あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載3回目

「あんたは生活保護なのに」介助者から受けたハラスメント:「障害当事者として綺麗なことだけを書いて、虐待をなかったことにはできない」

Asagiri Yuh

文/油田優衣 : 写真/中井和味

ウェルドニッヒ・ホフマン症、シンガーソングライター・作家|朝霧裕(Asagiri Yuh)

1979年、埼玉県生まれ。愛称は「ダッコ」。筋肉の難病ウェルドニッヒ・ホフマン症(脊髄性筋萎縮症)のため、車いすの生活、24時間の介助サポートを得て、さいたま市で一人暮らしをしている。シンガーソングライターとして、コンサートやライブ活動、学校講演を行うかたわら、エッセイを執筆。「障害の有無、世代を問わず、誰もが輝ける社会」を夢として、書き、語り、歌う。
著書に『いつかの未来は夏の中』(七賢出版, 1995年, 本名・小沢由美の名で出版)、『命いっぱいに、恋 ―車いすのラブソング―』(水曜社, 2004)、『車いすの歌姫 ―一度の命を抱きしめて―』(NKKベストセラーズ, 2010)、『バリアフリーのその先へ! ―車いすの3.11―』(岩波書店, 2014)など。

目次

介助者から受けたハラスメント 「あんたは生活保護なのに」

油田:だっこさんは、ご著書『バリアフリーのその先へ!―車いすの3.11―』の中で、もう10年以上前かと思いますが、過去に約2年間、ご著書によると東日本大震災の少し前くらいの時期まで、介助者からハラスメントを受けられていたということについて書かれてましたよね。あれを拝読して、すごいなというか、よくあそこまで開示してくださったなというか……。あの本で、救われた、エンパワーされた人がどれだけいたんだろうかと思ったんです。

朝霧:そう思っていただけたなら、書いてよかったです。あのときは、「今いるここは、地獄だな」と思いながら生きていました。生きながら死んでる感じ。うつ病になり、精神科のお医者さんにも通っていました。私は今、障害基礎年金と生活保護を受給をして、講演やライブで収入があったら区の福祉課に毎月必ず申告をして、合わせて家計にしています。でも、生活保護を受けている人に対する偏見って、昔は本当にすごくて。私は介助の間に、介助さんから、障害を持ってる人の中でも、一般企業にお勤めができて、健常者の方と同じように働いている障害者は、『いい障害者』。生活保護を受けている障害者は、ずるをしていて怠けで、障害に甘えている『悪い障害者』。
「ずるでもらってるんだ」と、生活保護の受給に起因した、精神的な虐待を受けたことがあります。「いつまで障害に甘えて、そんなズルみたいなことしてるの? もっと頑張りなさいよね」みたいな言葉。最初は、純粋に、私の様々な活動が広がっていくようにという励ましの気持ちもあったのかもしれないけど、それにしては言葉の選び方が違うっていう……。言葉の端々が、どんどんよくないほうにずれていってしまって。例えば、サイゼリヤとかで500円のランチをしたら、「あなたは生活保護をもらってるのに、外食なんてしてもいいの?」って言われたり。生活を監視していじめてやる、という感じ。また、その頃もライブの活動とかは頑張っていたので、その仲間で打ち上げとかあるわけ。それだって、そんなフランス料理のフルコースとかじゃない。みんなで割り勘で、人並みの、いや、人並みより安いくらいの打ち上げの値段。それについても「あなたは生活保護なのに、そういうの参加してもいいの?」って言われたり。すべてが、「あんたは生活保護なのに」っていう言い方になってきた。脅しのような暴力的な言葉、悪口や陰口も出るように。それはもう何が理由でも介助さんが言ったらアウトっていうような言葉でした。最初は年の近い女性同士の、おしゃべりの延長の痴話げんかみたいなことだったかもしれない。でも、ちょっとしたからかいの発言をその場でパッと是正できなくて、はっきり言えば止まったかなというところを逃してしまったゆえに、だんだん、「この人だったら言っても怒らないから、もうちょっと言ってもいいのかもしれない」みたいになって。エスカレートしてしまいました。

