あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載1回目

施設行きにならないための決断と覚悟

Hidenori Murashita

文/岩岡美咲 : 写真/谷川嘉啓

ALS・富山県富山市在住|村下秀則(むらしたひでのり)

1987年2月23日生まれ。2017年8月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と確定診断を受ける。2019年4月に(株)ALS Relationを設立し、代表取締役となる。2020年3月に一般社団法人わをんの理事に就任。富山市内で24時間介助を受けながら、愛犬(スモモ)と一人暮らしをしている。

【イントロダクション】

村下秀則さんは現在、富山市内で24時間介助を受けながらALS Relationの代表取締役と、一般社団法人わをんの理事をされています。2018年6月からALSのことを、もっといろんな人に知って欲しいという思いで講演活動を始められました。
重度障がい者が地域で生活をするのに欠かせない介助者や事業所は、地方では特に不足しています。村下さんは県指定訪問介護事業所一覧に記載してある60もの事業所に問い合わせを行いました。結果は、シーパップ(呼吸器)を着けている、長時間利用ができないなどの理由からすべて断られてしまいました。
そのような中、東京で若い世代の医療的ケアが必要な当事者を集めた小さな交流会に参加して、一般社団法人わをん代表理事の天畠さんと理事の真下さんと知り合います。村下さんはそこで、発話が困難な方、人工呼吸器を付けている方たちが訪問介護事業所をやっていることに衝撃を受けたそうです。さらに2018年に支援団体の「幸せになるワークショップ」に参加し、そこでもたくさん重度障がい者がいて、介助者が痰吸引や経管栄養をする姿を見て、富山県でも同じことが出来れば生きていけるかもしれないと、会社設立を見越した自薦ヘルパーの利用をスタートすることになりました。
今回のインタビューでは、村下さんがどうして当事者事業所設立という道を選ぶことになったのか、なぜそこに行き着いたのかをさらに詳しく探るため、わをん代表理事の天畠とお話を伺いました。

(文/岩岡美咲

目次

何で自分が…ALS発症

――まず、村下さんの自己紹介からお願いします。

村下:はい。私は1987年2月23日生まれの34歳で、富山県富山市に住んでいます。今持っている支給量が1457時間(ほぼ24時間2人介助)で、スタート時は456時間。丸2年で1457時間になりました。現在は株式会社ALS Relation(エーエルエス リレイション)代表取締役(※1)、わをん理事をしています。

――趣味や好きなものはありますか?

村下:車かな。健常者だったときにやり残したことをしています。

――ALS発症前の生活について教えてください。

村下:まず20歳のときに父が病気で働けなくなりました。住宅を購入したばかりでローンを支払うため、ダブルワークをしていました。ALSと診断される前の私は、年に10日ほどしか休みがない状態で働いていて、心も病んでいました。

――発症前はかなりギリギリの状態だったのですね。その当時、ALSの発症に気づいたきっかけはありましたか?

村下:ある日寝ていると、全身の至る所に麻痺がおきました。そのあたりから右腕がだるく、腕に熱さを感じ、1か月後には左右の腕の太さが見て分かるくらい違っていました。

――そのときは、病院に行って検査はしたのですか?

村下:リハビリに通っていました。だけど、よくならなかったです。それで、3か月後ぐらいに違う整形外科に受診したら、すぐに大きな病院に行くように言われました。

――そこでALSと医師から言われたのですか?

村下:そうです。

――当時の心境はどうでしたか?

村下:診断を受けたときは、「なんで自分がこんな目に遭うのか」と、余命数年と知って唖然としました。

――診断を受けてからは、入院生活を送っていたのですか?

村下:在宅で家族と過ごしていました。

――当時のご家族との関係性はどうでしたか?

村下:実家にいるときは、母との関係性は悪かったです。母からはきつい言葉を日常茶飯事に言われ、ヘルパーが来るまで何時間も待たされたことも何度かあります。

――障がい当事者と家族の関係性は、往々にして何かしらこういった話ありますよね。お母様も村下さんのALSという病気を受け入れられない気持ちがあったのでしょうか?

村下:いいえ、違います。母はヘルパーの仕事を15年以上していて介助技術や介助知識はありました。ですが、家族を介助することは、他人を介助することとは違います。母は仕事の疲れと、私の介助の疲れがあり、きつい言葉に繋がったと思います。

――一人暮らしをされてから、お母様との関係は変わりましたか?

村下:前よりは良くなったと思います。

――気管切開をする前の生活はどんな感じでしたか?

村下:実家にいたときの生活は、今と比べれば全然違うものでした。外出はほかの障害を持った方よりはしてましたが、好きなときに好きなところへ行くことはできてなかったので、そこが大きく違うところだと思います。

――今一人暮らしされているからこそ自由に外出できたり、好きなときに自分が好きなことをできるということですね。

村下:はい、そうです。

腹をくくった、会社設立

――村下さんの会社のブログ(※2)には、気管切開をしたときの状況が書かれていました。もともと外出先で呼吸困難になる前は、気管切開をすることを考えたり、介助者と「どういう状況になったら気管切開をするか」というお話をされていましたか?

