あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活

Saki Hashimoto

文/岩岡美咲・篠田恵 : 写真/松永よしこ

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活|橋本紗貴2回目

重度重複障がい・熊本県玉名郡在住|橋本紗貴(はしもとさき)

1996年、大分生まれ熊本育ち。5人兄妹の4人目。中学校2年生のときにギラン・バレー症候群を発症し、その後遺症として多発性神経炎を併発。聴覚障害、視覚障害、さらに四肢障害という重複障がい者となる。スイッチや視線による文章入力・読み上げ、メール、環境制御等の豊富な機能を備えたmiyasuku EyeCon(※1)や視線を読み取る装置のトビー(※2)、アームサポートMOMO(※3)を活用してのパソコン操作が可能であり、補聴援助システムのロジャー(※4)や対話支援機器のcomuoon(コミューン)(※5)を活用して音声も聴ける。さらに点字や手話、指文字も習得している。2020年の教員採用試験に合格され、現在は熊本県立黒石原支援学校で教員生活を送っている。

目次

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活|橋本紗貴2回目

PCテイクは障害者手帳がないと受けられない

――次は大学進学について伺いたいです。ルーテル学院大学を志望した理由と、受験時の配慮について教えてください。

橋本:ルーテルを選んだ理由は、高校の公民の免許を取れることと、特別支援学校の認定心理士の免許が取れるので最初にいいなと思いました。調べていくうちに、ルーテルは支援が充実していることもわかって、ここに決めようということになりました。入試は指定校推薦で面接だけだったので、別室で時間を1.5倍に延長していただいて試験を受けました。

 ――大学入試、受験に関しては必要としていた配慮はすべて受けられましたか?

 橋本:受けることはできました。 

――大学生活では、学業のためにどんなサポートがありましたか?

橋本:最初はノートテイクの学生さんは頼んでいませんでした。教授が、タブレットに資料を全部データでくださって、スライドや黒板を見るときには私の手元のモニター、タブレットに映していたので、その方法だったら私だけで大丈夫かなと思ったからです。

でもだんだんと一人じゃ難しくなって、ノートテイクの方を1名つけました。それから1年間、2年生に上がるぐらいまでは1名でやってくださいました。2年生になる頃には聴力がだんだん落ちてきて、教室全体のスピーカーでは聞き取ることが難しくなりました。でも、PCテイクは聴覚障がいの障害者手帳がないと受けられないと言われて、どうしようということから、パソコンじゃなくてノートテイクの方を2名お願いしました。

 ――ノートテイクとPCテイクは別のことなのですか?

橋本:そうです。やる内容は同じなんですが、パソコンになると台数の問題とか予算の問題で障害者手帳がないとだめ。でも、ノートテイクはノートがあればできるというところで、できたんですね。一人はノートテイクをする、もう一人は先生の言葉を書く人にわかれて授業を受けていました。それから障害者手帳もとれるように病院も掛け合っていろんな所に行って、やっと聴覚の手帳が取得できたので、PCテイクをお願いするようになりました。それから手話通訳が入れるところには入ってもらって授業を受けてきました。

 ――やっと、というのは聴覚障害の障害者手帳を取得するときも問題があったのでしょうか。

橋本:私の耳自体がどこかの神経が損傷して悪くなっているというので、耳自体に外傷があったわけではないので、原因が分からないから耳が聞こえないのは精神的なもの、心理的なものと捉えられました。それでずっと78年くらい経ってしまいました。実際、耳は聞こえないので日常生活でも支障が出て会話が難しくなりました。聴力的な問題では下がっているのになんで手帳が作れなくて補聴器で補うことができないんだろうかというところで、取得までやっとという気持ちでした。

 ――精神的なものという判断は、よくあることなのでしょうか? 

