あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載1回目

「介助者とともに地域で暮らす―地域でどのように、介助者を集め、育て、マネジメントしている?」イベントレポート①:自薦利用の先に見た、「自由と自己責任」

文/油田優衣 : 写真/

【イントロダクション】

重度身体障害者が介助を受けながら自立生活をするには、信頼できる介助者の存在が必要不可欠です。しかし、国内では、自立生活を支える重度訪問介護制度が社会的に十分に周知されていないこと、介助者不足という厳しい現状があり、当事者の自立生活の実現を阻害しています。
今回のイベントでは、介助者不足の問題や介助者との関係に向き合い、活動されている当事者の方々をゲストに招きお話を伺いました。

前半では、株式会社ALS Relation(エーエルエス リレイション)代表取締役の村下秀則さんと、自立生活センターてくてく代表の川崎良太さんの講演がありました。
村下さんからは、支給時間を増やすためにどのように行政と交渉したか、その後ご自身の事業者の立ち上げにあたって、いかに介助者を集め、育てていったかというお話がありました。そして、事業所の立ち上げ・運営のなかで、村下さんがいかなる心持ちや覚悟を持っておられたのかについても、介護派遣事業所を立ち上げられたご自身の経験を元に、語られています。

(文/油田優衣

目次

【挨拶】天畠大輔:「明日どこに行こうかな?」ではなく「明日どうやって生き抜こうか…」が現実――追い立てられ苦しむ当事者と繋がり、わをんが実現したいこと
学生アルバイトヘルパーとも、一生ものの付き合いになる気持ちで

本日はご参加ありがとうございます。一般社団法人わをんとNPO法人境を越えての理事をつとめています、天畠大輔です。
本日のテーマである「ヘルパーを使って地域で暮らす」ということは、都心部であっても難しく、地方であればそれは尚のことでしょう。

 みなさんは自薦ヘルパーをご存じでしょうか? 自薦ヘルパーというのは、障害当事者自らが募集・採用・育成し、マネジメントをするヘルパーのことで、彼らは、当事者の障害特性やコミュニケーション方法を熟知したヘルパーになります。

 自薦ヘルパー制度を活用すれば、今回のテーマである「地方であっても地域で暮らす」ということが実現可能になります。もちろん、自薦ヘルパーを使うことは、決して楽なことではありません。派遣されてくるヘルパーと違い、ヘルパーの指導やシフト管理など、当事者が自分でマネジメントをしなければならないからです。24時間介助の場合、一日、一週間、一ヶ月の時間を繋げ、シフトを埋めることは、決して容易なことではありません。かつては僕もこの作業に追われ、気が滅入ってしまうことがありました。そこで、ある時から、僕はこのシフト作業を、「ヘルパーと個別の関係性作りの過程」であると捉えるようになりました。

 それはどういうことかと言うと、例えばシフトを埋めてくれる存在に、学生ヘルパーがいます。学生のアルバイトヘルパーは、夕方の短時間や夜勤を担う貴重な存在ですが、一見すると、シフトの穴埋め要員のようにも思われるかもしれません。確かに、卒業までの期間限定、学業が優先のヘルパーです。しかし、彼らとの関係性を軽視せず、一人一人と真剣に向き合っていると、それは決して一過性の関係とは言えないものになります。僕は、それぞれの学生ヘルパーとは一生ものの付き合いになる気持ちで、日々関係性を築き、一緒に予定を生み出すつもりでシフトを組んでいます。その証拠に、現在僕とともに活動をしているヘルパーの大半は、学生ヘルパー時代の繋がりが縁になっているのです。ただ、多くの当事者の方々の悩みは、自薦ヘルパーのマネジメント方法よりも、もしかしたらもっともっと手前にあるのかもしれません。

障害者介助の制度を熟知した当事者「キーパーソン」を地方に増やす

現在のわをんの目標は、地方で「キーパーソンになる当事者」を増やしていくことです。いわゆる活動に意欲的で、動ける当事者です。でも、ここで一点お伝えしておきたいのは、僕は決して、そうした「特別な当事者」を増やし、その方々の生活の質をさらに高めることが最終的な目標ではないということです。むしろその先に、ゴールがあると考えています。
 自薦ヘルパーを自らマネジメントし、制度を熟知したキーパーソン当事者が増えることの、その先にあるものとは何か。それは、情報不足、地域格差、心身の状態など様々な理由から、まだ自薦ヘルパーをマネジメントすることに至らない当事者の方々を、救い上げるということです。

