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連載3回目

「学校制度や福祉制度には、青春の視点がない」

Rika Kogure

文/染谷莉奈子・嶋田拓郎 : 写真/江﨑裕春

「学校制度や福祉制度には、青春の視点がない」|小暮理佳3回目

SMA(脊髄性筋萎縮症)・大阪府吹田市在住|小暮理佳(こぐれりか)

1996年生まれ。埼玉、広島を経て、幼少期から大阪で過ごす。現在は母親、父親と実家暮らし。生まれつきSMA(脊髄性筋萎縮症)のため、移動には電動車椅子を用い、夜間と疲労時に呼吸器を使用し、介助を受けながら生活している。

目次

「学校制度や福祉制度には、青春の視点がない」|小暮理佳3回目

居宅介護と重度訪問介護を両方利用した経験を通して

——話は戻るのですけれど、初めてヘルパーさんを利用し始めたのは、いつ頃でしたか?

小暮:ちょうど私が中学2年生の終わりぐらいのときでした。お母さんが大学受験して、学部生として通うことになったんですよね。なので、放課後、自宅で介助を受けるために、居宅介護制度を利用し始めました。

ヘルパーさんは最大1時間半しか利用できないという制限があったので、家に着いたら、着替えて、おやつを食べて、休憩して、最終的に車椅子に乗せてもらってという必要最低限のことをしてもらって、あとはお母さんが帰るまで一人で過ごしていたという中学時代でした。

——他に使っていた福祉サービスはありましたか?使い勝手はどうでしたか?

小暮:当時、セルフプランで支援計画を作成していたので、ヘルパー事業所探し、スケジュールの調整、トラブル対応のすべてをお母さんか、わたし自身で行っていました。なので、誰にも相談できず、「まあこんなもんなのかな」みたいな感じで我慢していた部分はあったと今になっては思います。移動支援も居宅介護も、利用するときには、1カ月前にスケジュールを確定しなくてはならず、かなり使いづらかったです。ヘルパーさんに介助をお願いして、夏休みに友だちと出かけたり、たまに一人で買い物をしたりしたかったんですが、なかなか自由にできず、制度に対する不満はありました。

——高校に入ってからはどうでしたか?

小暮:高校では書道部に所属していたのですが、文化祭前にちょっと残りたくても、介護タクシーとヘルパーさんの時間の関係で、帰りたくなくても帰らざるを得ない高校3年間でした。テスト期間中などで学校が早く終わって帰って来ても、基本、居宅介護は一度に1時間半までしか使えなかったので、着替えてごはん食べて休憩して、ということすべてを1時間半で終わらせなければいけなくて。その後、最低2時間空けなければ再度利用できなかったので、2時間空けてまた30分か1時間程度ヘルパーさんに来てもらうという感じで、制限がたくさんありました。

——重度訪問介護に変えたきっかけは?

小暮:わたしの大学進学と同時に、居宅介護から重度訪問介護に切り替えました。大学側に「身体介助をする介助者を用意できない」とはっきり言われたのがきっかけでした。私が大学に入学すると同時に、お母さんも今度は大学院に進学することになったので、そこで初めて相談支援専門員の人に支援計画を立ててもらうことにして、大学生活のこと、夏休みなどの長期休みの過ごし方について、私に対する丁寧な聞き取りがあったのち、「重度訪問介護を利用するのがベストじゃないか」という提案を受けました。その後、吹田市に相談して、重度訪問介護の時間数を出してもらったという感じです。

——居宅介護から重度訪問介護にサービス利用が変わってどうでしたか?

小暮:いやー、もう本当に「自由を手にした」と思いましたね。人生が変わりました。高校までは、ヘルパーさんの時間調整で、もどかしい思いをたくさんしていたので。たとえばテスト最終日に、友だち同士でショッピングセンターに行って、ごはんを食べたり遊んだりを他のみんなはしていたし、文化祭の打ち上げに行けなかったことも悔しかったです。基本、友だちと遊ぶときはお母さんの都合をつけなければならなかったから、あまり誘われなくなっていたのも感じていました。

高校1年生のときに仲良しだったグループの、わたし以外の全員がUSJで買ったお揃いのキーホルダーを持っていたことがあって、誘われなかったんだと気づいたということがありました。わたしが「行ったの?」みたいな感じで聞いたら、「理佳ちゃんを誘おうかどうかっていう話になったんだけど、誘いづらかったから誘わなかった」と言われて。ショックでした。

けれど仮に誘われたからといってすぐに行けたかといえば、わからなかったですね。なかなか自分の意思だけじゃ動けなかったことがたくさんあったので、悔しい思いをたくさんしていました。大学に入って、重度訪問介護を使うようになって、旅行も行けるし、買い物も行けるし、友だちとスタバに行くこととかも、自分の意思でスケジュールを組めるから、「なんて楽なんだ、なんて自由なんだ」って思って、すっごく感動したのを覚えています。

