あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

「同性介助の原則」の本質って?

Satoru Ueki

文/篠田恵・油田優衣 : 写真/其田有輝也

屋外で、小さなレインボーフラッグを両手に持って、カメラに笑顔を向ける植木さん。

脳性麻痺|植木智(うえきさとる)

1985年生まれ。高校生のころから自立生活センター(CIL)と接点を持ち、大学入学と同時に自立生活をスタート。卒業後はCILで働いた。FTMトランスジェンダー※1、パンセクシュアル※2。現在は重度訪問介護を利用して一人暮らしをしながら、講演活動のほか、YouTubeチャンネル「セクマイ障害者 ウエキチCh.」※3で障害のあるセクシュアルマイノリティに関する情報を発信している。
植木さんへのご連絡はこちら≫連絡先:sekumai.uekichich@gmail.com

目次

屋外で、レインボーの小さなフラッグを片手に掲げ見つめている植木さん

失敗もしながら作り上げてきた、「助けて」と言える仲間

油田:大学卒業後のお話をうかがっても良いですか?

植木:就活として、自立生活センターに面接に行きました。面接はうまくいったんですけど、休憩中に「女性障害者がほしかったから、(植木さんが来てくれて)良かった」って言われて「あ、しまった」と。

たしかに女性障害者がまだまだ声を上げづらい中で、女性の当事者スタッフは必要で。でも自分が女性障害者として働くのは無理だなと思ったので、その話は断って、1年間就職浪人しました。

――その後、植木さんは関西に引っ越されますが、どんなきっかけだったのですか?

就活中に受けたピアカンの参加者の介助者が、トランスジェンダーっぽかったんですよね。仮にS君としますが、そのS君と喋りかけたかったけど、なかなか難しくて。向こうも(自分に)気づいてて、「連絡先交換しよう」って言われたんだけど、なぜか自分がびびって逃げてしまって(笑)。その後、知り合いから、関西のCILの介助者にトランスジェンダーの人がいるって聞いて「絶対あの人や」と確信しました。その時、その関西のCILから就職を誘ってもらって、やっぱりトランスジェンダーの人が働いているところで生活したいなと思って。プロレスが疎遠になるのでちょっと迷ったんですけど、もう限界だったんで、(セクシュアルマイノリティの)当事者がいる中に行きたい一心で、関西に行きました。

S君とは仲良くなって、いろいろ話を聞いてもらって。「俺もようわからんことがあったし、男でも女でもどっちでもなくても俺は友達だと思ってるで」って言ってもらえました。でも、最初はその人のこともうまく信用できなくて、一回ぶち切れられたことがありました。

――どういう出来事だったんですか?

植木:勤め先のCILで連泊の大きいイベントがあったんです。S君は、トランスジェンダーであることで困りやすいトイレや風呂についていろいろ手立てを考えてくれてたんけど、こっちが勝手に(参加を)やめるって決めてしまったんです。もうなんか嫌だっていう気持ちの方が勝ってしまって。調子も悪くなって、仕事も行けなくなって。助けてほしいと言えなかったんですよね。そしたら、イベント当日にみんなを見送りに行ったときに、S君から無視されたんですよ。明らかによそよそしくて。連泊イベントの期間中に、なんで怒ってるんだろうってずっと考えてました。

後日、S君が介助に入っている先輩の障害当事者の家でごはんを食べたときに、S君に「ごめん」って言ったら、「なんで相談せんかってん、友達やろ」って怒られました。それまでは深い人間関係を築けたことがなくて、そんなふうに言ってくれる人がいなかったから、すごい申し訳ないのと、でも嬉しかったです。先輩の障害当事者はその間、ずっと見守ってくれました。「時間とってごめんなさい」って思ってました(笑)。

特にあの時期は、男らしくっていうのを意識しすぎてました。男ってSOS出したら弱いからダメだみたいな、そういう規範があるから。そこまで取りこまなくてもよかったものを取りこんじゃったなって。

S君が介助に入っていた先輩の障害当事者にはカミングアウトしていたので、和解後はみんなで一緒に旅行に行ったり、遊んだりして、やっぱり自分はトランスジェンダーなんだなって思いました。その後スタッフ全員にカミングアウトして、その1年後に介助者を(女性から男性に)変え始めました。

――信頼できる人間関係ということを考えると、ヘルパーと当事者が一緒に活動するような自立生活センター的な場があるのは良いなと思いました。自分の介助に入っていなくても、なんとなくヘルパーの人となりがわかるというか。