橋本:私の周りでは結構ありました。私の体で起こっていることが教科書に載ってないことばかりだったので、医者が知らないから精神的なものというふうにずっと思われていたみたいです。倒れてから聴力が落ちていった時に別の先生に変わって、そこでは明らかに神経の問題で聴力が落ちているから、手帳は取得できるはずだというので手帳の申請をしてくださいました。

――理解のある先生に巡り会えないから不利になる、我慢しなければいけない状況はおかしいと思うのですが、もし理解してもらえない状況があった場合どうしたよいのでしょうか。

 橋本:理解してもらえるまで伝え続けることもひとつの手段なのかなと思います。諦めたらそこで終わってしまうのは大きいですね。 

――このインタビューを読んで、諦めず何か違う手段を、というきっかけになれたらいいなと思いました。

橋本:その考え方に固執しないでほしいなって思います。

――大学の話に戻りますが、大学側の授業への配慮は十分だったのでしょうか。 

橋本:配慮に関してはいろいろ支援センターの方と話し合いを進めて、スムーズじゃないところもあったりはしたんですけど、私的にはすごい十分な支援の中で授業を受けることができました。大学でも理解のない先生もいらっしゃるし、すごく理解してくださる先生もいるし、ほんとまちまちだったんですけど、すごく充実した生活でした。

――どこの世界でも理解のある人ばかりではありませんね。ノートテイクやPCテイクをしてくれる人はたくさんいたのですか?

橋本:人はたくさんいらっしゃいました。ルーテルのサポートボランティアというグループLINEには常に動ける人が200人ぐらいいて、その中から空いてる時間がある学生さんに声をかけるという感じです。障がい学生ボランティアの有償ボランティアに「できますよ」という学生さんが200人ぐらいいらっしゃいました。 

――有償ボランティアだったのですね。

橋本:はい。学生さんとの会話もできるので、すごくいい制度だなぁって大学に入って思いました。

――橋本さんの大学生活には、できることを支えるためのサポートブックがあったそうですが、どのようなものか教えてください。 

橋本:サポートブックは私の障がい状況や、配慮してほしいことを学生サポートの学生さんに伝えるために作りました。障がいも人それぞれで、配慮してほしいこともそれぞれです。一度伝えただけでは覚えきれない不安が、学生さんの中にももしかしたらあるんじゃないかなと思い、サポートブックを作りました。1週間の時間割の中で、誰がどこに入るかは決まっていて、授業が始まる前にノートテイクセットと一緒にお渡しして、なにかわからないことがあったときにはサポートブックを見て、それでもわからないときには聞いてくださいと伝えていました。 

――授業を受けるための有償ボランティアは、橋本さんの授業のサポートだけという感じでしょうか?

橋本:そうですね。私が支援を受けていたときは、授業は授業のサポートというようになってました。私の2つくらい後に車いすの学生さんが入ってこられて、その方には介助する方がついてそして授業のときはまた学生サポートがつく形になってたみたいです。

――身体介助と授業のサポートという区切りなのですね。橋本さんは大学の卒業論文はどのようなテーマで書かれたのですか?

橋本:卒論は「盲ろう者のコミュニケーションツールの一考察」というテーマで書きました。内容は当事者研究のような面もあって、盲ろう者の方へのメールでのインタビューを通して盲ろう者の困りごとをこの先どんなツールを通したら解決していくのかや、実際の困り観を比較しながらまとめました。

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活|橋本紗貴2回目

隣に介助者がいると声をかけられない問題

――サポートをしてくれる方が隣にいることで、同級生や同じ授業を受けている人との関係づくりにおいて何か感じるところがありましたか? 

 橋本:そうですね。授業以外で、サポーターの学生さんとは話す機会も多いんですけど。サポーター以外の同級生には、自分から声をかけにくい環境や気持ちはありました。「隣にいるからその人がしてくれるだろう」「隣にいるから声かけちゃいけないのかな」という気持ちだったと、当時の友達から聞くこともありました。私も隣にサポーターの学生さんがいるのに、違う学生さんに頼んだらちょっとだめかなぁ、失礼かなぁという気持ちもあって、なかなか関係性を築くのが難しいところがありました。

――公的サービスの介助者や学生有償ボランティアの介助者など、重度障がい者の周りに誰かいること自体がなにか、周りとコミュニケーションをとるうえで問題や支障になってしまうのでしょうか?