「学校制度や福祉制度には、青春の視点がない」|小暮理佳3回目

学校制度や福祉制度には、青春の視点がない

油田:障がいのある学生とかの問題って、あんまりちゃんと放課後の学生生活も含めて考えられていないよね。

小暮:ほんとそう。福祉制度も学校制度も「青春の視点がない」っていうか。「教育さえ受けられれば万事OK」みたいな感じはしますよね。放課後の経験とかっていうのも、障がいあるなしに関わらず、成長するにあたっては大事な経験だと思います。重度訪問介護が18歳以上じゃないと使えないっていうのも、ちょっとおかしな話で。重度障がい者は生まれたときから重度障がい者であることが多いし、連続して支援を受けられたら、引き継ぎとかもすごく楽だし、学校ごとにそうやって介助のこととかを交渉しなくていいし。もっと突き詰めていくと、学校での支援が文科省と厚労省で管轄を分けられていること自体が問題だと思っています。学校生活も、日常生活も決して分けられるものではない、連続した人生の一部であると思います。これは就労にも同じことが言えますが。なかなかそういう視点の発言とかって聞かないから、そこはちゃんと言っていかないといけないと思います。

油田:問題の渦中にいる中高生とかって、重度訪問介護自体を使った経験がないから、「重度訪問介護がこんなに使い勝手がいいものなんだ」ってことを、その時点では知る由がないわけじゃない。

小暮:そうそう。

油田:「これしかない」って思っているから発言のしようがない。だからやっぱり我々が訴えていくべきだよね。大学だけじゃなくて、高校、中学、あるいは小学校から放課後の生活とかも、ちゃんと他の子と同じように自由に寄り道したりして、怒られたりとかさ、そういう経験ができることって本当に大事なことだと思う。今回の理佳ちゃんの話を聞いて、初めてはっきり思ったね。そこ全然議論されてないなと。「声が上がってないわ」って、今とても思いました。

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生き急いでいる部分もある。
濃密な一日を積み重ねていきたい。

―—今後について、今の思いを伺えたらと思います。

小暮:常に自分の中で思っていることは、自分は進行性の病気であるということです。なので小さい時から比べたら、体力はやっぱり落ちてきているんですね。だからこそ今のうちに積極的に外に出て、活動したいという意欲がすごくあります。勉強したいし、いろんな人に出会いたいし…というところは常日頃思っています。

――身体が動きづらくなる前に、いろいろなものを経験してみたいと。

小暮:そのような面で、自分の中で日々を生き急いでいる部分もあります。毎日自己ベストを更新したいという。濃密な一日を積み重ねていきたいという思いはあります。

――そういう面では、今はご家族と同居していますが、一人暮らしについてはどういったふうにお考えですか。

小暮:一人暮らしは、直近でやりたいこと第一位です。本当に。お父さんが定年退職するまでには絶対に実現したいと思っていて。あと3年くらいかな。それぐらいでやりたいです。だから今はとにかくお金を貯めなきゃって思っています。

 ――お金をためて…部屋を借りる資金ということですよね。

 小暮:そうです。その他に、今来てもらっているヘルパーさんに、「今後一人暮らしをしたいと思っているので、その時は引き続き介助に入って欲しいなぁ~」なんてことも言ったりしていますね。一人暮らしを想定した準備を今のうちからしていきたいなと思っています。

 ――そのために職を得たいという気持ちはありますか。

 小暮:そうですね。それで、働くための練習という意味合いで、東京大学先端科学技術センターで、障がいのある学生向けのプログラムであるDO-IT Japanの事務局の手伝いをしています。

――インターンということですね。

 小暮:そうですね。そういうのをさせてもらったりしながら、仕事から得られるもののすばらしさを実感しています。新しい発見、学びがすごくありますし、生きがいにもなる。そしてがんばった分だけ対価が得られる。コロナ禍でもオンラインで人としゃべったり、仕事のミーティングをしたりとかするので、外出がしづらいしんどい状況でも、何とか乗り切れているみたいなところはありますね。コロナが落ち着いたら絶対東京行きたいな、みんなに会いたいなと思っています。

 こうして在宅勤務のメリットもとても感じているのですが、やっぱり私の理想は、インクルーシブな環境で働くことですね。

インターンシップで実際通勤をして働いてみて、毎日職場の人と対面で関わることによって、お互いいろいろな発見があったし、なにより楽しかったので、その環境が重度の障がいがある人にも当たり前になってほしいなと思います。

――ありがとうございます。明確な目標とともに前へ前へと進み続ける小暮さんのパワーはどこから来ているのか、今回のインタビューでその一端を知ることができたように思います。特に、就活や大学進学の手前で、放課後やクラブ活動等を通して、青春を謳歌するという経験を積むことができていないということを、社会全体で共有していかなければならないと感じました。小暮さん、ありがとうございました。

「学校制度や福祉制度には、青春の視点がない」|小暮理佳3回目

プロフィール

SMA(脊髄性筋萎縮症)・大阪府吹田市在住|小暮理佳(こぐれりか)

1996年生まれ。埼玉、広島を経て、幼少期から大阪で過ごす。現在は母親、父親と実家暮らし。生まれつきSMA(脊髄性筋萎縮症)のため、移動には電動車椅子を用い、夜間と疲労時に呼吸器を使用し、介助を受けながら生活している。「ペケーニョ」という屋号で、手づくりアクセサリー販売などの活動も行っている。

文/染谷莉奈子・嶋田拓郎

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