連載4回目
昔は「怖い」と思っていた当事者団体。しかし、運動に関わるなかで、声を上げることの大切さを学んだ
2023年09月29日公開
Mako Nakano
文/油田優衣 : 写真/児玉京子
ウルリッヒ型先天性筋ジストロフィー|中野まこ
ウルリッヒ型先天性筋ジストロフィー当事者。1991年生まれ、山口県岩国市出身。中学校までは地域の学校、高校は特別支援学校に通う。日本福祉大学に進学すると同時に、介助制度を利用しながら自立生活を始める。大学卒業後、自立生活センター十彩(といろ)のスタッフとして勤務。2022年度から代表を務める。
【イントロダクション】
大学進学と同時に自立生活を始められ、現在は自立生活センター十彩の代表として働かれている中野まこさん。
SNSやテレビ、文章などのさまざまなメディアを通じて、自立生活(運動)のことやマイノリティの権利について積極的に発信されており、かつ、互いに近い世代(運動の中では、若い世代になるのでしょう)である中野さんに、ずっと話を聞いてみたいと思っていました。
今回のインタビューでは、中野さんの幼少期から現在に至るまでのライフストーリーをじっくりお聞きしました。
第4回は、CIL(自立生活センター)での活動の話や、年数を重ねるにつれて感じるようになった自立生活の難しさについての話、また、中野さんの趣味の推し活・ライブ参戦の話をお聞きしました。
以前は「障害者団体に対して、良くないイメージをもっていた」中野さん。活動を通して、どのように考え方が変わっていったのでしょうか?
また、自立生活を13年以上してきて「いつの間にか、私の生活じゃなくって、ヘルパーさんの休憩スペースになってない?」と語る中野さん。自立生活の難しさについて、ともに語り合いました。
そして、推し活・ライブの話では、中野さんがライブにハマった経緯や、車椅子ユーザーへの情報不足や会場や座席のバリアの問題についてお聞きしました。「余暇活動だからこそ、楽しくしたい」のに、「闘わないとみんなと同じものを獲得できない」と語る中野さんのお話からは、ライブのアクセシビリティの問題を考えさせられます。
CILの活動を通して得た「私って、意外と差別を受けてたじゃん」という気付き
油田:色々あって、最終的には自立生活センター十彩に就職されたと。中野さんはもともとCIL(自立生活センター)の存在は知っていたんですか?
中野:そうそう。CILの存在は大学生の時から知ってました。名古屋のAJU車いすセンターっていうCILと、大学のヘルパーサークルを通して関わっていて、AJUの当事者とつながりもあったんです。イベントとか、私もけっこう顔を出してたから。
でも、当時の私は、障害当事者団体に対して、良くないイメージをもっていました。当時は、申し訳ないですけど、ほんと怖いと思ってたし、「私は違うから」みたいな、「そういう、駅員さんに暴言とか言わないし。ちゃんと『ありがとうございます』って言うし」みたいに思ってたんですよ。で、ちょっと距離を置いてたんですね。だから、そういう当事者団体があるのは知っていたけど、自分とは違う存在って思ってたんですよね。
でも結局、自分がCILで働くことになって。その時、一番惹かれたのが、教育の活動もするっていうところ。私がもともと教育に関心があったから。「福祉教育で、豊田市内の小学校に行って、自分の生活のことを話しながら、障害について知ってもらう活動もするんだよ」って聞いていて、「それは私がやりたいことと似てるな」って思いました。まぁ、他に働けるところがなかったからっていうのが正直なところですけど、やってみようって思えたんですね。
油田:どんな仕事をされてるんですか?
中野:私が所属している法人には、自立生活センターのほかに、ヘルパー派遣事業所、就労継続支援B型、相談支援事業所、福祉有償運送という送迎サービス事業の5つの部署があります。私は、自立生活センターと、就労継続支援B型のスタッフを兼務しています。自立生活センターでは、ILPやピアカウンセリング、個別の自立支援、あとは、福祉教育や啓発事業、そのほかさまざまなイベントの企画・運営をやっています。就労継続支援B型では、メンバーさん(利用者さん)と一緒に何かやったり、サークルをつくって余暇活動をしたりしてます。その人の人生に影響を与える仕事だと思うと、すごい責任はあるけど、楽しいなと思いますね。
また、CILで働きはじめてから、いろんな勉強会や研修に行かせてもらって。JIL(全国自立生活センター協議会)やDPI(障害者インターナショナル)など全国的な組織の研修や、ADA25(「障害を持つアメリカ人法(the Americans with Disabilities Act)」の25周年記念)のツアーとか。そういう経験があって、いろんなCILの人と出会って。昔は、「障害者団体こえー」って思ってたけど、なんで声をあげるか、その理由がわかったんですよね。抑圧、差別されてきた歴史があって、ただ特別扱いしてもらいたいから言ってるんじゃなくて、スタートラインを整えるために声をあげてるんだって。だから、怒るっていうのは必要なこと、大事なことだし、それが運動のエネルギーになることをすごく感じました。だって私、十彩に来た最初の頃は「駅員さんがスロープを置いてくれるのって、ありがたいじゃないですか」って思ってたんですよ。でも、それはおかしくて。私たちが求めているのは、段差ができるだけない設計の電車だし、自分が乗りたいときに自分のタイミングで乗れることが、ほんとのバリアフリー。映画館も「車いす席があればそれでいいじゃん」っていうけど、そうじゃなくって、「一番前じゃ観づらいでしょ」っていう。そこが問題で。そういう気づきがいっぱいありましたね。私って、意外と差別を受けてたじゃんって思った。
自立生活の年数を得るにつれ、我慢や妥協が増えた……?