植木:そうそうそう。そもそも、なんというかなぁ、信頼するっていうのが難しくなってきちゃうんですよね。(障害者運動からもセクシュアルマイノリティのコミュニティからも)どっちからも差別を受けて、「自分は一人だ」って思っている人に、いきなりみんなを信用しろって言われても難しい。

自分はたまたまFTMトランスジェンダーの介助者と出会えたから、今の自分があるだけで、ラッキーだっただけなんですよね。みんながみんな当事者にバッタリ出会えるわけじゃない。だから、自立生活センター領域でも、障害福祉全体でも、当事者じゃなくても、ちゃんとLGBTQの正しい理解があって当たり前になってほしいです。

でも、理解してるかどうかって見た目ではわかんないから、なんかこう、レインボーのストラップがついてるペンを持ってるとか(笑)、ひそかに「わかってますよ、自分は」みたいな。もちろん、本当にわかっている人は、ですけど。そういう、アライですよっていうのがわかればいいなって思うんです。

撮影に使うレインボーのフラッグを介助者に手渡してもらう植木さん

介助者を女性から徐々に男性へ

油田:どういうふうに(介助者を女性から男性へ)移行していきましたか?移行していく中で困ったこと、大変だったことなど、ありましたか?

植木:大学生の頃と関西に引っ越してからの数年は女性から介助を受けていました。もちろんカミングアウトしてないしんどさもあったんだけど、何よりも介助ってすごくプライベートな空間じゃないですか。介助が必要ない人だったら、そこで素の自分に戻って生活できるんだけど、自分は介助が必要だから、そこでも演じないといけないっていうのがあって。

油田:演じないといけない……。

植木:トランスジェンダーだとか、性別に違和感があるとか、女性が性的対象になるってことを相手に悟られないように毎日毎日毎日やるのがしんどくって。かといって男性の介助が良いのかっていうと、当時はそもそも自分にとって「同性」がどっちかわかんなかったし、身体は女性であるってことで性暴力を受けるかもしれないっていう不安もありました。

油田:自分のプライベートをさらけ出したら、介助者などから差別にあうかもしれないと……。それは、介助が必要な障害者であり、セクシュアルマイノリティであること両方によって経験する複合的な問題ですよね。植木さんの話を聞いて、プライベートで素でいられることの大切さについて、今すごい考えさせられてます。

植木:(介助者を移行するにあたっては)そもそも同性介助が、ジェンダーは男か女の二つだけという「性別二元論」や、異性が好きなのが当たり前という「異性愛規範」を前提にしている中で、自分はどうすればいいのか。それこそ、よく障害者運動で「私たち抜きに私たちのことを決めるな」って言ってたけど、言いながらすごいむなしくなって……。そもそも(LGBTQ当事者として)声が上げられない状態だし、「私たち抜きに」もなにも、ロールモデルがいない。同性介助っていうルール自体がLGBTQの存在を無視しているように感じられて……。

なにかの時に、介助を受けるなら人間がいいか、ロボットがいいかみたいな議論があって、当時の自分は「断然ロボットやろ、性別ないから」って思ってました。でも実際にはそんなロボットはないし、(自分と同じセクシュアリティの)FTMの介助者を10人雇えなんて言えないし。

(いろいろ悩んだ結果)とりあえず、個人的にカミングアウトしていた、FTM当事者1人とシスジェンダー※4の男性2人の介助者に試しに入ってもらい、そのあとに徐々に増やしていきました。

――どうやって増やしていかれたんですか?

植木:3人の次の段階は、フィーリングで大丈夫そうな人に声をかけていきました。いちばんの問題は風呂介助で、やっぱり(介助者を)信頼してても、自分の自認している性と違っている身体を見られるのは、女性でも見られたくないし、当時は自分でも見たくなかったんで。それに、身体的には(介助者の男性の多くは異性愛者だろうから)性的対象に入る部類の身体を持ってるので、すごく勇気が必要でした。一年くらいかかって、信頼はあったし、「もういつまで悩むん自分、えぇい、いっちまえ」と思って、風呂介助を頼めそうな人って言う基準で選びました。

油田:その基準はどんなものでしたか?

