あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載3回目

出産の経験や、メディアからの取材を振り返って。現在は、介助を使いながら育児に奮闘中

Chieko Terashima

文/油田優衣 : 写真/深津京子

SMA(脊髄性筋萎縮症)Ⅱ型・「自立生活センター・VISION」代表 寺嶋千恵子

1987年、愛知県名古屋市生まれ。SMA(脊髄性筋萎縮症)Ⅱ型。2008年に自立生活を始める。AJU車いすセンターで活動したのち、自身のCIL「自立生活センター・VISION」を設立。2018年に子どもを出産。

【イントロダクション】

寺嶋さんは、地域の保育園、小中学校、高校、短大に通い、卒業後は「AJU自立の家」の就労部門に就労されました。2008年から自立生活を始め、全国介護保障協議会の研修生としての活動やAJU車いすセンターでの活動を経て、2021年には自身で「自立生活センター・VISION」を設立。現在は自立生活センター・VISIONの代表を務められています。また、寺嶋さんは2018年に結婚・出産を経験されたことから、当時「難病がありながら出産をした障害者」として注目を浴び、さまざまなメディアでの取材を受けられました。
今回のインタビューでは、寺嶋さんのライフストーリーや、出産後のメディア取材でのあれこれ、介助サービスを使いながらの育児について、お話をお聞きしました。

(文/油田優衣

目次

2018年に子どもを出産。様々なメディアからの取材を振り返って……

油田:寺嶋さんは現在、パートナーの方とお子さんと暮らしておられますよね。パートナーの方との生活を始められたあたりのことについても、ぜひ聞いてみたいなと思ったんですけど。いつぐらいから2人で住もうってなったんですか?

寺嶋:たしか、2015年に付き合い始めて、17年に一緒に住み始めたのかな。

油田:恋人やパートナーと過ごすとき、介助者ってどうしてましたか?

寺嶋:私とパートナーがご飯を食べている時間や一緒に過ごしている時間は、介助者は、同じ部屋にはいないけど、呼んだらすぐに来れるところに待機してしてもらっていました。「また呼ぶね」みたいにして、トイレに行く、姿勢を変える、メイクを直すなど何かしてほしいことがあるときに、すぐ来てもらえる状態にしていました。

油田:恋人やパートナーができたことで、介助者との距離感が難しくなったみたいな話もよく聞くのですが、寺嶋さんはそういうのはなかったですか?3人でいるとき、微妙な雰囲気になる、とか。

寺嶋:べつに私はなかったかな。夫はあまりしゃべる人じゃなくて。私が介助者を連れて一緒に旅行に行ったときも、彼は、私と介助者がしゃべっているのを見ているみたいな。彼がどう思っているかはわかりませんが……。

油田:へえー。じゃあ、2017年にパートナーのかたと一緒に住みはじめて。介助もつけて。

寺嶋:そうです。

油田:障害のある人がパートナーと暮らしたりすると、そのパートナーが介助できるとかいう理由で、行政から介助の時間数を削られるっていうケースも多いと思うのですが、寺嶋さんは大丈夫だったんですか?

寺嶋:ガンガン削られそうになりました! 「夫は夜勤がある仕事をしているので、しっかり寝なきゃいけないんです」とか、「子育てがあるから介助は担えない」など、たくさん理由を書いて不服申請を出して、なんとか時間数を保持できました。

油田:それはよかった……。

油田:寺嶋さんがご出産なさった話は、これまで、いろんなメディアで報道されてきましたよね※3)。出産に至るまでの詳しい話は、これまでの報道記事にお任せするとして……。わをんとしては、メディアでの報道のされ方についての、寺嶋さんの思うところを聞いてみたくて。障害のある人がメディアに出るとき、取材のなかで嫌な思いをしたり、こちらが思っていたり望んでいたりするのとは違うかたちで報道されたりということがあると思います。寺嶋さんは、これまでいろんなメディアに出られてきたと思うのですが、そういったことはありませんでしたか?

寺嶋:うん、そうですよね。いろんな報道があったと思うんですけど、ABEMA TVの取材のときは、ディレクターの人がすごいテキトーだったんで、それは嫌でしたね。

油田:テキトーっていうのは?

寺嶋:インタビュアーのアナウンサーさんはすごく良い方だったんですけど、ディレクターの人が……。たとえば、夫にインタビューするときに、「責任問題とかにならなかったんですか?」みたいなことを聞こうとしたんです。

油田:ほ?責任問題?