 先日、僕のもとに、「施設に入りたくない、在宅で生活したい」と、一件の相談がありました。しかし、僕は不本意ながら、その方に自薦ヘルパーの利用を勧めて、その支援をすることができませんでした。理由は、発話困難なその方の意向をしっかりと聞き取り、自薦ヘルパーをともにマネジメントできるような右腕となる存在が、その方にはいなかったからです。僕はこの当事者が、やむを得ず施設に入ったことを聞きました。こんなやるせない思いは二度としたくないと思いました。だから、そのために、まずはキーパーソンになる当事者を、出来る限り増やしたいのです。キーパーソンになる当事者が地域に増えれば、サポート体制のネットワークが広がります。それは雪の結晶のように、新たな結びつきを生み出し、連なっていくことでしょう。相談できる人が増えれば、救い上げられる当事者も必ずや増えると、僕は信じています。

 明日どこに行こうかな?ではなく、明日どうやって生き抜こうか…、それに追い立てられ苦しんでいる当事者と繋がりたい。そして、その方々に対し、実現可能な、自分らしい生活の提案とサポートをしていく。そこにこそ、ゴールがあるように考えています。
 それでは、本日のプレゼンターのみなさま、最後までよろしくお願いいたします。

【講演①】村下秀則さん:自薦利用の先にあるものとは?
重度障害者のロールモデルに出会い、自薦利用を決める

村下秀則と申します。私は1987年生まれの34歳で、富山県富山市に住んでいます。現在は、株式会社ALS Relation(エーエルエス リレイション)代表取締役、訪問介護事業所自薦サポートセンター代表、一般社団法人わをん理事をしています。富山市内で24時間ヘルパーに介助を受けながら、一人暮らしをしています。

『私が自立するまで』
 2017年の8月にALSの確定診断を受けます。その4か月後、クリスマスの日に東京に行き、小さな集まりに参加しました。そこで、天畠さんや、わをんの理事の真下貴久さん、酒井ひとみさんと知り合います。ここで、初めて自薦ヘルパーの存在を知ります。そして、真下さんが中心に企画するALS患者が自分の生きかたや思いについて真っ正面からプレゼンテーションする企画の第2回「自分をプレゼン」に登壇し、これからの自分の歩いて行く道を見つけます。
 また、重度障害者でも人生に目標や目的を持ち、毎日を当たり前に生活し、楽しみながら生きていけるんだということを改めて考える集まりである「幸せになるワークショップ」に参加しました。そこで、私が見たことのない人数の重度障害者の方がおり、介助者が吸痰や、経管栄養をする姿を見て、富山県でも同じ事ができれば生きていけるかもしれないと考えるようになりました。

 ここで自薦利用を開始すると決め、その4か月後、天畠さんの事業所にヘルパーを登録し、自薦利用を開始しました。その後、天畠さんにアドバイスしてもらいながら、当事者事業所である「株式会社ALS Relation」を設立しました。診断を受けて2年後のことでした。

『両親との関係』
 家族との軋轢は、誰もが通る道かもしれません。私と両親との関係についてお話したいと思います。
 私の母は介護の仕事を15年以上しており、介助技術や介助知識はそれなりにありました。ですが、家族を介助することは他人を介助することとは違い、そこに違う感情が入り、介助の質は日に日に悪くなり、母は仕事の疲れと私の介助疲れで、私に強い言葉で叱責し、「お前なんかなんで生きてるんだ、この死にぞこないが。死んでしまえ」と、何回も言われました。そんなことは日常茶飯事で、介助中に床に落とされ、そのまま何時間も放置され、ヘルパーが来るまで過ごすことが何度もありました。それくらい両親との関係はひどくなっていました。こうなるたび、何もできない自分が虚しく、死にたいと思いましたが、「自分にはやるべきこと」があったので、芯は折れませんでした。「やるべきこと」とは、また後ほど触れさせてもらいます。

