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連載2回目

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと

Rika Kogure

文/染谷莉奈子・嶋田拓郎 : 写真/江﨑裕春

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと|小暮理佳2回目

SMA(脊髄性筋萎縮症)・大阪府吹田市在住|小暮理佳(こぐれりか)

1996年生まれ。埼玉、広島を経て、幼少期から大阪で過ごす。現在は母親、父親と実家暮らし。生まれつきSMA(脊髄性筋萎縮症)のため、移動には電動車椅子を用い、夜間と疲労時に呼吸器を使用し、介助を受けながら生活している。

目次

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと|小暮理佳2回目

夢見てきた企業へ向けたエントリーシート

——働くことについて、いつ頃から考え始めていましたか?

小暮:大学生になって、当たり前のように周りの友達がバイトを始めて、わたしもバイトしたいなと思って。それまではお小遣い制でずっときていたんですけど、大学入ってからなくなって、代わりに(障害)年金とかを自分で管理するようになりました。でも、ほしいものを買ったり、旅行に行くために、もっと「お金ほしいな」とか思うじゃないですか。周りの友達と同じように。

——自分でお金を稼いで、自由な生活をしたかったと。それで就職活動しようとなったときに、受ける企業を選ぶ基準は何だったのですか?

小暮:受けたい企業から受けたって感じですね。最初は自分のやりたいことができるか、会社の雰囲気などで選んでいました。

——やりたいこととは、具体的にどういうことだったのですか?

小暮:一番入りたかったのは、神戸にある通販の会社でした。雑貨とか洋服とかを作っていて、わたしが小さいときから、そこの洋服や雑貨をお母さんが買って身に着けていました。デザインも良いし、細かいとこまですごくこだわりが散りばめられていて、カタログとかもすごく可愛くて。いろいろ調べていく中で、企業理念や社会貢献とビジネスのバランスがめちゃめちゃ良かったんですよね。それで、働きたい!商品企画に関わりたい!と思ったんです。会社の入っているビルの外観だけですけど、実際に見に行きましたし、そこで働きながら近くに住むで不動産屋さんに行ったりとかして、「わたし、ここに住む予定です」とか、全然採用試験もまだ受けていないのに言っていましたね(笑)。もう「絶対ここは受けるぞ」って大学2年生のときから決めていました。

年齢、障がいの有無等関係なく誰でも受けられますという試験だったので、なぜ落ちたのかは謎のままですが、障がい者採用っていう枠もなかったし、「障がい者です」って書くところもエントリーシートにはなかったので、落ちてもそんなにショックではなかったですね。むしろ「やりきった」達成感のほうが大きかったです。

——障害があるという理由で判断されたのではなく、実力で見てもらったと感じられたんですね。就活に挑む小暮さんのバイタリティはどのように培われたのか、小暮さんの人生を遡って伺っていきたいと思います。

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと|小暮理佳2回目

制度が変わること、人々の意識が変わることどちらも必要

——就活で苦労されたとお聞きしましたが、どの辺りで苦労されましたか?

小暮:障がい者採用枠で受けたときに、設備の問題をクリアしている会社はあったんですが、やはり介助が必要なことと時短勤務のことについて、会社内での調整ができないと断られました。わたしにとってその理由が一番悔しくって。CSR(企業の社会的責任)でダイバーシティーの推進を謳っている企業を受けたりしたんですが、「全然ダイバーシティーじゃないじゃん」って思いながら就職活動していました。なんか、ほんとうに私のような人が働く基盤が今の社会、労働市場にできていないのをものすごく感じていましたね。

——その点で言うと、障がい者雇用について、世間的にはどういうイメージを持たれるべきだと思いますか?

小暮:そうですね。具体的に一例を挙げるなら、就職活動をする中でインターンシップに参加したんです。最初、障がい配慮事項や、自分がどういう人かということを書面だけでやり取りをしていて、いざ対面でわたしの全体が見えるかたちで人事のセンター長にお会いしたときに、最後に「意外と元気ですね」って言われたんですよ。それがすごく衝撃で。「あ、自分ってもっと元気じゃないと思われていたんだ」と思って。それがたぶん書面から伝わる障がい者に対する一般的な印象なのかなっていうふうに思いました。

