あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載4回目

「介助者とともに地域で暮らす―地域でどのように、介助者を集め、育て、マネジメントしている?」イベントレポート④:「魅力のある障害者」しか自立生活できないのか? 自立生活をすべての人に開かれたものにするために

文/油田優衣 : 写真/

【イントロダクション】

重度身体障害者が介助を受けながら自立生活をするには、信頼できる介助者の存在が必要不可欠です。しかし、国内では、自立生活を支える重度訪問介護制度が社会的に十分に周知されていないこと、介助者不足という厳しい現状があり、当事者の自立生活の実現を阻害しています。

2021年3月13日のイベント「介助者とともに地域で暮らす―地域でどのように、介助者を集め、育て、マネジメントしている?」では、介助者不足の問題や介助者との関係に向き合い、活動されている当事者の方々をゲストに招きお話を伺いました。

自立生活センター東大和の海老原さんからは、これまでの3人のお話をうけて指定発言をしていただきました。障害当事者のQOLを上げるためには、制度が整うことは不可欠ではあるが、それだけでは足りないという話や、日常生活において「完璧」であることを求められる障害当事者のしんどさについての話、また、「魅力的な障害者」でないと自立生活できないのか?という問題提起がありました。

最後は登壇者全員で、自薦ヘルパーの利用や当事者事業所の設立のために障害当事者に求められることや、障害者が「頑張らなくてもいい」生活を実現するために今後の障害者運動に求められることについて語り合いました。

(文/油田優衣

目次

〈指定発言〉海老原宏美さん
制度は整ってきている。が、そこで生活をしている障害者のQOLは…

 みなさん、こんにちは。自立生活センター東大和の海老原宏美です。今日は指定発言ということで、冒頭からお話を聞かせていただいて思ったことをお話させていただきたいと思います。

 まずは日本全国で、離島も含めて、24時間介助が必要な人たちに対する介助保障が整ってきているということがすごいことだなぁと思います。私が自立生活を始めたのは2001年の秋からですが、そのころは、「重度障害者が地域で自立して何になるんだ」とか、「そういう人が地域にいることで地域の財政を圧迫するんだ」というようなことがあからさまに言われていた時期だったんですよね、東京でも。でも、それがもう、24時間介助を使って地域で自立生活をしていくんだっていうことが運動として拡がっていったことが目に見えて嬉しいなと思いました。

 それを踏まえてなんですけど、制度や仕組みが整ってきている一方で、そこで生活をしている人たちのQOLが確保されているかどうかという話は、また全然違うと思っています。つい最近、京都で自殺幇助の事件がありましたけれども、24時間の介助の支給決定がちゃんと出ていて、事業所や人手が足りなかったりはしても一応回ってはいた。大変な生活ではあったかもしれないけれども、一人暮らしができていた。にもかかわらず、やっぱり死にたくてしかたがなくて、という人は、たぶん他にも沢山いるんだろうなと思っています。

 実際に最近私がサポートを始めた方も、24時間に近いかたちで生活できているし、マンションも借りられて一人暮らしができているんですけれども、それでもやっぱり「安楽死したい」っていうふうにずっと言ってるんですよね。制度がちゃんと整っていることとQOLのバランスについて、やっぱりずっと気になっていて、ずっとそのことを考えていかなくちゃいけないなって思っていますが、そのバランスがうまく取れていない背景が何なのかということが、今日のお二人のお話のなかで少し垣間見えたように思いました。

 まず村下さんのお話から。支給決定は出ているけれども、もともとの地域――村下さんの場合は富山――で、「重度障害者が地域生活をすることなんか、とんでもない」、「前例がない」というようななかで、その派遣自体を受けてくれる事業所がなかった、社会資源がなかったというお話でした。たぶん、「重度の障害を持った人は、病院とか施設で生きていくのが一番安全で幸せなことなんじゃないですか?」というような考え方が、まだまだ根強い地域だったのかなぁと思います。そこで村下さんは、「ないものはつくっていく」という力強い気持ちがあって、ゼロから行政との交渉や介助者の育成をやってきたということでした。それを勝ち取るというか獲得していくことで、地域のなかで当たり前に生きる、当たり前の生活を確立するということ自体が、村下さんにとっての大きな仕事になっていったわけですよね。それで実際に会社の社長さんでいらっしゃるということで、それを作り上げていく、生活を作り上げていくっていうことが、やりがいだったり、生きるエネルギーになっていったんだろうなというふうに思います。