寺嶋:「こんな重度の人を妊娠させちゃって」みたいな意味だったのかな?真意はわからないですけど。

油田:え、どういうこと……。意味がわからん……。

寺嶋:ほんとに(笑)。「責任問題にはならなかったんですか?」みたいなことを聞かれそうになって。で、アナウンサーさんがそれに対して「え?それ、私が聞くんですか?」「べつに仕事なら聞いてもいいですけど、私が聞いたっていうふうにはしないでください」って反論してくれて。

油田:へぇ……。

寺嶋:やっぱり、そういう考えの人とかもいますよね……。Abema TVは、ほんとに、やっつけ仕事みたいな感じで取材、報道された感じでした。取材時間も短く、「使わないで」って言った写真を使われたりもしました……。だから、報道のされ方も、先に出た新聞記事の切り抜きとインタビューをつぎはぎされた感じでした。記事を読んだ知り合いのなかには、夫が私の介助も担っているみたいに捉えていた人もいました。

油田:他のメディアでは、どうでしたか?

寺嶋:新聞記事は、もともと知り合いの人で、以前に私の別の記事も書いてくれていた人が書いてくれました。すごく一生懸命取材してくれて。原稿も何度も確認させてくれて。私も、「この人がこういうふうに出してくれるんだったら、いいか」って。
NHKの『逆転人生』っていう番組に出ることになったときも、最初に番組タイトルだけ聞いて、「私、『逆転』したのかな、人生?」とかいろいろ思いました。でも、ディレクターさんがすごく良い人で、何度も連絡を取ってくれて、一生懸命取材してくださって。「こういう表現ってどうですか?」とか、「こういうところはちょっと脚色させてもらいたいんですけどいいですか?」とか、ちゃんと細かく私の考えや意見を聞いてくれて、理解した上で、「ここはこうやって描きたいんですけど、どうですか?」と許可を取ってくれたので、そこはすごくよかったと思います。
ただ、今思うと、「もうちょっとああ言えばよかったのかな」とか、思うこともあったりはしますね。やっぱり、ディレクターとか作る側の人と、どれだけ密に思いを共有できるかが大事だなって思います。私がどういうところを嫌って思うのかとか。考え方のすり合わせですね。

出産を悩んでいたときにもらった、アメリカのSMA当事者からのメッセージ

油田:寺嶋さんが妊娠されたときって、障害があって出産を経験した人って、周りにいたんですか?

寺嶋:妊娠したときは、AJUに所属していたんですけど、障害があって、出産した人って、周りにけっこういたんですよ。障害種別は、脳性まひの人や脊髄損傷の人がわりと多かったですが。中には重度の障害と言われる人もいました。なので、妊娠して出産して、子育てできるのを私は知っていました。
妊娠したときには、私と同じ障害のあるアメリカ人の知り合いが、「SMAのママサークルがあるよ」って教えてくれたんです。その人を通じてママサークルの人に連絡を取りました。私の事情を説明し、「重度のSMAの人はいますか?」って聞いたら、「あなたほどじゃないけど、いるよ」「SMAのママはいっぱいいるよ」って教えてくれたんです。そのときに「自分の体のことは、自分がよくわかっているよね。良い選択ができることを祈っているわ」というメッセージをもらいました。その人は、「やれる」「やれない」を言ったわけではなかったけど、産むか降ろすか悩んでいるときに、「自分の体のことは、自分が一番わかっているでしょ」「医者が決めるのではないんじゃない?」って言い方をしてくれたのは、私にとって、すごく勇気がもらえました。

油田:へえ〜。

寺嶋:医師からは、(妊娠を続けたり、出産したりしたら)「気切(気管切開)になるかもよ」って言われたんです。でも、気切をしている人も、知り合いに何人かいたから、「それで、なんか怖いことある?」っていう感覚で。医師としては、「そこ(気管切開)までしてやることじゃないんだよ」って諦めさせるために言ったのかもしれないけど、私としては、「別に、気切になってもそれで子供が産めるなら……。どうせいつか(気管切開に)なるだろうし……」みたいな感じでした。

油田:そっか。別に、気切しても大丈夫、気切になってもベッドにはりつけられるような生活になるわけじゃないとも知っていた。

寺嶋:そうそうそう。気切していてもライヴに行っている人もいますしね。国会議員にもなれる時代ですよ。もちろん、今までの生活のようにはいかないと思いますが。

油田:そうですよね。

寺嶋:だから、それがリスクとはあんまり思えなかったんです。だから、医師たちからは、「ほんとにそれで大丈夫?」「事の重大さをほんとにわかってる?」みたいに思われていたんじゃないかなと思います。

油田:そっか、そもそもの価値観が違うと。

寺嶋:そう。でも、一人の小児科の先生が、取材のときに話していたらしいんですが、私が「気切しても大丈夫です」って言ったときに、「あ、この人は僕たちと同じ価値観では生きていないって思った」と言っていたそうです。

油田:へー。医者にとって、気切は「避けられるなら、なんとしても避けるべし!」みたいな感じだけど――

寺嶋:そうそうそう。そこは、伝わってよかったなって。その先生は、今は息子の主治医なんですけどね。

油田:へえ〜!