植木:例えば、奥さんがいるとか、女性の身体を見慣れている人。あとは医療系の大学とか専門学校を出てて身体を見ても大丈夫そうな人、海外でいろんなセクシュアリティの人がいる場所に行ったことがある人。施設で昔働いていた人とかだったら、まぁ施設がいいか悪いかは別として、同性介護ではないので、見慣れているんだろうなとか。自分なりに、なんとなく安心できる理由がある人に頼んだ気がします。逆に、AV(アダルトビデオ)でしか女性の体を見たことがないとかそういう人をいきなり入れるのは、すごい抵抗があるなぁって。

自宅にて。ベッドの上に座って、そばにあるテーブルにあるノートパソコンを操作している植木さん。

アルコール依存症と生きる

油田:職場にカミングアウトして1年後から介助者を変えられた、と。その後の話も聞いていいですか?

植木:そこらへんの時期から記憶が飛んでますね……。ちょっとずつ(男性)介助者を増やして、(男女)半々くらいの時期が2年くらいあって、そのあと男性に決めて。介助者がほぼ男性になった頃、ジェンダークリニックで性同一性障害の診断を受けて。そこから名前を変えて、親にカミングアウトして。

で、ホルモン療法を受けてたときには、お酒が止まらなくなってきてて。騙し騙しやってたけど、夜に徘徊したり、怒って人に手を上げるようになったり。酔っぱらってS君が介助に入っている先輩の障害当事者の家に朝方、血まみれで押しかけたこともあって。「言ってることがおかしいから心療内科行け」って言われても、「自分そんなにおかしい?」って真顔で返すくらい、病識がなくて。

職場も1年間休んでたけど、やっぱりお酒飲んでて。ちゃんと自分の思う通りのセクシュアリティになったのに、なんでこんな状態なんだろうって感じ。趣味もできなくなって、寝て飲んで寝てみたいな感じでした。1回復職したけど、仕事はなんとかできてたのかなあ。

直観的にこのままだとお酒に殺されるって思ってから、自助グループにもつながったんだけど、3か月くらいでまた飲んで、みたいなことを4回くらいやって。結局、精神病院のアルコール病棟で3か月入院して、そこから今までお酒は止まっています。

2、3年くらいはセクマイや障害者のことから全部離れて、CILのスタッフもやめて。怒ったりすると飲んじゃうので、あんまり刺激を受けないようにして。その間に今までの認知の歪みみたいのを修正する作業をやっていました。

その後に偶然、2020年の『セクシュアルマイノリティと医療・福祉・教育を考える全国大会』で(障害があるかつセクシュアルマイノリティの)当事者を探してますって言うチラシが友人経由で届いて。誰もいないんだったら、ちょっと怖いけどやってみようかなと思って連絡したら、誰もいなくて。ちょっと怒りがありました。一旦離れてからもう3、4年経ってるから、だれかいるんじゃないかって期待してたら、誰もいないのか!と。

油田:私が植木さんを知ったきっかけがそのイベントです。身体障害で介助を使っているセクシュアルマイノリティ当事者の登壇者は、あのイベントでは植木さんだけでしたよね。

YouTube撮影の準備中。介助者と一緒に、三脚に立てたカメラの位置を確認している。

ゆっくり長く付き合ってきた仲間がいたからできたこと

――植木さんのお話をうかがっていると、介助者を移行するにあたっても、その後も、事業所側との大きなトラブルなく進んでいるように見えます。それはなぜ可能だったのでしょうか?

植木:まず一つは、事業所に前例があったこと。介助者にも利用者にもトランスジェンダーの当事者がいたし、その前からLGBTQにかんする勉強会とかもしていたそうです。あとは結果論だけど、すごくゆっくりゆっくりやっていったのは、ある意味良かったのかな。

油田:ゆっくりやっていったというのは、どういう意味ですか?

植木:(トランスジェンダーと自認してから)事務所全員にカミングアウトするまで1年かかる間に、近しい人というか介助者候補になりそうな人に内輪でカミングアウトしつつ、事務所全員にカミングアウトしてからも、介助者はゆっくり移行していきました。

また、精神障害についても自分の介助者は(アルコール依存症と診断される前である)7、8年以上前から入っている人が半分はいるし、今の(ヘルパー派遣の)コーディネーターも付き合いが長いです。人間関係を続けていくうえで、まず自分というものを知ってもらっていた。

移行後、セクシュアリティ以外でも、いろんな変化がありました。アルコール依存症になったり、仕事辞めて作業所に通ったり、YouTubeチャンネルやったり、突然特撮オタクに目覚めたり(笑)。アルコール依存症になっていたときや、それで3か月入院したときも、結構生活がめちゃくちゃだったんですけどそれでも(介助者は)残ってくれて。

そういう長いスパンで自分を見てきた人たちがいたから、植木は植木だよなみたいな感じなのかなぁと。いろんな事があったうえで、自分のところに入ってくれている人がいた結果でもあるのかなと思います。