油田:はじまりは、生活保護を受けてる人への差別に基づいた、些細な発言みたいなところから徐々にエスカレートしていったんですね。

朝霧:例えば、ニュースとかを見て、何も考えずパッと「ああいう人たちって不正受給とか多いって言いますよね〜」って言ってしまう人もいるじゃないですか。実際に数字を調べれば、0.4パーセント。でも、そういう、「良くない人たちであろう」という無意識の強い偏見を日常下に抱いていた対象が、実際に目の前にいるものだから、「あなたもどうせそうなんでしょう」っていう言い方にだんだんすり替わってくるみたいな感じです。メディアの極端な生活保護バッシングも、昔は今よりも遥かに多かったと思います。今このコロナ禍に、「生活保護は国民の権利です。ためらわず申請してください」と厚生労働省の皆さんが進んでTwitterに書いて下さる時代が来ようとは、当時には、夢にも思わなかった。

油田:だっこさんはさっき、ちょっとしたからかいの発言をその場でパッと是正できなかったって仰っていましたが、なかなかそれを指摘するので難しいですよね。最初の時点では自分自身も攻撃されてることに気付けないかもしれないし、気づけたとしても、これくらい(些細なこと)だったら言わないでおくほうが平穏だし、ってなって、なかなか言えないと感じまして。

朝霧:その人に介助を頼んでたら言えません。でも、今ならば、通報する。今は法律(障害者虐待防止法)があるから。

油田:言ってすぐその介助者を変えてもらえるんだったら、まだ強いけど、そうじゃない場合の方が多いですよね。圧倒的に腕力的にも権力関係的にも劣位なのに、相手の発言を是正するのは、かなり難しいよなと思いました。ほんと、想像するだけでしんどいです。

朝霧:しんどかった。

油田:当時、相談するの難しかったのは、なぜですか?

朝霧:月に1回ぐらいしか介助に入らないっていうくらいの方ならたぶん言えたんだけど、当時、その介助者がいっぱい入ってたんです。辞めてもらったあとにシフトが埋まるのか?とも考えたし、介助中に何をされるかわからないと考えて、恐ろしかった。

油田:介助者同士では注意できなかったんですね。

朝霧:できなかった。自分が注意することで、だっこさんに仕返しがあったら……と考えてくださったんだと思う。障害者虐待防止法ができたのは、私が虐待を受けていたときよりも後だったんですが、それができたとき、制定施行ってなったとき、泣きました。つーって涙が出た。

油田:だっこさんの実感的に、その法律があったら違ったっていう感覚はあります?

朝霧:法律が周知されていたらまったく違ったと思う。最初は、まだ今ほどすぐに知られなかったし。実際、法律ができたから1日目からじゃあ訴えられるかっていうと、できない人のほうが多かったと思います。今と同じレベルまで知られて、現場の介助者全員の周知の事実になっていたら、まったく違ったろうと思います。でも、当時だと、何うるさいこと言ってるのみたいにしか言われなかったんじゃないかな。

油田:利用者が勝手に騒いでるみたいな?

朝霧:そう。当時は、まだ「障害者って、ちょっとなんかあるとすぐ『差別が~』とか『権利が~』とか言うよね~」みたいに、虐待をする側に潰される時代だったよ

油田:ハラスメントの件はその後、どう収束していったんですか。

朝霧:最初は、社長さんにも、「女性同士だし、いろいろあるよね」くらいにしか思われていなかったかと思います。いじめや虐待は巧妙で、他者が見ていない時に、他者に気づかれないようにしか行われません。だから、暴力的な言葉や態度を日常的にされているとは、想定外のことだったのだろうと思います。介助中の報復がこわかったから、私の言い方もとても弱かったろうし、その介助さんも、社長さんの前では、良いスタッフとして見えるように、ふるまっていたのかもしれません。でも、いろんな過激な言葉がメールなどに残ったので、それをもとに事業所の社長さんにも再度相談。すぐに行政と警察に行きましょうとなって、迅速に解決をしました。当時のスタッフさんが入れ替わってからは、やっと、私自身の生活を取り戻しました。

勇気を出して虐待に遭っていたことを公開
「障害当事者として、綺麗なことだけを書いて、虐待をなかったことにはできない」

朝霧:このことを本に書いたのは、こういう経験って、全国で私たった1人のことなんだろうか?っていう疑問があったからです。虐待って、殴る蹴るだけじゃない。それに、虐待を受けた側は、私にも悪いところがあるかもしれないとか、「あなたのためを思って言ってあげたんだから」って言われてしまえば、そうかなって思ってしまったりする。まして、介助を受ける側が、介助をしてる人に何か強い言葉を言われたときは、なおのことそう思わされてしまうんです。
まだ、私は居宅だったから、友達はいたし、音楽活動もやってたし、冷静に考えれば、誰かしらには相談ができたと思います。例えば、携帯で証拠を録音をするとか、できることもある。でも、これがもし、施設の中や家族の中でだったら、携帯電話やパソコンを取り上げられてしまうかもしれない。今、私よりももっととんでもない状況にいる人が絶対にいると思って。
だって、もう当時でも人前でコンサートとかしてたし、本は書いてたし、自分で言うのも本当になんですが、障害を持つ方々というくくりの中では、私結構、有名だったと思う。でもね、この私でも(虐待に遭うの)……!?みたいな気持ちがあって。これだけよくしゃべる私がこれなんだから、もっとおとなしい人、性格的に内向的な方が故意にターゲットにされたら。まだ介助さんならどうしてもの問題があったら変えてもらえるけど、でも、家族だったら? 逃げようがないよなとか、そういうことを思って。