 そこからわかることは、生活のなかで、そういう自分の役割だとか自分の仕事っていうものを生み出せていけることがQOLに繋がっていく、(支給)時間数もあった上でのQOLに繋がっていくということなんだろうなというふうに思いました。

 次に、川﨑くんの話についてです。村下さんと違うところは、自分の個人の生活を良くしていくためにどう動くかということから一歩先の、組織的に社会のあり方を変えていくための運動、障害当事者運動を展開しているという点が違うところですよね。それが自立生活センターを通しての活動ということなんですが。私も今、自立生活センターでずっと代表をさせていただいております。川﨑くんの話は、「モデルとして、立派な障害者であり続けなければならないというふうに思って、頑張り続けて、ちょっと疲れてしまったから、もうちょっと気楽に、障害者だってもう少し気楽に生きていいんじゃないか」というようなお話でした。

「自己決定」が可能になるには、長い時間と支援が必要

 自立生活センターの活動の軸になる部分の一つは、長年施設や病院のなかで過ごしてきた人たちを、本来あるべき地域のなかに出し戻していこうということだと思うんですね。そして、親元にずっといるような障害者も、親が倒れたら施設に入れられてしまうことが目に見えているので、施設に入れられてしまう前に親元からも自立をしようということで、自立支援の活動をずっとやっている団体です。

 だけど、長年施設や病院に入れられていた障害者は、やっぱり健常者に比べたら圧倒的に社会経験値が低いんですよね。そのことによって、社会性が乏しかったり、介助者との関係も含めた人間関係全般を自分でうまく作っていくことが苦手だったりする人が多いわけです。病院とか施設のなかではずっと受動的であることを求められるので、自分で「ああしたい、こうしたい」って言えない。全部スケジュール決まっているし、良太くんの話にもありましたけれども、受動的でないと生き抜けないような環境なわけです。そういうところにずっといた人たちにとって、主体的に生きていくっていうふうに人生を転換していくのはすごく難しいですよね。

 地域に出てきたから今日からそれができるとか、明日からできるようになるっていうことはないんです。その生きかたを変えていくサポートを含めた自立生活支援が大事なんですが、そういう人たちに関わる介助者は、ちょっと油断すると、あっという間に当事者を管理をしてしまいかねないんですね。「この人はできない人だからやってあげなくちゃ」っていうふうに、先手先手を打って管理していくような関わり方になってしまいがちなんです。

 だから、そういうことを防ぐために、「指示待ち介助」っていうんですかね、「障害者から指示が出てから動いてください、勝手に判断して動かないでください」っていうことをずっと徹底してきた歴史があります。これは、「黒子論」とか「手足論」とかって言うんですけども。そういう歴史があるわけです。すごく深い、意義のある歴史でもあると思います。

 なので、そういうふうに介助者のことをうまくコントロールできる障害者こそが立派なモデルだとされてきたわけです。そういう理想があるのは、ある意味大事なことなのかもしれないんですけど、さっきも言ったように、20年間ずっと受動的な生活をせざるを得なかった人が主体性を取り戻すには、私は20年間ぐらいかかるんじゃないかなぁと思っているんです。そんなに簡単には変われないので、介助者の人にはそういう背景をきちんと理解してもらうための、介助者に対するサポートを団体としてやらなくちゃいけないんだろうと思っています。

「完璧」であることを求められる障害者のしんどさ

 そして、自立生活センターでは、「障害があっても地域で当たり前の生活を送っていこう」ということをスローガンとして掲げているんですけれども、「当たり前の生活を」って言っているくせに、障害者に対しては完璧なモデルであることを要求したり強制したりしていることって、意外と多々あるんじゃないかなって思っています。だから、「当たり前って何なのかな?」っていうことを本当に今、考え直していく必要があると思っています。

 良太くんの話のなかにも十分ありましたけど、障害のない人たちは、生活のなかで、たとえば「体に悪い」とわかっていても、体に悪いものを延々食べ続けたりだとか、ゴミ屋敷になっちゃったりだとか、「めんどくさい」と言って何日もお風呂入んないとか。あとは、人の顔色を見ながら言ってることとかやってることを変えてみたりだとか、平気で嘘ついてごまかしたりだとか。

 そういうだめなこと、だらしないことを、多くの人たちは普通にやってるじゃないですか。それに対して、「だってこうだったからさぁ」とか、「いやぁ、だってあの人はさぁ」とか、「でもでも……」みたいな感じで言い訳しながら、ごまかして生活をしますよね。それが普通だと思うんですよね。だけど、障害者っていうのは、そのごまかす方法だとか、「こういうふうにうまく言ったら責任から逃れられるんじゃないの」というような練習ってなかなかすることがないんです。そして、「そういうことやっちゃだめだよ」、「そんなんじゃだめだよ」っていうふうに言われる、そういう厳しさがあるなあって思うんですよね。だから「障害者にばかり完璧を求められる」っていう辛さがあるなぁとあらためて感じています。