 橋本:けっこう多いですよね。周りに介助者や、支援をする人がいたら、なかなか声をかけられないというか、かけづらいという話は聞きますよね。

――大学時代に橋本さんの他にも障がいを持った方や、同じように学生サポートをつけている方はいたのですか?その方たちとの交流はありましたか? 

橋本:車いすの学生さんはいなかったんですけど、聴覚障がいの学生さんが私の他に4人いて、PCテイクの支援を受けてる学生さんがいらっしゃいました。私が手話サークルに入っていたときには交流はあったんですけど、手話サークルを途中で抜けてからはまったくない状態になりました。

――同じように障がいのある方を見かけてもなかなか関わる機会がなくて、交流も難しいところがあるなと感じています。

 橋本:同じ障がいを持っている人同士での交流、ありそうであんまりないですよね。もうちょっと交流していたら良かったなという思いもありながら。大学生活で友達との関わりは、自分から声をかけることがなかなかできなくて、他の学生に比べて多くはなかったです。でもクラスメイトから誕生日を祝ってもらったり、一緒にスポーツ大会に参加したりして、楽しい大学生活だった記憶はあります。

 ――お誕生日お祝いをしてもらったのですね。

 橋本:はい。大学1年生の時に初めて祝ってもらって。私、じゃがりこが好きなんで、じゃがりこのタワーが用意されてて、それがすごい印象的でした。

 ――授業以外の移動や身体介助のサポートはどのようなものだったのですか?

 橋本:基本的に母親が学校に待機をして。移動の時もずっと母親が介助をしてくれました。私が授業を受ける場所を空けるために、机をどかすという作業などは全部母親がしてくれていました。2つ下の妹も同じ大学に入学してサポートボランティアに入っていて、支援をしてくれました。

 ――お母さまも大学に一緒に通われて、授業中待機をして移動や食事介助などのサポートをしてくださっていたのですね。その当時の橋本さんの気持ちや、お母さまと周りの関係はどういうものだったのでしょうか?

 橋本:高校までは自分で学校生活を送っていて、大学から母も一緒にとなって母の負担が一番心配だったんですね。母も足が不自由な中、毎日送迎してくれて一日ついて環境を整えてくれていたので体が心配でした。母と周りの関係は、みんなすごく理解がありフレンドリーで、母も輪に入る感じでワイワイしながら学校生活を送っていました。周りも嫌がる雰囲気ではなくて、一緒にしましょうという感じでした。

 ――その時に周りの学生さんが、橋本さん自身にではなくお母さんばかりに話しかけてということはありませんでしたか?

 橋本:それはなかったです。母がいても母にばかり話しかけるというわけではなく一緒に会話に入って一緒にやる感じでした。母も自分にばかり話しかけられている時は「紗貴のことだから本人に聞いて」と伝えてくれていたので、そこは全然問題はなかったです。ただ学生サポートの方になると一緒に授業を受けている雰囲気になって、学生サポートの方ばかりに話しかけるというのがありました。

 ――そこはお母さまの距離感がすごく良かったんだなと思いました。机を動かしたりなどの授業の準備を学生さんが手伝うこともあったのですか?

 橋本:それは手伝ってくださる方もいました。ただ時間がないときは、するので大丈夫ですよって言ってました。

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活|橋本紗貴2回目

不安はなかった、初介助者と講演会参加

――ご家族のサポートがあって、大学生活を4年間過ごされたのですね。大学に入学されるときに、介助者をつけることは考えたりしませんでしたか?