――ゆっくり人間関係を作っていく中で、「LGBTQの人に対応する」ではなくて、植木さんという人を介助するんだという事業所や介助者との関係ができているということですね。そういう範囲でものを見ないと、いろんなものを見失うと感じました。

植木:なんか自分の中で、セクシュアリティだけが特別なことになってたのかなって、さっき思いました。同性介護の原則という観点からになると特別になっちゃうんですけど、ほんとは他の変化と同じように、変化するものの一つのはずなんですよね。

介助者に車椅子を押してもいながら、街を歩いている植木さん。

「障害者の性を大事にする」を思考停止しないために

植木:(介助者移行の)経緯の話から離れちゃうんですけど、同性介助の原則っていう言葉がある限り、LGBTQって結局、例外にならざるを得ないよなって思ってて……。同性介助自体を否定したいわけじゃないけど、それを原則にしてしまうと、少なくともLGBTQを例外にしてしまう。だからインクルーシブ※5じゃないなって最近思います。

油田:なるほど……。同性介助が求められ、それが原則とされてきたのは、障害者の立場が弱い中で、望まない異性介助を押し付けられ、とくに女性が性被害を受けることが多かったことなどの歴史的な経緯があります。そして今も、施設や病院などでは望まない異性介助で苦しんでいる人がいる。だから、同性介護は、その問題の有効な対処法として大切なことではある。が、根幹としては、自分が安心して介助を受けられるように、自分が介助を受けたいと思う人を選べるということが大事ということですかね。

植木:要はもっと、障害者の権利が保障されること、障害者が権利をもつことが大事だと思います。お互いにハラスメントなどについて理解して、何かあったら障害者が訴えられる、「あかんよ」ってお互いに言える。それが当たり前にできる関係性の社会になったら、同性介助は別に原則じゃなくてもいいのかなと思っています。

結局、障害者の性が大事にされなかったから同性介助の原則ができて、ただその時代にLGBTQの存在は、残念だけど日本では認知されてなかった。だから今、思考停止しないで考えてほしいです。

油田:性を大事にするってどういうことなのか、男女二元論の異性愛規範の中で言われる性ではなくて、その人にとって自分のセクシュアリティが尊重されるって言うのは具体的にどういうことなのかを、丁寧に話して考えていかないとですよね。

植木さんの動画の話の中で、介助者を男性にしたことで、「こっちの方がやっぱりしっくりくるわ」ってそこで初めて思った、というのが印象的でした。「そっか、試さないとわからないこともあるよな」と。積み重ねの中でセクシュアリティや生活の仕方が明確になってくることもある、と大事なことに気付かされました。当たり前のことかもしれないのですが。

植木:結局、想像でしかないじゃないですか、変えるまでは。たとえば自分は多目的トイレをよく使うからあんまり機会はなかったんだけど、昔は女性用トイレを使うこともあって、男性用トイレを使う前は使いたいけど大丈夫かなと思ってて、でも何回か入ってるうちに、男性用トイレを使うのが普通になった、みたいな。例えが分かりにくいかもしれないけど。

注釈

※1 トランスジェンダーとは、生まれた時に割り当てられた性別と性自認が異なる人を指す言葉。FTMトランスジェンダーは、出生時に割り当てられた性別が女性だったトランスジェンダー男性のことを指す言葉(「LGBTQ 報道ガイドライン—多様な性のあり方の視点から—」第2版)。
※2 性的指向が性別にとらわれない人。全性愛者(同上)。
※3 https://www.youtube.com/channel/UCTWAzAs3avHz6pITjf-CI4Q
※4 出生時に割り当てられた性別に違和感がなく性自認と一致し、それに沿って生きる人(同上)。
※5 インクルーシブ(inclusive)=包摂的

植木智プロフィール画像(パソコンを操作しているところ)

プロフィール

脳性麻痺|植木智(うえきさとる)

1985年生まれ。高校生のころから自立生活センター(CIL)と接点を持ち、大学入学と同時に自立生活をスタート。卒業後はCILで働いた。FTMトランスジェンダー※1、パンセクシュアル※2。現在は重度訪問介護を利用して一人暮らしをしながら、講演活動のほか、YouTubeチャンネル「セクマイ障害者 ウエキチCh.」※3で障害のあるセクシュアルマイノリティに関する情報を発信している。
植木さんへのご連絡はこちら≫連絡先:sekumai.uekichich@gmail.com

文/篠田恵・油田優衣

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