加えて、インターンシップの打ち上げで採用担当の方と話したとき、「説明会ではどういう障がい者が来るんですか?」と聞いたら、「あんまり明るい人はいないイメージかな」とおっしゃっていて。そこでも「あ、そういう感じなんだ」と驚きました。書類だけだと、重度障がいの人ってすごく重度に感じるから、相手からしてもそこのインパクトが大きく、そこからその人の本当の姿・働いている姿をイメージするのって、なかなか難しいと思います。なので、まずはそういう人たちと会う機会をもっとつくらなきゃいけないと思いました。学生たちが企業説明会で見せる顔って一番緊張してるときなんですよ。緊張するのは障がいの有無に関わらずみんな同じなのですが、障がい当事者側も、自分の障がいを卑下して、暗いとか静かという印象を相手に抱かせるのはもったいないと思います。自分の今までの経験や能力に自信を持って就職活動をすることができるようになってほしいなと思いますね。なので私にとってインターンシップはとても貴重な機会だったし、これがもっと一般的になってほしいなと思いました。

ただ、企業の方から何かネガティブなことを言われるかもしれなという不安を当事者も持っています。なかなか自信が持てないことってすごくあると思うので、「安心して働ける」環境が整えば、障がい者のマインドも変わっていくんじゃないかなと思いました。だからやるべきことは山積みです。

——最終的には何社ぐらい受けたんですか?

小暮:10社ぐらいですね。

——第一希望の通販会社は、障がいがあるなしにかかわらず落ちたことで納得感があったということでしたけれども、介助と時短勤務を認めてもらえないとか、ある種自分のどうしようもない部分で落とされるのは、結構しんどかったんじゃないかと思います。

小暮:そうですね。最初は逆の方がしんどいんじゃないかと思ってたんですよ。自分の能力が足りないから落ちた方がつらいんじゃないかと思っていましたが、全然見てもらえない方がしんどかったです。やっぱり介助が必要とか、時短勤務とか、ほんとに「自分がどうしようもできないことで落とされた方がつらいんだ」と思ったのは、インターンシップを受けた企業も落ちたときですね。

油田:そもそも自分の能力を評価してもらえる土俵にすら立てないみたいな感じだったと。

小暮:2週間働いて大成功に終わって、「できる」って自分の中で自信になったのに、いざ雇用ってなると「働けない」と言われたときに、「え、これでだめなの?」って思いました。数日間、下を向いたら涙が溢れてきそうなぐらい、落ち込みました。

——これまでの小暮さんの話を踏まえると、たとえば就労時でも重度訪問介護が使えるとなったら、爆発的に重度障がい者の雇用が増えるかっていうと、そう簡単でもないのかもしれないってことですか?

小暮:そうです。全然増えないと思います。だからそんな心配は取り越し苦労だと思います。まず採用面接を受ける重度障がい者もたぶんそんなに多くならないと思うし。大手の企業の新卒採用だと、特別支援学校卒じゃ無理だったりするんですよね。大卒とか専門学校卒が条件だったりもするので、まずそこをクリアしている重度障がいの人は今それほど多くはないと思います。かつ、受けられたとしても、企業側の意識とかもそうだし、ハード面はもちろんのこと、ソフト面が全然追いついていないという印象です。(重度訪問介護が就労時も使用できるようになったら)インターンシップの機会とかは増えるかもしれないけど、いざ雇用される数が増えるかといったら、すぐにはそうならないと思います。介助者を入れて働くということが、未知の領域なので、なかなかそれが一般的になるには時間がかかると思います。

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと|小暮理佳2回目

インターンシップの機会はとても大事
――2、3週間ちゃんと働くのがいい

——いやー、そうですよね。普通はバイトなどを通して、働く心構えを少しずつ積み重ねるチャンスはあるけど、障がい当事者の方はそこ機会が少ないから、いきなり働くっていうこと自体に大きなハードルがあるんですね。

小暮:そうですね。インターンシップに参加したときも、大手企業だったからなのかもしれませんが、効率とスピードが求められる世界だというのをすごく感じました。健常者の社員のみなさんもすごく頑張っているなかで、そのスピード感は福祉的就労とはもう比べものにならないぐらい厳しい世界でした。

——なるほど。健常者並みのスピード、健常者並みの労働生産性で働けるかどうかっていうので見られる限り、つらいですよね。

小暮:そうなんです。結局求められる能力ってなんなんだろうって思っちゃって。インターンシップの機会が健常の学生に比べて圧倒的に少ないので、まずは増やすことから始めてほしいなとは思っています。インターンシップも1dayとかではなく、2、3週間できたらお互い発見がいっぱいあると思うんですよ。そこからやってほしいですね。

油田:実際に理佳ちゃんは、インターシップの期間、すごくいきいきとしてたよね。1日トータルで何時間だった?