 橋本:つけるという動きで進めていたんですけど、何度交渉してもやはり当時は通勤通学にはつけられないということでした。悩んだ末に家族にお願いするかたちをとりました。

――大学進学に介助者がつく、つかないという問題はすごく大きなことですね。大学の配慮事項やサポートブックは橋本さんが個人で作られているものでしたが、ネットで橋本さんの取扱説明書を拝見しました。この取扱説明書(※6)を作るようになった経緯を教えてください。

 橋本:取説を作るようになったのは、3年前に島根大学の伊藤史人先生の講演会に講師として行かせていただく機会があって、そのときにどうしても家族が行けなかったからです。でも私は行きたかったので、伊藤先生を通じて介助者を募集しました。そしたら介助者の方が「いいですよ」と言ってくださったので、それをきっかけに。34日一緒に他人介助で過ごすことになって、介助してくださる人も初めてのことで、すごい不安を感じられるだろうからと、島根大学の伊藤先生のアドバイスをもとに介助者の不安をどうにかして解消したい、和らげたいという思いから作りました。

――現在は日常生活で介助者を利用していないとのことでしたが、旅行に行くときに初めて介助者をつけることは勇気が必要だと思います。取扱説明書を作るときに工夫したところはありますか?

橋本:作るときに工夫したところは、簡潔に書くこと。具体的に書けるところではイラストをつけたり。例えば補聴器の保管の仕方は日頃から見る機会も扱う機会も少ないと思って、電池の蓋を開けるところとかの写真を一枚一枚撮って、それも全部手順書で順番通りに並べて、一つの補聴器についての説明書ができあがりました。ほかのところでは、これまで起こった大変だったできごとや、困難だったできごとを付け加えて、どんなところで困るのかを具体的に示して書きました。緊急時のところでは、私は発汗機能の障がいによって身体に熱がこもりやすく、もし熱がこもったら、とにかく冷やすことが一番なんですけども、冷やしたら命に関わるところもあるので、その部分に関してはイラスト付きで、「この部分は冷やさないでください」というのを大きく載せたところを工夫しました。

――写真やイラストを使って具体的に書くのですね。初めて介助者との遠出に不安はありませんでしたか?

 橋本:うーん。大きな不安っていうのはなかったですね。行ったらどうにかなるんじゃないかなという気持ちのほうが大きかったです。何かあった場合に考えられる事態のことは前もって考えておくけど、それから先、考えてわからないようなことはもう行ったときにしかわからないから、どうにかなるんじゃないかなっていう気持ちで行きました。

――大きなトラブルは特になかったですか?

 橋本:予想していなかったトラブルは、私の体調が崩れたことです。一日目から身体に熱がこもって。日頃はある程度身の回りのことは自分でできるんですけど、身体がまったく動かなくなって、全介助になったことは予想していなかったことでした。

――初めての介助者たちは、その時の対応は大丈夫だったのでしょうか?

 橋本:たぶんびっくりされたのはされたとは思うんですけど、ついていってくださったお二人の方も医療関係でPTOTの先生だったので、介助はベテランの感じで。行った先にも車いすで一人暮らしされてる女性のところに泊めさせていただいて、そこの介助者さんが一緒にサポートしてくださいました。

――そういうトラブルも考えておかないといけないってことですよね。 

橋本:もうどうしようかと思いました。島根の旅行では想定外のトラブルも学びました。

――島根旅行では体調不良を乗り越えて目的の講演会に参加できたとのことですが、伊藤先生は橋本さんとどういうご関係の方でしょうか?

 橋本:伊藤先生は島根大学の先生です。最初にお会いしたのが3年前、Don TACというイベントで、そこに講師として伊藤先生が呼ばれていました。私もたまたまそのDon TACに参加していて、伊藤先生を知ったんです。そのあとに教育実習のことで伊藤先生に相談したら、なにかが変わるんじゃないかなという気持ちがあって、私から連絡をしたのが始まりです。それからいろんなサポート、支援機器や支援制度のことを教えてくださいました。教育実習も伊藤先生の繋がりでサポーターの方が集まって、教科書のテキスト化をしてくださったりしました。

――大学生活から教員採用試験に合格されるまでの時代を振り返ると、橋本さんにとってどういう人生だったと思いますか?