油田:ちらっとお聞きしましたが、中野さんは今年、引っ越しをされると。
中野:そうなんです。今住んでる名古屋市から、豊田市の、職場の近くへ。それは、センターの代表として私には役割があると思ったのが、50パーセント。やっぱりセンターの代表として、自分のところ(十彩と同法人内のヘルパー派遣事業所)のヘルパーを使って、育てていくべきだなって思って。残りの50パーセントは、私が去年コロナになった時にヘルパー派遣を切られて、CILではない、いわゆる一般の事業所に対して不信感が募って、今の事業所は使いたくないって思ったから。そのことも、引っ越しの後押しになりましたね。
油田:じゃあ、今年は忙しくなりそうですね。
中野:そうなんですよ。いろんな面で環境もガラッと変わるし、ヘルパーさんとの関係づくりについてもみんなに教えてもらいたいなって。一人暮らし1年目の、初心に戻ってやっていこうって。……なんかやっぱり、自立生活を大学で4年間、社会人で9年間やってきて、慣れ過ぎたっていうか――
油田:慣れ過ぎた?
中野:たぶん、自立生活を始めた最初の頃は、もうちょっと自分にこだわりがあった気がするんですよ。「これはこうしてほしい」とか、「洗濯物もこういうふうな並び方で干してほしい」とか。だけど、徐々に時間が経つと、いろんなヘルパーさんがいるってわかってきて。自分のこだわりを優先して、それを遂行するためにヘルパーさんに伝える労力と、「まぁ、いいや」って妥協するの、どっちが楽なんだろうって考えたら、妥協するのほうが楽って思って。そうしてることが、だんだん増えてきた気がするんですよね。
油田:うわぁ、めちゃわかる……。
中野:あと、コロナ禍もあって、自分の生活なんだけど、ヘルパーさん優先に考えることが増えてきたなと思って。「あれ? 私の生活どこいったんだろう?」って。
油田:年数を重ねるがゆえに、こう――
中野:そうなんです。慣れてきて、「まぁ、いっか」が積み重なっていくと、「あれ? いつの間にか、私の生活じゃなくって、ヘルパーさんの休憩スペースになってない?」って思って。ちょっと一回、いろいろリセットしたいなって。もう一回、初心に戻って、初めましてのヘルパーさんとやっていきたいなって思ったのもありますね。
油田:めっちゃわかります。私も、一人暮らしを始めた頃のほうが、自分にもヘルパーさんにも厳しかったなって。それがなんだか、年々まるくなってるっていうか……。
中野:たぶん、知らず知らずのうちに、我慢をしてると思うんですよね。「ほんとはこう言いたかったけど、まぁ今は言わんでいっかー」ってことがすごい増えてきて。いつのまにか、それがすごい溜まってて、イラッとくる瞬間があるのかなと。
油田:うんうん。なんか、年々難しいなって思うようになりました、自立生活。年数を重ねれば重ねるほど、「楽」をする方法がわかったり、「わ、ヘルパーさんに頼むの労力がいるな。やめよう」みたいに思ったり。あと、事業所の都合とかもわかっちゃって、自分の「こうしたい」を貫くのって、けっこう難しいなって。
中野:わかってきちゃうんですよね。だから、先回りしてこうしておこう、みたいになっちゃう。
油田:うん。そつなくこなせる感じはするけど、「これでよかったっけ?」みたいな。
中野:そう。実際はたぶん我慢してるんだろうなって。年数を重ねると、ほんとだったら、うまく自分の言いたいことをアサーティブに言えるようになるはずなのに、なんか「あれ?」ってなるね。やっぱりそこって、遠慮が出てくるのかなあ……。
油田:むしろ忖度する能力が増えてるんじゃないかと思ったり……。
中野:それはほんとに思いますね。
全国各地のライブに参加。「余暇活動こそ楽しくしたい」が、情報の少なさや差別的な対応で悔しい思いをすることも
油田:中野さんは、プライベートで数多くのライブに行かれてますよね。ライブに行き出したのはいつから?
