジストロフィー(デュシェンヌ型)・東京都武蔵野市在住|梶山紘平(かじやまこうへい)
1985年、東京都葛飾区生まれ。3歳の時、筋ジストロフィー(デュシェンヌ型)と診断される。実家で暮らしていたころ、『こんな夜更けにバナナかよ』 (渡辺一史著)を読み、自立生活を志す。2010年、25歳の時に事業所派遣ヘルパーを利用し、埼玉県さいたま市中央区で一人暮らしを開始。一時体調を崩し入院するものの、2012年にさいたま市大宮区で自薦ヘルパーを利用して一人暮らしを再スタート。2017年からは東京都武蔵野市で、常勤自薦ヘルパー5人体制で一人暮らしをしている。気管切開し人工呼吸器を使っており、全介助が必要。
文/篠田恵
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