油田:そうですね。そこしか行き場がない、もう逃げようもない方が、外部に訴えるっていうのは、すごく難しいと思います。

朝霧:本に書いたときは、ちゃんと社長さんとかにも事前に許可を取りました。障害当事者として、ここを書かないで綺麗なことだけを書いて、虐待をなかったことにはできないですと話をしたときに、「事業所としても、二度と同じことが起こらないようにという誓いの意味でも、書いていただいて構いません」とご理解をいただいて、書きました。
その後たくさんの反響をいただいて。家族から金銭的な虐待を受けてます(障害年金を家族にギャンブルなどに使われている)っていう声をもらったり、施設の中で虐待があったところから逃げたサバイバーである車いすの方にも会ったりしました。

油田:だっこさんもまさに虐待を生き抜いたサバイバーですよね。だっこさんの経験がやっぱり世に出ることで、私だけじゃないんだとか、これはおかしいことなんだ、自分が悪いわけではないんだと思えた人たちがいっぱいいると思うし。だから、その事実を公表されたってことは、苦しんでる人にとって、1人じゃないよ、あなたは悪くないよっていう、すごい大きいメッセージになっただろうなと想像します。綺麗ごとでまとめないっていうのは、とても大事なことですよね。

朝霧:そう思います。だって、ほとんどの介助さんは、素敵な方です。100人いたら99人は素敵な方なんです。そんなことは、みんな分かってる。介助さんたちや医療関係者の皆さまに、障害当事者である私は感謝してます。それは当たり前。だから、そこまでは誰でも書ける。だけど、私たちも、障害や生活をこう言われたら、傷付くことも、怒ることもあるよ、とか。天使じゃないので、本当のことをさらけ出さないと、うん……、当事者の語りの価値はないと思ってるから、勇気がいったけど、書けたことはよかったと思います。

油田:メディアでの障害者って、しばしば、きれいな部分とか、魅力的な部分、かっこいい部分、すごい部分だけを切り取られるじゃないですか。もちろん実際にその人がすごかったり、魅力的だったりはするんだろうけど、人間ってそんなすごい面なだけであることは滅多になくて。みんないろんなこと悩んでたり、弱さがあったり、ずるいとこもあるわけじゃないですか。そういうとこを含めて等身大の姿を伝えることはとても大事だと思っています。ロールモデルとしてどう自分を見てもらうようにするかって、すごく大事なテーマだなって。

ハラスメントが起こっても、告発するのが難しい障害者の弱い立場

嶋田:これまでの話を聞いて考えていたのですが。在宅での虐待の数は、施設に比べて少ないという調査結果があって、そういう面では、自立生活そのものが当事者の置かれた弱い立場を解決するための一つの糸口だと思います。でも、自立生活の中でも、虐待がそれに類することが起きてしまうことはある。じゃあ、それをどうやって予防したり、破局的なものにならないようにしていけばいいのだろうか、と考えていました。そのヘルパーが常勤だったりすると、それで辞めてくれっていうのはとても言いづらかったりすると思うんです。その背景には人手不足という状況もあるわけですが、そのような事態はやっぱり問題がありますよね。そこから変えていかなきゃいけない思いつつ、どうやって変えたらいいのか……。もっと手前で、介助者の虐待の芽をどうやって摘むことができるのか……。そういうことを聞いてて思いました。

油田:障害がある人が虐待を受けたときに、それをどう解決していくか、そこからどう当事者を救済するかって、まだちゃんと整っていない面があると思うんです。私の知り合いで事業所からハラスメントを受けていた人がいて。でも、その事業所のおかげで一人暮らしできてるから、強く言えないっていう面もあったりしたそうで。その方の話を聞いて、私たちってすごい弱い立場だなって痛感したんです。そういう人たちがちゃんと救われて、虐待を訴えた後も、それまでと同じようにちゃんと介助者を派遣されて、生活のインフラが維持されるような、そういう仕組みみたいなものを作る必要がありますよね。