中野:めちゃくちゃ行きはじめたのは、社会人1年目の終わりぐらいかな。好きなバンドに出会ってしまったから(笑)。今は解散してしまったんですけど、OLDCODEXっていうバンド。そのバンドのライブが、Zepp東京ダイバーシティっていうライブハウスであって、初参戦したんです。そしたら、車いす席が一番前だったんですよ。ライブハウスって、一番前に柵があるんですけど、その柵よりも前。初めてのライブで、最前列を味わってしまって。ほんとに心が持っていかれて。沼にはまったということになります。そこから、毎年ツアーとかがあったりするから、新幹線が通ってる場所なら、仕事の都合が合えば行ってました。遠征もしてました。東京、大阪、埼玉とか。広島も福岡も。いろいろ行きましたね(※6)。
油田:ライブのときは、介助者も連れてですよね。「介助者の新幹線とかホテル代、高っ!」ってなりません?
中野:思うけど、私はもう、まず行けることが大事と思って(笑)
油田:もう割り切って。
中野:推しに会うにはしょうがないと思って。だからけっこう行きましたね、ライブは。
油田:ライブハウスが多い?
中野:そう、ほとんどライブハウスね。あとホール。で、ライブでの車いす席って、入場するその日にしかわからないことがほとんで、事前に聞いても教えてくれないんです。だから、行ってはじめて、「あ、ここはだめだ、見えない」とかなるわけですよ。それは悔しいですよね。
油田:そうですよね……。私も、去年ライブに行く時に、車いす席の情報がなかったから、Twitterで検索かけたんですよ、「(会場の名前) 車いす」って。そしたら、まず中野さんのツイートが出てきて。めっちゃ参考になりました。
中野:そう。記録を残しとこうと思って。誰かの参考になればいいなと。
油田:ありがたかったです。そういう情報もちゃんと載せてほしいですよね。
中野:そうですよね。ライブって余暇活動ではあるけど、余暇こそ楽しくしたいって思うし。
油田:ほんとに。そこでモヤモヤしたしたり、バトルしたくないですよね。
中野:そうそう。私、一回すごいバトルしたことがあって。2017年にaikoのライブに行った時に、その会場がzepp名古屋っていうライブハウスだったんです。もちろん事前に「車いす席で観たいです」って伝えてたんですけど、当日入場したら「車いす席は2階です」って言われて。でも、Zeep名古屋って、エレベーターがないんですよ。私、そのライブハウスにはもう50回ぐらい行ってて、今までずっと1階で観させてもらってたから、その日も1階と思ってたんですよね。だけど「2階です。2階まで車いす運びます」って言われて。「いやいや、車いすって100キロぐらいありますよ」とか言って。「じゃあ一回、男の人4人ぐらいで、平坦なところで、持ち上げてみてください」って言ったら、グラッとなったんですよ。そしたら今度は6人連れてきたんです。6人だったらまぁ持ち上がったんだけど、階段だから、そこは危ないって私は思って。自分も落ちたくないし、誰かが怪我するのもいやだから。責任もとれないしと思って。で、「私いつも1階で観させてもらってるけど、なんで難しいんですか?」って聞いたら、「aikoは違います。aikoは2階なんで」とか言って、ぜんぜん融通がきかなくて。結局、「もう観なくていいです」って言って、チケット代を返金してもらって帰ったんですよ。で、みんながね、ライブハウスに入場するのと私は逆方向に歩いていくわけで。ほんと涙が出てきて。なんでこんな思いをしなきゃいけないのって。
で、その時は差別解消法ができてたから、名古屋市の相談センターに「こういうことがありました」って言って。私の第一の希望は「これまで1階で観れたんだから、1階で観せてほしい」ってことだったんだけど、一番前に限らなくてもいいから、きちんと車いすユーザーが安心して観れるような場所であってほしいという要望を伝えました。そのあと、差別相談センターの人が、ライブの主催者であるイベント会社にも問い合わせをしてくれたり、Zepp名古屋にも聞き取り調査をしてくれたりして。それがきっかけかはわからないけど、次、同じ場所でaikoのライブがあって行った時は、1階席にスロープ付きの台ができていて、そこで観ることができたんですよね。
油田:あぁ、よかった……。
中野:よかった。けど、闘わないとみんなと同じものを獲得できないっていうのが、すごい大変だなと思った。その車いすエリアも、車いすユーザーだけじゃなくて、杖をついている人とか、妊婦さんとか、イヤーマフしてたからたぶん聴覚過敏の人とか、そういう人も使ってたんです。ライブハウスってやっぱ、オールスタンディングですよね。ずっと立ちっぱなしで、ぎゅうぎゅう詰めがしんどい人もいる。でも、そういうエリアがあると、誰でも安心して参加できますよね。