 橋本:障がいの受容が途中でまだまだできてなくて、周りがちょっとうらやましいなと思った時期もありました。自分でできることを精一杯やる、何事にも諦めない気持ちを持てて、たくさんの人と出会って、頑張り続ける力、生きる力をもらって、踏ん張りどきの時期だった、成長するために必要な時期だったかなって今振り返ると思います。

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活|橋本紗貴2回目

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活

――コロナ禍の現在は毎日学校に通勤しているのですか?

橋本:常勤の教師として採用されていますが、20206月に体調を崩してからは週5日の出勤はやめておいたほうがいいだろうということで、今は週3日出勤し、残り2日間は在宅勤務しています。

――橋本さんの働き方は「ハイブリッド」だと思いました。しっかりとした配慮の体制が整っているのですね。

橋本:恵まれた環境で仕事をさせていただいてます。

――もともと通勤や就業時間も重度訪問介護サービスは利用できないという問題があります。現在は通勤がどういう状況なのか教えていただけますか?

橋本:今も両親の送迎で通勤してます。両親の出勤時間に間に合うように私は出勤してるので、朝6時半に家を出て、帰りは午後7時前になることもあります。

――学校にいる間の介助はどうなっているのですか?

橋本:学校にいる間は教諭支援員がお二人、午前と午後でついてくださっています。身体的介助はないんですけど、授業で使うコンセントを差すなど、支援をしてくださる方々です。

――現在、介助者は利用されてないということでしたが、今後利用したいという思いはありますか?

橋本:あります。重度訪問介護を使いながら一人暮らししていけたらなという希望はあります。

 ――一人暮らしをしてなにがしたいですか?

 橋本:一人暮らしをしてやりたいことは、好きな所にちょっとお出かけがしてみたいです。たとえば私、海がすごい好きなので、スキューバダイビングやりたいなと思います。テレビで障がいのある方がスキューバダイビングされてるのを見て、「やりたいなぁ」って思いながら。

――ぜひチャレンジしてください。

橋本:はい。いつかチャレンジしてみたいです。

注釈

1.miyasuku EyeCon https://www.miyasuku.com/

2.トビー https://www.creact.co.jp/

3.MOMO https://www.j-d.co.jp/welfare/momo.html

4.ロジャー https://www.phonak.com/jp/ja.html

5.comuoon(コミューン) https://u-s-d.co.jp/pickup/about_comuoon.shtml

6.取扱説明書 http://www.poran.net/ito/wp-content/uploads/2018/07/b93312a6ee3b8f421faa7c2048606dc2.pdf

橋本先生式“ハイブリッド”教員生活|橋本紗貴2回目

プロフィール

重度重複障がい・熊本県玉名郡在住|橋本紗貴(はしもとさき)

1996年、大分生まれ熊本育ち。5人兄妹の4人目。中学校2年生のときにギラン・バレー症候群を発症し、その後遺症として多発性神経炎を併発。聴覚障害、視覚障害、さらに四肢障害という重複障がい者となる。スイッチや視線による文章入力・読み上げ、メール、環境制御等の豊富な機能を備えたmiyasuku EyeCon(※1)や視線を読み取る装置のトビー(※2)、アームサポートMOMO(※3)を活用してのパソコン操作が可能であり、補聴援助システムのロジャー(※4)や対話支援機器のcomuoon(コミューン)(※5)を活用して音声も聴ける。さらに点字や手話、指文字も習得している。2020年の教員採用試験に合格され、現在は熊本県立黒石原支援学校で教員生活を送っている。

文/岩岡美咲・篠田恵

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