介助者には「介助者としての主体性」をもってほしい

 私も進行性の障害で、去年、一昨年くらいから相当体がボロボロになってきていて、すごくしんどくなってきているんですよね。生活を維持していくだけで結構いっぱいいっぱいなところがあるんです。そのなかでも、「指示が出てからの介助」みたいなことを徹底され、完璧な指示を求められると、私もものすごくきついし、「毎回毎回介助者をゼロから育成してください」とかっていうようなことを強制されてもすごくしんどいなって思ったりしています。自分らしい生活を送るために自立生活を送っているのに、いつの間にか気づいたらシフトを埋めるための生活だったり、介助者とか介助をうまく回すための生活になってしまいかねなくて、本当に本末転倒だなぁと思うんですよね。それで、こういうふうになってしまうと、いわゆる「制度は整っているけれども、全然楽しくない自立生活」になっていくのかなあと、QOLは下がっていくのかなあと思いました。

 「当事者主体」っていうことはすごく大事なんです。もちろんそうなんです。自分が地域のなかでどういう生活をしていきたいかという、当事者本人の主体性を軸にすることは、もちろん基本であるべきです。でも私は、介助者としての主体性も介助者にしっかり持ってほしいなぁと思っているんです。「こういう生活をしていきたいんだ」という当事者の主体性と、「そういう障害者を自分は支えたいんだ」という介助者の主体性がうまく噛み合わないと、やっぱりQOLっていうのは上がっていかなくて。「ちょっとよくわかんないけど、言われたことだけやってればいいや」というような関わり方を沢山されると、ちょっとしんどい生活になってきているんですよね。

 自立生活センターのスタッフや代表という立場などのが、自分の生活がすごくしんどいと思っているのに、まわりの人に、「自立生活いいよー。あなたもやってみたら?」なんて言ったって、全然説得力ないんですよね。

 とにかく自分が自分らしい、楽しい――別に楽しいだけじゃなくてもいいんですけど――、充実した地域生活を送れていて、それを見た人たちが「自分もあんな生活したいな」って思ってくれるような、そういうふうに伝播して広がっていくというのが、やっぱり運動としての理想のかたちなのかなと思いました。

「魅力のない障害者」になることへの不安とチャレンジ ーー「魅力のある障害者」しか自立生活できないのか?ーー

 最後に、私が今すごく悩んでいること、課題だなと思っていることの一つをお話したいです。障害者のなかには、介助者とうまく関係性を作っていける力のある障害者と、どうやっても自分だけの力では難しくて、いつも介助者と何かしらトラブルが起きていて、それで介助者からも「あの人の介助ちょっとしんどいから抜けたいんですよね」と言われてしまうような障害者がいるんですよね。で、今の介助の人手が足りてないような状況のなかでは、良い介助者の取り合いみたいになってしまいます。

 私も別に自分で目立とうとか、努めて好かれようと思って生活をしているわけではないですけど、だけどやっぱり映画に出たり、本を書いたり、テレビで発信をしたりっていうふうに、外に向けて発信する機会が多くあって目立つ、目立ってしまうので、「海老原っていう人はすごく活動的で魅力的な人だ」と思われてしまうことが多いんです。

 それで、私の介助に入ってくれる人は、やっぱりそれで集まりやすい。「海老原さんの介助ぜひやりたい」と言ってくれる人も多くなるし、定着率も高い。やっぱり介助してて、刺激あって楽しいですよね。毎日毎日マンネリの生活ではなくて、いろんなことが起きるので、介助してて楽しいと思ってくれたりして定着率も高いわけです。だけど、これからどんどん歳を取って、活動のレベルが下がっていって、おうちで寝たり、休憩したり、ゆっくりしたりしてることが多くなっていったときに、私もきっと「魅力のない障害者」になっていくんだろうなっていうふうに思うんですね、本当に(笑)。そういうときに今のような介助体制だとか、介助者との関係性が維持できるのかとか、自分のQOLっていうものを維持できるのかっていうことが、今からちょっと怖くてしょうがないんですよ。