「なぜこの時間数が必要なのか?」を自分で考え、自分の言葉で相手に伝える

『支給量について』
 支給量とは、「ヘルパーを利用できる時間」です。支給量は徐々に増やしていき、重度訪問介護利用から2年で1457時間の支給決定を受けることができました。私は、障害者運動の先頭に立っている患者ではありませんし、大都市に住んでもいません。しがない患者の私が、なぜ1457時間の支給決定を受けることができたのか、ご説明します。

『交渉について』
 交渉にあたって私が一番最初にしたことは、「自分をプレゼン」後、世の中に名前と顔を売り、新聞やテレビに沢山映り、半年で講演を12回以上し、世間の人や障害福祉課の担当者に私を認識してもらうようにしました。
 相談員に、「重度訪問介護のプランを24時間書いてくれ」と頼むと、「実例がないから無理だ」とグダグダと言われたので、私は相談員である担当者に、とにかくプランを書いてほしい、後は自分で交渉するから、という旨を強い口調で伝えました。ここで相談員との役割分担ができます。
 最初の交渉は、弁護士と一緒に交渉し、重度訪問介護の利用を開始しました。
 その後、申請を出すたびに、市役所からは、「しばらくは申請をしないこと」を条件に支給決定を受けていきます。ですが、1、2か月に一度交渉し、支給量をどんどん増やしていきます。なぜ、こんなことができたのでしょうか? 私が気をつけていたことを書いてみました。

  • 市役所の担当者には絶対に怒らず対応し、友好的な関係性を築いた
  • 何度も市役所に行ったり、電話をしたりし、状況を説明した。
  • プランを審査会に掛けるときは、1か月以上前に連絡をし、担当者と何度も何度もすり合わせをした。
  • 「なぜ、この支給量が必要なのか?」を根拠をもって自分の言葉伝えた。
  • 担当者がどんな角度から質問してきても、理論的に答えた。

『交渉でわかったこと』
 私が支給量交渉でわかったことは、10時間交渉することも1,000時間交渉することも一緒ということです。これは、私のなかで揺るぎません。なぜなら、自分のなかで「なぜこの時間数が必要なのか?」を自分で考え、自分の言葉で相手に伝えられるかだからです。これができるかできないかで支給決定、すなわち、生きられる環境は大きく変わっていきます。
 私が緊急搬送され、気切した後、市役所の担当者がこんなことを話して帰っていったのが印象的でした。「こんなことは言いたくないが、もっと命を大切にしてください、私たちが頑張って支給決定を今まで出してきた意味がなくなります」。私がとった行動が軽率だったことを自覚し、反省しました。また、この言葉を私は聞き、信頼関係が築けていることを改めて認識し、これからも頑張っていかなければいけないと思いました。

60事業所に派遣を断られ続け、事業所設立を決意。
対価を払って初めてまともな介助を受けられる。

 なぜ支給量交渉を粘り強く繰り返し、寝る時間も削って制度の知識を得て、起業することを選んだのか、それにはいくつか理由があります。
 自薦ヘルパーを利用する体制は整い、実際に長時間介助に入ってくれるヘルパーがいました。しかし、利用開始から3か月後にはその自薦ヘルパーをやめてしまいました。
 生活が立ち行かなくなり、県指定訪問介護事業所一覧に掲載してある60の事業所に問い合わせをしましたが、結果は…すべて断られました。

『60事業所に介助者派遣を断られた理由』

  • シーパップ(呼吸器)を着けており、対応できる介助者がいない。
  • 事業所側の事情で、時間が短時間(1時間)しか利用できない。
  • 重度訪問介護指定一覧には掲載してあるが、重度訪問介護は単価が安いため、重度訪問介護を実際はしていない。

シーパップの利用と短時間訪問しか利用できないため、この2点で9割断られています。みなさまにも在宅での生きづらさを共感していただける理由だと思います。自分を介助してくれる事業所がない…。
「なら自分が作ろう!」という思いが、起業を決意した理由です。