油田:来れる人、増えますよね。
中野:そうそう。集客を考えると、できるだけいっぱいチケットを売りたいから、そういう車いすエリアとかをつくるのはもったいないっていう考えが先にくるのかもしれないけど、その考えは古いと思う。アップデートしないといけないと思うんで(※7)。
油田:Zepp名古屋は、中野さんが爪痕を残してくださったおかげで、変わったんですね。
中野:変わったのかなぁ……。結局それも、アーティストによって違ったりするから、統一ではないんですよ。そのエリアも常設ではなく、取り壊しができるタイプだから。なかなか難しいですね。
油田:あぁ、そっか……。なんか趣味のことで、嫌な思いとかしんどい思いしたくないですよね。それに、そういう思いをしなくていいように、こっちがいろいろやらないといけないのも、仕方ないことけど、なんだかなぁですよね。
中野:うん。できるだけ当日モヤモヤしたくないから、事前に準備していくっていうのも、なんか悲しい。悲しいけど、しょうがないなって。
「はじめから違いがあることが当然。子どもたちに、いろんな人に出会ってほしい」
油田:今日はありがとうございました。最後に読者に伝えたいことがあれば。
中野:そうですね。どういう人が読んでくれるかわからないけど、たとえば、最近だったら、名古屋城のエレベーター設置をめぐる検討会で、差別発言がありましたよね(※8)。ネット上で発せられるヘイト的な発言を、現実に言う人がまだいるんだって思って、びっくりしたし、すごい悲しかった。そこをどうにか変えていきたいって私は思っています。
私は、子どもたちに未来を託したいと思ってるんですね。小さい頃から「いろんな人がいるよ」っていうことを知ってほしい。だから私は、福祉教育とかで学校に行ってね、その学校には1年に1回、1時間、2時間ぐらいしか関わることはできないんですけど、私の存在や経験を伝える。それが私が子どもたちにできることかなって。この記事を通しても、いろんな人がいるっていうことを知ってもらえたら、嬉しいなって思います。
油田:やっぱり、知らないことによる弊害って大きいですよね。
中野:そう。しかも、子どもたちもきっと多数派に合わせようと努力してるのかなと思っていて。マスクを外す・外さないもそうで、「周りに外してない子がいるから、自分も外せない」とかね。そういう同調圧力じゃないけど、ある一定のルールに従わないと、そこから仲間はずれにされちゃうっていうプレッシャーは、障害のあるなしに関係なく、みんなが無意識に感じていることかなって思っていて。私も昔は「勉強がんばんないと仲間はずれにされちゃう」って思っていて、やっぱり人と違うって怖いなって思うんですよね。でも、はじめから違いがあることが当然なんだってわかっていれば、はみ出ててもぜんぜんいいと思える。それが、みんなが楽しく生きられる方法なんじゃないかなと思っています。
注釈
※6 中野さんの推しや推し活について、もっと知りたい方は、中野まこ(2023)「推しは明日を生きる活力となる」(『支援vol.13』生活書院、所収)も読んでみてください。
※7 なお、ライブのアクセシビリティやバリアフリーに関して参考になるものとして、イギリスのチャリティ団体が作成したガイドブックがある(https://attitudeiseverything.org.uk/wp-content/uploads/2022/08/ASO-Venues-Japanese.pdf)。
※8 2023年6月3日、名古屋城のエレベーターの設置を巡る市民討論会で、車いす利用者に対して差別発言がなされた事件。エレベーターを設置しないことは障害者を排除することではないかと主張した車椅子ユーザーに対して、「平等とワガママを一緒にするな」「どこまでずうずうしいのか〔略〕我慢せえよ」「生まれながらにして、不平等があっての平等」「どの税金でメンテナンス毎月するの? そのお金はもったいない」など、差別発言が相次いだ。河村市長もその場にいたが、差別発言を制止することはなく、「熱いトークもありまして、良かったですね」などと発言した。
プロフィール
ウルリッヒ型先天性筋ジストロフィー|中野まこ
ウルリッヒ型先天性筋ジストロフィー当事者。1991年生まれ、山口県岩国市出身。中学校までは地域の学校、高校は特別支援学校に通う。日本福祉大学に進学すると同時に、介助制度を利用しながら自立生活を始める。大学卒業後、自立生活センター十彩(といろ)のスタッフとして勤務。2022年度から代表を務める。趣味は、推し活・ライブに行くこと。
文/油田優衣
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