村下:ALSを発症して1年半は気切するつもりはありませんでした。しかし、「会社を設立する」ということで腹をくくりました。気切をして1年が経ちましたが、体制も整っていたのでなんとか生活できています。

――気管切開する前と、した後で、何か気持ちの変化はありますか?

村下:会社を設立して腹をくくりましたし、そのときには「気切しないといけない」と思ってました。実際その時が来たときに、判断は鈍らなかったです。もう決まってました。何でかと言うと従業員がいて、その人たちの生活を守っていかないといけないからです。

――村下さんにとって事業所設立と、従業員である介助者たちを守るためにも気管切開することの覚悟が決まったのですね。

村下:そうですね。

――ちなみにスピーチカニューレ(※3)を試したことはありますか?

村下:私は試さなかったです。なぜなら、地域包括支援事業の15パーセント加算を取るため。そのとき話すことができていたら加算は取れない。だからつけなかった。これは審査の更新があるたび、毎回チェックされます。だから私はつけない。

――体調管理や介助者を守るということに加えて、加算を取るという意味もあったんですね。「声が出る」か「出ない」かで、加算が大きく変わってくることを初めて知りました。

村下:そもそもALSの人は、だいたいこの加算を取ってる。だから事業所もこの加算は欲しいと思います。ましてや重度訪問介護は単価が安いから、これは欠かせないと思います。

天畠:加算のためにスピーチカニューレをしない、というのは、目的と手段が逆転している気がするけど、現行の制度では、そうしないと、経営的に回っていかない事業所が出てくるということですよね

――どんな身体のあり方を選んでも、十分な支援や事業所への給付がなされるのが理想ですけど、現状そうはなっていないのですね。

村下さんは、今、日常生活はどのような一日の過ごしかたをしていますか?

村下:私の日常生活は、一軒家で24時間ヘルパーに介助をしてもらいながら一人暮らしをしています。シフトについては二交代制にしています。人員確保が難しく、たくさんの人を教育、管理できないからです。二名介助については、一人が必ず見守り、もう一人は家事、そのほかのことをやってもらっています。そのほか、パソコン操作は視線入力でしています。コロナ前は月15日以上外出していましたが、現在は自宅待機しています。

通訳を「(介助者)誰でもができる」ために

――日常生活の介助者スケジュールは、村下さんが作成しているのですか?

村下:はい、そうです。1400時間になるとシフトも大変で、作成には4時間5時間はかかりますね。一日が二交代制で、基本的には二人一緒に交代します。平日の日中のルーティンは特に決まっていなくて、けっこう自由にやってます。見守りをする介助者の過ごしかたは、私がむせていないかなど、細かな状況に気づかないといけないので、基本的には何もせず観察するように伝えています。

――二人対応で一人が見守り、もう一人が家事などをされているときは、二人が役割交代しながら過ごすのですか?それとも介助者一人の役割は決まっているのですか?

村下:特に役割は決まってません。私のところから離れるときは、必ず私とほかのヘルパーに伝えるようには指示しています。

――そのときの状況で村下さんに伝えて、介助者同士が補う関係ができているのですか?

村下:どうですかね。そこは指示してないので、ヘルパーさん同士でやってると思います。

天畠:僕の通訳では共有知識が介助者にあるかないかが大事になります。「この案件については、この人が通訳入ったほうがスムーズだ」ということもあります。事案によって、通訳の役割分担が変わるんですけど、村下さんの場合はどうですか?

村下:基本的にはあります。ですが、誰でもが通訳できるようにならないといけないから、最近はいつも通訳してるヘルパーを外して、いろんなヘルパーに通訳させてます。なぜなら、その人だけができるようになって、いなくなったら、私は誰ともコミュニケーションを取れなくなってしまうからです。最近は、まったくやってないヘルパーに面接をさせたりしてます。だから「誰でもができる」ということが大事だと思います。

天畠:たとえば「今日インタビューをする、受ける日だ」というときには、シフトを少し意識されたり調整したりすることはあるんでしょうか?

村下:意識はします。でも(いつも通訳しているヘルパーがシフトに入るようには)調整はせず、その日にいるヘルパーで対応します。

 

→第2回目の記事はコチラ。

注釈

1. https://www.als-relation.co.jp/

2. https://www.als-relation.co.jp/blog/

3. スピーチカニューレは、気管切開をしていても発声できるカニューレです。 https://j-depo.com/news/speech-cannula.html(ナースのヒント)

プロフィール

ALS・富山県富山市在住|村下秀則(むらしたひでのり)

1987年2月23日生まれ。2017年8月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と確定診断を受ける。2019年4月に(株)ALS Relationを設立し、代表取締役となる。2020年3月に一般社団法人わをんの理事に就任。富山市内で24時間介助を受けながら、愛犬(スモモ)と一人暮らしをしている。趣味は車。

文/岩岡美咲

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