小暮:15時間で、そのうち休憩が1時間だった。

油田:トータル5時間か。1日トータル5時間会社に行って、自分のいいペースで働いて、家に帰る。理佳ちゃんが、すごくいきいきと生活している姿を見て、こういう生活の仕方もあり得るのに、重度障がい者の就職が制度によって阻まれているというのが、一緒に見ていてつらかった。ほんとにどうにか変わってほしいなっていう思いは、いつも持っていました。

小暮:わたしはまず、制度が整っていないことが一番の課題であると思います。もちろん制度だけが整えばいいって話ではないのですが、そもそも制度がないとスタートラインにすら立てないんですよね。助成金があるにせよ、企業が一部でもお金を負担しないといけない状態だったら、そりゃあ雇用するわけないんですよ。介助がいらない障がい者がいたらそっちを採用する。まず制度が整ってないうえに、こんなに純粋に働きたいって思いを持ってる人の願いが叶わないのは、ほんとにほんとに問題だと思いましたね。

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと|小暮理佳2回目

就活は一旦中断中

—―最終的にこの就職っていう道を、一旦ちょっと置いておこうという判断をされたのはいつ頃なんですか?

小暮:4回生の12月ですね。10月下旬から11月中旬まで教育実習に行っていたんですね。教育実習って体力を使うので、やりきったあと、ものすごく疲れていて。加えて卒論も書かなきゃいけなくって、もう心身ともに就活どころではなかったので、「卒業することを第一目標にして、すべてやめよう」と思ったのが一つのきっかけでした。

それから12月に障がいのある学生の就活を支援している団体の人とお会いしたときに、「小暮さんのやりたい仕事って何ですか?」と聞かれて、答えられなかったんですよ。なぜかというと、今までの就活を通して、いつの間にか自分の中で、面接に行くことがゴールになっていて、自分のやりたいことというより、受かりそうな、面接に行けそうな企業を探してしまっていて。「そこで答えられないって自分とうとうやばいな」って自覚したので、「それだったら辞めよう」と思って辞めました。

あと、最後はお父さんとの会話の中での一撃でした。とどめの一撃をくらった感じです。もともとお父さんとはあまり複雑な話を深くはしゃべらないので、「ここを受けて落ちました」っていう結果だけ言っていて、就活やめたときも、「就活をやめました」しか言ってなくて。そのときに、「ヘルパーさんって仕事中使えないから、そこがすごい壁になっていたんだよね」みたいな話をさらっとしたのですが、お父さんはそこで初めて、就労中に重度訪問介護が利用できないことを知ったんですよ。そしたら、お父さんに「え、ヘルパー使えないの?じゃあなんで就活してたの?」って言われたんですよ。「おお、まじか」って思って。お父さんは一般企業で働くサラリーマンだから、「一般的なサラリーマンの考えってこういう感じですよね~」って思って、そこでなんかパーンとふっきれて、卒業論文の執筆に邁進しようと思いました。

油田:諦めがついたのね。

小暮:うん。すごくストレートに言ってくる人がこの世に、しかもこんな身近にいるんだと思って。わたしの周りの人たちにはありがたいことに「頑張って」と応援しかされてなかったから、自分も頑張ろうって思えていたんですけど、お父さんから「え、なんで就活してたの?」とか言われたら、「あ、世間ってこんな感じなんだ」って思って、スパッて心の糸が切れました。

——なるほど。心の糸がお父さんの何気ない一撃で切れて。

小暮:もうパーンって感じです。でもスッキリしました。あれだけはっきり言ってくれた。言ってくれたっていうか、どストレートだったので、「ああ、なんか潔いですね」みたいな感じでした(笑)。就活中に企業からやんわり断られたことのほうが今でも引きずっていますね。

――たとえ重度訪問介護が、就労時の利用が認められても、就活し、就職にまで漕ぎ着ける重度障がい者がどれだけいるのかという問題を痛感しました。

 

※第3回では、現行の制度にはどのような視点が不足しているのかを、居宅介護・重度訪問介護を利用してきた小暮さんの経験を踏まえ、話を深めていきます。

何が障がい者の就労を阻むのか——インターンシップ・就活の経験を通して見えたこと|小暮理佳2回目

プロフィール

SMA(脊髄性筋萎縮症)・大阪府吹田市在住|小暮理佳(こぐれりか)

1996年生まれ。埼玉、広島を経て、幼少期から大阪で過ごす。現在は母親、父親と実家暮らし。生まれつきSMA(脊髄性筋萎縮症)のため、移動には電動車椅子を用い、夜間と疲労時に呼吸器を使用し、介助を受けながら生活している。「ペケーニョ」という屋号で、手づくりアクセサリー販売などの活動も行っている。

文/染谷莉奈子・嶋田拓郎

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