 本来だったら必要な人に必要なだけの介助体制を整えていくことが保障としては必要なんだけれども、やっぱりこの関係性って人対人、障害者と介助者っていうのは人と人との関係なので、相性もあるし、介助者の人にとってのやりがいだとかモチベーションっていうものもあるだろうし、そういうのが障害者の生活によって左右されてしまったりすることは、どうしても避けられないことだと思うんですよね。障害者のQOLと、あとは介助者のやりがいやモチベーションのバランスを、保障としてどう整えていくのか、障害者にとってのこの運動のなかでどう整えていくのかとかっていうことを、今後やっぱり考えていかなくちゃいけないし、その活動のなかに魅力的じゃないような――「魅力的じゃない」って言ったって、別に活動してないことは普通なんですけどね。普通であることが、ついつい「魅力がない」っていうふうに見られてしまうっていうことなのかなぁとは思うんですけれども――、そういうところを今後は率先して、自分がその部分に対してのモデルになっていく必要があるんだろうなぁなんて思っています。このような問題提起をして、指定発言とさせていただきます。ありがとうございます。

discussion
自薦ヘルパーの利用や当事者事業所の設立のためには、ある程度の覚悟が必要

嶋田:海老原さん、ありがとうございました。ものすごく重要な問題提起がなされたと思います。「魅力のある障害者しか自立生活できないのか?」という問題って、かなり大事な問題で、「じゃあどうするの?」っていうところを、もっと議論していかないといけないと思いました。

 2点ぐらい絞って伺いたいと思っています。たとえば地方や離島といった過疎地域でも、24時間介助の事例や2人介助の事例がぽつぽつ生まれてくるなかで、介時間数が取れても、介助者がいない、事業所がないという問題について、どうすればいいのかってことを、多くのみなさんが思っていることだと思います。

今回のイベントでの、天畠や村下さん、大野さんの話は、「自薦ヘルパーっていうかたちで、自分でゼロから作って行く必要があるのではないか。自薦ヘルパーだったらできるんじゃないか」というものだったと思います。自薦ヘルパーは、専属介助者を作るっていうことですが、改めて、自薦ヘルパーを利用するにあたっては、当事者にどういうことが必要だと思いますか?

村下:まずは、やることじゃなくて、やり切ることが大事。その覚悟がなければできない。私は事業所をやると決めた時から、「いつまでにこのところまで行かないといけない」とプランを決めてやってきました。そうすることで期限がしっかり見えて、その時期までにそこへ達成できたというか、どこまで達成できているのか見ることができた。その事業所を作るまでに、腹をくくって貯金を全部使うつもりでやり切りました。予定通り貯金を全部使って、事業所開設までやり切りました。

 今まで私のところに問い合わせがあります。実際に会いに行ったけれども、その人は雰囲気や目が真剣ではないから、覚悟が決まっていない。私もそうでしたけれども、本当に切羽詰まっている人は、目や雰囲気が全然違う。だから本気でやる人は、見る人が見ればだいたいわかると思います。

嶋田:覚悟と本気という言葉が出ました。つまり、それは自分で自分の生活作っていくということや、「自分でヘルパーを集めるぞ」と腹をくくるというふうに受け取りました。ということは、自薦を使うときは、事業所に契約して事業所からヘルパーが来るのを待つという受け身の姿勢では難しいっていうふうになると。「それってやっぱり、ハードル高いなぁ…」って思う人も出てくると思うんですが、大野さん、そのあたりいかがでしょうか?

大野:実は、自薦登録がちゃんとできる人って、身体障害者のなかで言うと、全体の1割とか2割というふうに言われています。で、当然「残りの8割の方は、どうするのか?」という問題は、1990年代頃からずっと障害者団体、とくに自立生活センターとか我々の界隈ではずっと考えてきたことです。そのためにも、地方で、1人目の人が自薦ヘルパーを使って自立したら、能力のある人にはなるべく自立生活センターをその地域で立ち上げてもらって、団体として、自薦が難しいような人の自立支援を、介助サービスやその他もろもろ全部セットでできるようにっていう運動をやってきたんですね。ただ実際問題、20年以上その運動をやってきましたが、そういう団体の代表になって、ほかの人のサポートができる重度障害者の数や団体の数は、当初の計画ほど広がってないんです。ちゃんとやろうとすると、1,000とか2,000とか必要なんですけど、今全国で200くらいしかなくて、どうしようか…っていう状態です。