『会社設立』
 「幸せになるワークショップ」に参加するとき、さくら会の川口さんから「ここに来る人は、将来起業する人だから社名を考えてくるように」と言われ、そこで「ALS Relation」という社名が出来ました。Relationには「関わりや関係」といった意味があり、私は、3つの意味をRelationに込めました。それは…

  • 介助者との関係
  • 支援者との関係
  • ALSになってから関わってくれた人を忘れない

 左側のロゴには、Rの下に右矢印を引くことで、「後ろは振り向かず前に進んでいくこと」を決意表明しています。右側のロゴは「後ろは振り向かず前に進む、出会いを逃さないこと」を意思表示するために、巾着にしました。

『事業所開設』
 事業所開設までにしたことをお話します。これから当事者事業所を開設する方には役立つ話だと思います。

・右腕になるサ責の存在
ALSのようにコミュニケーションが自由に取れなくなる当事者にとっては、右腕となるサ責の存在は必須です。私は、天畠さんと天畠さんの右腕として事業所全般の運営業務にあたっている、ヘルパーの山﨑さんの関係性をよく見ていたので、しっかりした信頼関係ができていないと事業所は無理だということを理解し、今のサ責に決め、採用しました。つまり、既存の事業所から引き抜いたということです。
・制度や介護報酬の勉強
重度訪問介護の報酬単価や、処遇改善の計算方法、加算の条件について[1]勉強しました。私は、加算も踏まえ、今のサ責を採用することを決めました。
・支給量
事業所を運営していく上で支給量は欠かせません。正社員という安定した待遇で雇用することで、長時間介助が可能となり、結果、信頼関係を築けるヘルパーに介助してもらうことができます。
・事業所加算
事業所加算には、特定事業所加算、地域加算などがあり、地域加算で私がしたことは、市役所に問い合わせをし、どこが中山間地域なのかを確認し、指定地域に移住しました。私の支給量でお話しすると、これだけで月のヘルパー2人分の人件費の報酬が得られています。会社の運営はこれで大きく違います。
・処遇改善加算
処遇改善はヘルパーに支給する金銭ですが、これも支給量があるほどヘルパーに分配できます。そして、処遇改善にもランクがあり、サ責の実務経験が大きく左右されます。私の事業所は、開設3か月で一番上の「処遇改善Ⅰ」を取得していました。加算のなかには、介護福祉士が一定数いることで得られる加算もあります。

事業所を運営する上では加算の報酬は不可欠です。取れる加算はすべて取ることをオススメします。すべてはヘルパーの生活を安定させ、継続的に介助に入ってもらうためです。
私は、対価を払って初めてまともな介助を受けられると思っています。人材がおらず夜勤の連勤が続くなどした時は、社労士に相談し、追加手当を独自に支給しています。また、年2回の賞与とは別に、昨年は特別賞与も2回支給しています。福利厚生は手厚くしています。

 これらの支給量、サ責の資格、各種加算により、私の生活を支えるヘルパーに対して、安定した待遇を提供でき、また、私の存在によって、地域に雇用を創ったことは大きな誇りだと思っています。

『データで見る富山』
 富山県は全国的に比較してみても、重度訪問介護事業所が少ないです。昨年のデータで比較してみると、下から4番目でした。
 また、重度障害者は吸痰介助を必要とする人が多いのが現実です。しかし、喀痰吸引の3号、特定の人へのみ吸痰可能な吸痰資格を保有している人数は昨年4月時点で、富山県は全国最下位でした。ある日突然障害者になったかたの駆け込み小屋的な場所を作りたいという気持ちで事業所を立ち上げたので、富山県の医療的ケアにも対応できるヘルパーを増やしたいという思いがあります。

右腕となるサービス提供責任者の重要性と人材育成

『サ責との出会い』
 事業所を運営するには、サ責が必要です。私とサ責の出会いをお話したいと思います。
 出会うきっかけは、母が見つけてきたあるヘルパー派遣事業所を使い始めたことです。その事業所にサ責として働いていたのが彼女でした。最初、他のヘルパーが介助に入っていましたが、その人が退職し、サ責が介助に来るようになりました。その当時私は、色んな人に将来訪問介護事業所をやると言っていました。話半分に聞く人や馬鹿にする人もいましたが、サ責は、真剣に話を聞いてくれました。介助に関しても、毎日、遅い時間に来てくれました。勉強をするため、東京にも付き添いをしてくれました。起業する時も、前職を辞め、私に付いて来てくれました。私にとってサ責は、本当の親より、親な存在です。本当に感謝しています。