寺嶋:いい先生だなと思いますね。いい出会いだったなって。
出産については、やっぱり私は、重度の障害があって子供を産んでいる人がいるっていう事例を知っていたから、根拠はないかもしれないけど、私の中ではあまり「できない」っていう選択肢はなかったんですよね。今思うと、先生たちが必死になって止めていなければ、決断は早かったかもなと思います。

油田:そっか。自分の感覚ではいけるっていう自信があっても、いろんな声が入ってくるとわからなくなりますよね。

寺嶋:うん。でも、出産できるかできないかは、信頼できるお医者さんとちゃんと話し合わないと。命に関わることなので、一概に、全員が「できます」っていう話ではないです。でも、子どもを望むこと自体は、おかしいことじゃないと思います。

油田:それはほんと、そうだと思います。

介助を使いながらの育児。「落とし所を見つけたり、折り合いをつけたりしながら、やってます」

油田:今、寺嶋さんは介助を使いながら、子育てをされているんですよね。自治体、あるいは事業所によっては「子育てに関する支援はしません」みたいな、なかなか困った自治体や事業所もあると思うんですけど、そこらへんの問題は?

寺嶋:私は、AJUのヘルパーと、広域協会※4)に登録したヘルパー、いわゆる自薦ヘルパーを使っていたので、そのへんの苦労はしなかったかなと思います。

油田:今、お子さんはいくつになるんですか?

寺嶋:5歳ですね。

油田:じゃあ、元気に動き回る――

寺嶋:そうなんです。私(の車いす)が時速6キロしかでないから、追いかけるのがもう大変です(笑)。ヘルパーさんもいつも体力勝負ですね。

油田:介助を使いながら子育てするうえで、これはやりづらいなとか、ここはハードルだな、みたいなことってあります?

寺嶋:そうですね、やっぱり、いろいろあるかなとは思います。みんな、同じことを伝えても、同じようにはできないから。

油田:介助者が?

寺嶋:うん。言い方がまったく同じでも、みんな捉え方が違ったり、できる範囲が違ったりするし。どんな人でもそうだと思うんですけどね。自分のことだったら、完璧にできるまで練習してもらおうとか、時間がかかってもやりたいことを貫こうと思っていたんですけど、子供がいると、子供に合わせたスケジュールを限られた時間でこなさなくてはいけなくて、全てのことを完璧にできなかったり、ヘルパーさんにやってほしいことがうまく伝わらないことで、イライラしちゃいます。そういうしんどさはあるかな。でも、「自分でできないからしょうがない」と思って、落とし所を見つけていったり、「こうしたい」っていう理想の100%を求めたいけど、まぁ80%でいいか、みたいに折り合いをつけたりしながらやっているかな。

油田:そっかー。

寺嶋:育児に関しては、はたして自分一人だったらできるんだろうかって思う部分もあって、それをヘルパーさんに求めていいのかとも思うし。どこまで求めていいか難しいですね。でも、今いるヘルパーさんたちは理解してくれている人が多いので、そこにも助けられているかなとは思います。
それに、自分一人じゃできなかったこともたくさんあるんだろうなと思います。たとえば、私、息子と体を使って遊べないんですよね。まぁ息子は、「ママ大好き」とか「会いたかったよー」とか言ってくれて、それはすごく可愛いんだけど(笑)、やっぱり、すごくよく遊んでくれるヘルパーさんは、たぶんママよりも好きじゃないかなと(笑)。「こいつめ、調子のいいやつめ」とか思ったりするんですけど(笑)。自分で息子と遊べないことは、「うーん」って思ったりしますね。まぁでも、毎日遊んでいたら体力持たないので、入れ代わり立ち代わり人が来てくれるのでありがたいって思うこともあります。そうやって、折り合いをつけるっていうか、自分一人じゃできなかったこともたくさんあるんだろうなって思いながら日々子育てしています。

油田:子育てをするなかで、「制度のここが使いづらいな」とかところはありますか?