朝霧:そう。「文句を言うんだったら、じゃあ、お宅にはもう派遣しません」って言われたらそれまでっていう。こんなに弱い立場ってない。

「私も苦しいんだから、あんたも我慢しなさい」はおかしい

朝霧:ハラスメントが起こるような状況をなくしていくには、やっぱり人権という意識が大事になってくると思うんです。日本では、「権利が~、権利が~って言うやつはどうなの」「障害だからって権利ばっかり言って」って言う一定の数の層の人がいるでしょ。だけど、言っている人達って、超幸せに生きている層なのか知りたい。だって、人が幸せに生きる権利って、障害の有無に関係なく、全員に平等にあって、病気になったとか、災害に遭ったとか、新型コロナウイルスが来たとか、どんな状況下でも、それは守られなきゃいけない。もちろん健常者も、全員。そのあたりを、丁寧に教える人がいなくて、ただ、うわべで、「障害者には優しくしましょう」で終わってる。それってなんか変じゃない?

油田:ほんとに。優しさじゃないんだっていうことですよね。だっこさんの本の中で、弱者が弱者を攻撃してしまうことが指摘されていましたよね。今の話で言うと、健常である人自身にも権利があるんだということ、何かおかしいと思ったら訴えていいんだみたいなことが知られてなくて、健常者の人も我慢してる。そのしんどさが権利を訴えてる人への妬みになって、彼らを攻撃するということが、すごく多いなと思ってて。なんだか被害者同士が戦わされているみたいな感じですよね。

朝霧:そうだと思う。本当に、経済的にも精神的にも満たされてる人がいたとしたら、人のことをいじめようなんて思い付きもしないと思う。税金なんてどんどんいっぱい払いたいし、それが必要な人に使われたら嬉しいと思うだろうし。人をいじめたり攻撃したりする人は、他人への攻撃として発露する前に、本当は自分に何か助けてほしいことがあったんじゃないかって思う他、気持ちの置き所がないわけ。その人も、外に何かを訴えることや、助けを求めることができなかった人かもしれないです。だからって、人に当たっていい理由にはならないけどね。

油田:なるほどです。でも、「私もつらいんだから、あなたも我慢しなさいよ」というふうに、自分にも他者にも我慢とか自制を求めるのは違いますよね。

朝霧:そう。その真逆の世界にいたい。

油田:あなたもつらい。私もつらい。じゃあ一緒に声をあげよう。そうなってほしい。でも、今の流れはその逆だと感じることが多々あります。例えば、この前の伊是名夏子さんの乗車拒否事件が起こった時、障害がある人の中にも伊是名さんを批判する人がいて。「私だって、必ず電車に乗る前にいつも電話かけるし、駅員さんに感謝してるのに、なんでそんな言い方するんだ。感謝が足りない!」みたいなコメントもたくさんあって。でも、そもそも、車いすユーザーではない人はしなくていい事前連絡を課すこと自体が不平等だし、お金を払って電車に乗ってるんだから別に無駄にぺこぺこ感謝の意を表明する必要はない。感謝しなくてもいいって言ったって、私たちは一日何回も「ありがとう」を言えというプレッシャーに晒されて、たぶん普通の人よりたくさん「ありがとう」を言ってる(言わされてる)と思いますが、それはさておき……。

朝霧:そう、だから、感謝はしてるんだって! ほんとに! あと何万回言うと良いわけ?(笑)

油田:本来ぺこぺこ感謝する必要なんてないし、乗車拒否にあった時はおかしいって言っていいし、事前連絡ってそもそもおかしくない?みたいなことを言ってもいいんじゃないかっていう方向に行けばいいんだけど、その逆で、一緒に我慢するべきだとなっている。いや、そっちじゃないでしょっていう。そうしてたら、社会は変わらない。どうしたら、みんなで声をあげる方向にもっていけるのかなとか思ったりします。