『人材育成』
 会社を設立した際、私は気切をする前に事業所を開設する目標を立て、誰に、どの仕事を任せるのかを決め、教育してきました。

・サービス提供責任者
サービス提供責任者(以下サ責)は15年以上のヘルパー経験があり、大手のヘルパー事業所とデイサービスで責任者を兼務していた経験があり、ヘルパーの技術指導や全体の管理を任せました。
・ヘルパー兼事務Aさん
Aさんは私の姉で、ヘルパーの資格を持っていました。金銭的なことを任せられる人がいなかった時、話をしたら、前職を辞め私の所で就労し始めました。事務経験がなかったので、一から教えました。
・左腕のFさん
私の左腕のFさんは、自薦雇用から現在まで就労しています。Fさんは、教えたことに対し、すぐものにすることができます。説明をしっかりしないと違うことをやるので注意は必要ですが、一つのことを集中してやると成果が見えるかたちで出ます。なので、各種役所の届けや、人材教育、自薦普及活動を任せています。

 誰に何を任せるかを決め、教育したおかげで、気切をしてからも会社の運営は上手く機能しています。

『ヘルパーとの関係性』
 私がヘルパーと生活する上で気をつけていることは、なるべく敬語で接することです。介助の始まりと終わりには「お願いします、ありがとうございます」を必ず伝えています。人は物ではないので、接し方を間違えるとすぐに辞めていってしまいます。これは、伝え方にも共通しており、一回頭を通して言葉にすることでヘルパーとの喧嘩も少なくなりました。

自薦利用の先に見た、「自由と自己責任」

 私が自薦利用の先に見たものは、「自由と自己責任」です。健常者と同じように、好きな時間に好きな所に行き、好きな時間に好きなものを食べる。誰にでも許されることが奪われ、取り戻すのに2年かかりました。ALSになってから、温かいマックのポテトや銀だこのたこ焼きを食べられずいました。ある日ヘルパーと一緒に銀だこに行ったときに、あつあつのたこ焼きを食べたとき、やっと健常者だった時と同じ生活に戻ったことを実感し、自然と涙が出ました。ですが、責任もまた重く「ヘルパーの失敗は自分の責任」になるので常に何をしているか見ている必要があります。ヘルパーからは「頭の後ろにも目がある」とイジられています。それくらい、ヘルパーが何をしているかは常に見て、指示を出しています。

 もう一つ責任があるとすれば、雇用の責任です。現在8名の正規雇用のヘルパーがおり、ヘルパーの生活を守っていかなければいけません。私も気持ちが揺れるときはありますが、芯の部分はしっかり持ち、毎日を過ごしています。

 長くなりましたが、この発表がみなさんの少しでもお役に立てれば幸いです。これで私の発表を終わります。ありがとうございました。

 

第2回イベントレポートはこちら

注釈

※加算について簡単に説明する。

特定事業所加算には2割の加算と1割の加算がある。職員の健康診断や所有資格によって、加算の割合が変わる。

地域加算とは、本社がどこにあるかで、加算の割合が変わる制度のことで、都心なら20%、中山間地域では10%の加算である。また、利用者が山間地域に居住している場合は5%の加算となる。

処遇改善加算は、4段階に切り分けられている。売り上げは、職員に全て支払わなければならない。役割等級定義書をつくることが必要。特定処遇改善加算とは、経験と技能のある職員を現場のリーダーとし、平均年収を引き上げることで、人材確保に繋げるための制度である。処遇改善加算と同様、加算で取得したお金は全て職員の賃金として支払わなければならない。加算割合は2段階。処遇改善加算と特定処遇改善加算の加算率は以下参照。https://www.mhlw.go.jp/content/000759623.pdf

文/油田優衣

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