寺嶋:私は、妊娠・出産や子育ての経験について、障害のある仲間と話す機会があるのですが、いろんな困り事を聞きます。重度訪問介護では、育児の支援は認められていますよね。でも、事業所の考え方で、育児に賛同してくれないヘルパーさんもいるみたいで。「ここは範囲外です」と言われたりするようです。すごく歯痒いなと思います。私はたまたま、自立生活運動系の団体の介助者を使っているから、そういうことはありませんが、一般の事業所を使うとそういうケースもあると聞きます。
それに、居宅介護だと、育児支援を認めていない自治体も多いですよね。私の肌感としては、重度訪問介護を使っている人よりも、居宅介護を使っている人の方が、子育てする人が多いと思うんですけど……。重度訪問介護では認められるけど、居宅介護では認められないケースが多いというのは、おかしくない?使いづらくない?って思います。

油田:障害がある人が育児をすることが想定されてない制度設計になったままのところは、まだありますよね。

寺嶋:そうですね。そういうことが、大きなハードルだなと思います。そういえば、このあいだ、曽田夏記さんの新聞記事※5)を読んだときに、子供と公園に行けないっていう話※6)を知りました。

油田:あ、市役所の人から「発育上、公園に行かなくても、べつに問題ないので」みたいな返答をされたっていうやつですよね。

寺嶋:それです。私は息子をベビーカーに乗せて好きなときに公園に行けています。一方で同じ福祉制度を使っているのに行けない人がいるのは、おかしいですよね。

油田:うん、ほんとおかしいと思います。

寺嶋:障害のある人が子育てをするっていうことが、やっぱりまだまだ想定されていない。そこは早く、制度として変えていってほしいと思います。今ある制度も、まだまだ使いづらい面があるので、誰かの困りごとに寄り添える福祉制度であってほしいですね。

油田:ほんとにそうですよね。

寺嶋:私が自分の話をすると、よく「それは寺嶋さんだから、できたんだよね」みたいな捉え方をされることがあります。でも、今は、まだまだな部分はありながらも、ある程度制度ができていて、環境が整えば望んだ生活ができる世の中に少しずつなってきています。だから何事もできないと決めつけずに、「やりたい」と周りに声を上げてみてほしいかなと思います。

油田:障害のある人も、子供を産み育てる権利をもっているし、それを保障するための制度も、かなり不自由なところはありながらも、少しずつできてきている。寺嶋さんのお話で、子供を産んだり育てたりしたい気持ちを諦めなくていいことが伝わるといいですね。今回はたくさんお話を聞かせてくださってありがとうございました。

注釈

※3)寺嶋さんの出産に関する記事としては、例えば、以下のようなものがある。
https://times.abema.tv/articles/-/6065596
https://mainichi.jp/articles/20201114/dde/018/200/023000c
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14011913.html?iref=pc_ss_date_article
https://digital.asahi.com/articles/ASM5N5CQ0M5NOIPE01H.html?iref=pc_ss_date_article
※4)全国ホームヘルパー広域自薦登録協会(http://www.kaigoseido.net/ko_iki/index.shtml):全国介護保障協議会の下部団体で、全国の障害者団体でネットワークを組んでつくられた団体。「自薦ヘルパー」を利用したい場合は、広域協会に自薦登録を行う。
※5)https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1041678/?__lt__cid=1352fe29-9b8d-4e25-b6cd-f26b34e71d9c
※6)この点について、曽田夏記さんに少しお話を聞かせていただきました。以下、曽田さんのコメントです。
わたしは区分3で重訪が使えないので、居宅介護(家事支援)で育児支援の支給決定を受けています。
本来、育児に家のナカもソトもありません。しかし、以前住んでいた東京の自治体では、「制度上、居宅介護は家のなかでしか使えないので、公園などへの外出時の支援には使えない」と言われ続けてきました。家事援助でダメなら移動支援で、という相談もしましたが、自治体側は「移動支援はあくまで障害のある人が移動する際の支援で、赤ちゃんのベビーカー等を押すことはできない」の一点張り。障害のある人が親として乳幼児と外出する、ということが想定されていないと感じました。
厚労省からは以下の事務連絡(https://www.homehelper-japan.com/2021/07/12/障害者総合支援法上の居宅介護-家事援助-等の業務に含まれる-育児支援-の取扱い/)が出ています。「親としてやるべき/やりたいこと」の実現のために家事援助等を使って育児支援を、という趣旨です。
昨年引っ越してきた島根県では、上記の通知を見せてニーズを説明したところ、例えば、長男の入院時、院内での親としての付き添い中の介助を居宅介護で認めるなど、柔軟な対応を続けてくれています。「親として当たり前にやりたいこと」を制度の枠にとらわれずに理解し、制度上は居宅介護であっても重度訪問介護的な支給決定があることで、障害があっても子育てしやすい環境が整うと感じています。

プロフィール

SMA(脊髄性筋萎縮症)Ⅱ型・「自立生活センター・VISION」代表 寺嶋千恵子

1987年、愛知県名古屋市生まれ。SMA(脊髄性筋萎縮症)Ⅱ型。2008年に自立生活を始める。AJU車いすセンターで活動したのち、自身のCIL「自立生活センター・VISION」を設立。2018年に子どもを出産。

文/油田優衣

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