嶋田:やはり、自薦となると、腹をくくって頑張っていかないといけない部分はどうしてもある。だから本当は、そういう担い手が先駆的に地域の介護制度を整えていって、他の多くの人は、頑張らなくても、事業所から質のいい介護者が来る、そこでいい関係を築けるというシステムにしないといけないのに、現状はそれができていないっていう問題があるんですね。これについては、簡単に答えが出るような問題ではないですが、でも「それでも自薦が必要」という人に、「腹をくくんなきゃいけない」っていうことなのか、それとも違うやり方があるのかっていうところは、今後引き続き考えていかないと思いました。

障害者が「頑張らなくてもいい」生活を実現するために

 その上でもう一つ。海老原さんからは、「介助者のシフトだったり管理だったり、その対応で生活が終わってしまう生活、しんどいんだけど」というお話がありました。「じゃあそれ、どういうふうに考えたらいいんだろう?」っていうところで、川﨑さんは「家のなかで介助者との関係で悩みたくない」とおっしゃってましたよね。このあたりのお話、川﨑さん、どう思われますか?

川﨑:そうですね、やっぱり家のなかっていうのは、誰にとっても一番プライベートな空間だと思います。先ほどの議題とも共通しますが、やっぱり障害者が「しっかりしないといけない」ということを常に思いすぎていると思います。介助者はきっとそんなことはなくて、障害者が意識しすぎなのかもしれないですけど…。ちゃんとした生活っていうか、「あんまりだらっとしたところを見せてもなあ」と思ったり、海老原さんのご発言にもあったように、「1日1回介助来たなかで、何か楽しいことが1回でもあったほうがいいんじゃないかなあ」と思ったりしてしまう。そしてそのことは、障害者リーダーが、ほかの当事者に対しても、そういうふうに「ちゃんと主体性を持って生活したほうがいいよ」って言ってしまうこととも繋がってると思います。

障害者が「権利」と言いつつも、障害者自身のなかで「健常者と変わらないような生活をしていいんだ」とまだ思えていない現状がある。この20年の自己責任論でずっと頑張ってきた歴史のなかにそれがある。それがだめとは僕は決して言わないですけど、やっぱりそれによってそう思わざるを得ない状況を解きほぐしていかないと、自立生活を広めていくのは難しいだろうなと。今僕はその困難さに直面しているんですけど、課題に気づけたのはいいことなのかなあと思っています。

嶋田:ありがとうございます。話を聞いてて、「結局じゃあ障害者だけが頑張らなきゃいけないのか」と疑問を持ちました。介助者側も責任を引き受けることができないのかというところは、私自身強く感じたところです。でもそれが、介助者に管理される生活になってしまったら難しい、そういうバランスの難しさっていうことを感じました。

 代表の天畠は時々、「右腕となる人、つまり自分のことを尊重してくれつつ、責任も一緒に引き受けてくれる存在が大事だ」と言っていますが、村下さんは、右腕の人が実は自分のお母さんがわりだっていうふうにおっしゃってましたよね。その人の存在によってけっこう今の生活が成り立っているということですか?

村下:それはあります。私がALSになって間もない頃から、いろんな苦しいときも支えてくれた大切な人です。でも、喧嘩もよくあります。「もう勝手にしろ」と言われたこともありますが、私がやると言ったら聞かないし、そこで実績をしっかり出しているから、サ責は何も言ってこない。

嶋田:全部に対してイエスしか答えないイエスマンではなく、違うことは違うって言いつつ、最後は村下さんの生き方を尊重してくれる存在、そういう存在がいると、その右腕と責任を分け与えながらできるのかなと思いました。

編集後記

今回のイベントでは、介助を使いながら地域で生きるというテーマで、それを実現するための方法(今回扱ったのは、自薦ヘルパーの利用でした)や、自立生活のなかで障害当事者が置かれている状況について、お話がありました。 村下さんや大野さんからなされた、自薦ヘルパーの利用や当事者事業所の設立・運営のためのハウツーや、当事者に必要な「覚悟」の話は、これから自薦ヘルパーの利用や当事者事業者の立ち上げを考えておられる方にとって、非常に参考になると思われます。川﨑さんや海老原さんからは、障害のある人が、頑張らないと、我慢しないと、あるいは魅力的でないと続けられない自立生活について、ほんとにそれでいいのかという重要な問題提供がありました。これは、今までの運動が取りこぼしてきたこと、そしてこれからの運動の未来を考えるにあたって不可欠な視点だと思います。 障害のある人が介助を使って暮らすことが、制度のレベルでも、そして(介助者や支援者、そして障害者自身も含めた)人々の意識のレベルでも「当たり前」の「権利」として認識され、実践されるように、私たちはこれからも引き続き「自立生活」を広めていきたいと思いました。

文/油田優衣

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