どんな状態・状況になっても、幸せに生きることを諦めなくていい社会を

朝霧:例えば、生活保護のバッシングをする人って、ご自身もお金がない場合も多いと思う。だって本当にお金がある人は、人様のバッシングなんかしないから。たぶん、生活保護の受給当事者の人をバッシングするのは、ご自身が生活ぎりぎりの、ワーキングプアの層の人とか。自分も苦しいって思ったら生活保護を受給したらいいし、それは権利として国に保障されていること。でも、俺は/私はそこまでは落ちぶれたくないっていう価値観の人もいる。それって、やっぱり、昔と同じで、生活保護を受けてらっしゃる人たちを自分より下に見てる。生活保護を受けることを「恥」と思っているということだよね。私も、実家を出る以前には、そう考えていた年齢があったけど、やっぱり、それは、差別なんだよ。
みんなで生きやすい方に行けばいい。社会制度は使えばいい。私は我慢はこれまですごくしてきた。何度も体を壊したことがあるのでもうしない。健常の人だって、1年365日いつも元気で鋼のメンタルってわけじゃない。みんなできないことがあるし、弱いところがあってもいい。そこを補い合って、自分にも優しくまわりにも優しくしたらいいのに、「自分にも厳しく。相手にももっと厳しく」になっている。
私たちは、人に迷惑を掛けるなって言うふうに、お母さんのお母さんのお母さんのお母さんぐらいから、きっと教わってきたけど、この間、ネットであるインドの格言を見たんです。インドの人は、「あなたはこれから、人に迷惑を掛けて生きていくから、人のことも許してあげなさい」って教えるんだって。すごいいいなと思って。補い合って当たり前だって、もっと教えればいいのに。

油田:人に迷惑を掛けるなっていうのは、結局、あなたは私に迷惑を掛けるなってことですもんね。

朝霧:そう、すごい怖いよね。そりゃワンオペ育児にもなるよ。障害を持っている人が見てる問題って、全部に共通すると思うんです。制度は使っていいし、いろんな人の手を借りていいし、みんな自分に優しくしていい。だから、人にも優しくしようよって、教えればいい。なのに、障害者は役に立たないから殺していいとか、俺は学生のとき障害の人をいじめてやったんだぜって威張るとか、ホームレスの人は邪魔だからいなくていいとか、しかもそれをお笑いのネタかのようにメディアで言うとか、定期的にそういう悲しいなと思うことがあって。怖いよね。
コロナ禍で、障害・健常関係なく、みんなが不自由になって、今、コロナ対策の給付金をズルという人なんかいないと思うし、生活保護の当事者に対しても、偏見や差別は昔よりは、はるかに少なくなったと思うけど、ちょっとでも「パーフェクトヒューマンな健常者」の道をはずれたら、ハイ、もう人生終わり、みたいな? そんな社会は怖い。助け合い、生きるために、他者がいるし、社会制度があるんじゃん。いつ誰に何があっても、絶対に、みんなで生きるほうに行く。

そのためは、一人ひとりが、生きる苦しみではなく、喜びの中に生きるために、声をあげていくこと、障害当事者だけじゃなく、あらゆる「自分の人生の当事者」が、今、語ることが求められていると思っています。

油田:今回はだっこさんに一人暮らしに至るまでの話や、ハラスメント被害のお話、ヘルパー利用の体制などについてお話を聴いてきました。本当に示唆に富む話ばっかりで、障害当事者の方にも支援者の人にも、本当に届いて欲しい内容だなと思いました。最後に言い残したことがあれば。

朝霧:学校、仕事、介助、生活など、目の前に、人生の選択肢があったときに、柔軟な選択の自由が、世の中に広がっていけばいいと願うばかりです。生活保護を受給しての暮らしや、虐待の体験なども話しましたが、今、何らかの悩みの渦中にいらっしゃる方がもしも読んでくださっていたら、一人で悩まないでください。この記事が、だれかの生きる力につながりますように願います。

油田:まさに、今日のだっこさんのお話も、いろんな人にとって参考になる情報がたくさんで、当事者をエンパワーする要素が詰まってると感じました。長い時間ありがとうございました。

プロフィール

ウェルドニッヒ・ホフマン症、シンガーソングライター・作家|朝霧裕(Asagiri Yuh)

1979年、埼玉県生まれ。愛称は「ダッコ」。筋肉の難病ウェルドニッヒ・ホフマン症(脊髄性筋萎縮症)のため、車いすの生活、24時間の介助サポートを得て、さいたま市で一人暮らしをしている。シンガーソングライターとして、コンサートやライブ活動、学校講演を行うかたわら、エッセイを執筆。「障害の有無、世代を問わず、誰もが輝ける社会」を夢として、書き、語り、歌う。
著書に『いつかの未来は夏の中』(七賢出版, 1995年, 本名・小沢由美の名で出版)、『命いっぱいに、恋 ―車いすのラブソング―』(水曜社, 2004)、『車いすの歌姫 ―一度の命を抱きしめて―』(NKKベストセラーズ, 2010)、『バリアフリーのその先へ! ―車いすの3.11―』(岩波書店, 2014)など。

文/油田優衣

この記事をシェアする