あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

在宅で働くも、経験した制度の壁:介助があればもっと働けるのに

Ryo KUNIMITSU

文/油田優衣・嶋田拓郎 : 写真/浦野愛

デュシェンヌ型筋ジストロフィー・奈良市在住|國光良(くにみつりょう)

1989年生まれ。広島県広島市出身。デュシェンヌ型筋ジストロフィー。日頃はNPPVを利用している。小学校は地元の公立小学校、中学高校は私立の中高一貫校に通う。大学進学を機に京都で一人暮らしを開始。障がいが重くなったことから、在学中に重度訪問介護を利用し始める。現在は奈良市内で24時間介助の一人暮らしの傍ら、東京大学先端科学技術研究センターで在宅勤務をしている。

目次

「在宅就労」で働くチャンスをつかむ

――大学4年でやっと重度訪問介護の時間数を得られ、いよいよ大学を卒業して、今後どうしていくかというタイミングになったとき、國光さんにはどのような考えがあったんですか。

國光:僕は大学を卒業して、一般企業の障害者雇用で働きたいという目標もありました。それで就職活動をして、何社かエントリーシートを書いたり、会社説明会に行ったりしたんです。でも、書類の段階で落とされて、面接まで進めないという過去がありました。また、ある企業の会社説明会に行った時に、一度介助者が同行する旨の事前連絡をし忘れていたことがあったんです。そのことについて、当日企業に行った時に、介助者がそばについていないとトイレなどがあって困るということを詳しく説明したのですが、介助者を親と勘違いされていたようで……。事前連絡をしていなかったこともあり、とても怪訝な対応をされたことがありました。この経験から、会社説明会の時点でこのような対応なので、実際に介助者をつけて一般企業で働くとなると、とても大変そうだと思うようになりました。それらのことから、一般的な障害者就労は難しいんじゃないかと考えました。どうしようかなって思って、ネットで在宅ワークを探したりしていたんですけど、なかなかありませんでした。
その時に、DO-IT Japanの繋がりで、東大の先端研 (※4)の研究室で、アルバイトの仕事の募集の案内が入ってきました。そこにたまたま実際に在宅でできるということで、応募してアルバイトから始めたんです。それが今の仕事に繋がっています。

――現在の仕事内容についてお伺してもよろしいでしょうか?

國光:先端研の人間支援工学分野で運営しているAccessReadingというプロジェクトに携わっています。AccessReadingでは、読むことに困難があり、特別支援が必要な児童生徒向けに、DOCXとEPUBの2種類の形式で教科書などの音声教材を提供しています。仕事内容は事務作業メインで、特定のメール確認や対応、データの入力・整理・分析、ホームページ更新作業などです。大学では薬学を学ぶことはできませんでしたが、データサイエンスや統計学を学ぶ学部でしたので、今の仕事でもデータ分析の際に、大学で学んだことが活かせるのは良いことだと感じています。

――働く上での不安はありませんでしたか?

國光:まったく知らない人、企業だったら不安もありましたが、関わっていた団体の仕事だったので、その点はよかったです。ミーティングに参加した当初は、最初はわからなかったんですけど、とにかく手を動かして仕事をするなかで、慣れてきた感じです。何でもやってみないとわからないですね。

重訪が使えれば、もっと働けるのに

國光:最初アルバイト始めたのが2014年ぐらいでして、2018年ぐらいまではアルバイト雇用で働いていました。短時間だったので、本格的な仕事ではなかったんですけど、納期は守るとか、ビジネスメールの書き方とか、そういうコミュニケーションの取り方を結構学びました。2018年までは短時間の納品ベースでのアルバイトだったんですけど、2019年から実際に、東大の先端研の職員として働いてみたらいいんじゃないかと、先生から提案がありました。短時間勤務のなかで在宅ワークにも慣れ始め、もうちょっと長く働いてみようかなと思い、アルバイトから完全在宅の短時間雇用の職員になりました。

――週どれくらい働かれているんですか。

國光:今は週4日ぐらいです。就労中は重訪利用できない制約があるので、1回の勤務時間が2時間とか長くなると、介助者なしでは難しいですが、超短時間なら介助者なしの一人でもまだ大丈夫なので、超短時間で週4日という勤務スケジュールにしています。就労中に介助が使えないというのは怖く感じています。職場の方と相談の上、市役所にも交渉したのですが、重度訪問は難しいとなり、まだその先は突破できていません。介助があればもっと働けるのですが……。

――國光さんは、在宅ワーク中は、ヘルパーが全くいないのですか?

國光:ミーティング時は30分とか1時間とか比較的長い時間なので、完全にヘルパーがいない状況です。定期的な姿勢調整と水分補給は我慢になりますね。ただ、完全にはいないと言っても、万一何かあったときに、電話で呼んですぐに駆け付けられるよう、その時間はヘルパーの休憩という形にして実績は取らず、ヘルパーは家の近くのコンビニや車で待機のような感じです。ボランティアのような形です。

――就労中の介助の問題はほんとに早く改善してほしいところですよね。

介助者が「親目線」にならないように

――國光さんは大学卒業後、4年間は京都で暮らしていて、2018年に奈良に引っ越してこられたんですよね。奈良に引っ越されたのはなぜですか?

國光:そうですね、障害が重度になってきて、長時間の介助がずっと必要になると、京都の南部の地域では介助してもらえる人がなかなか見つからないというのがありました。そのなかで奈良の事業者を10年近くずっと使っていたこともあって、奈良に行けばもうちょっと事業所数も多くて、自立生活センターもあるから、もっと整うんじゃないかなって考えたのがきっかけです。

――國光さんと介助者の関係性についてお話を伺いたいです。いろんな当事者の方に質問するときにまず聞いているのが、介助者にどのように注意するか?という質問なのですが、國光さんはどうですか?

國光:そうですね。こうしてほしいという介助方法や要望はその都度言えるんですけど、やっぱり介助者も何年か入り続けることによって、親目線になってしまう人もいるんです。そのときに考えを押し付けられていると感じた時は、直接注意しますね。
新人介助者は、基本的にこちら側の要望とか指示とかがあって動いてくれるんですけど、人によっては確認やコミュニケーションを取らずに、勝手に行動してしまうこともあります。そうしないでちゃんと確認を取ってやってほしいというふうに、僕としても伝えるようにはしてます。ただ、1年間くらい支援に入ってもらって介助に慣れてくると、介助者側も介助方法を自然と体が覚えていることがあるので、こちらの指示がなくても良き計らいで介助してもらったり、介助で行き詰ったときも、新たな介助のアイデアが生まれることもあるので、逆に助かることもあります。

――他の方のお話も聞いていくと、長い時間介助をしていく中で、関係性が近くなって友人関係のような感じになっちゃって、惰性で、お互いにちょっと家族的な雰囲気になりすぎて、失礼なことを言ってしまう/言われてしまうだったり、リラックスしすぎてしまうという話は、結構聞きます。親目線というのはどういったことですか。

國光:親目線になるっていうのは、介助者の考えを押し付けてしまうということです。

――「もっとこうすればいいのに、なんでこうしないの?」とか。

國光:そうですね。

――そういうときに直接注意を入れるか、例えば人によっては事業所を介してとか、サ責を介してちょっと注意をしてもらうとかいろんなやり方があると思うんですけど。

國光:相手によりますかね。直接言われて気にする人もいますし、素直に聞く人もいますし、人によりますが、方法は使い分ける感じですね。

――國光さんの介助者との関係性というか、介助者と共に生活する今のあり方で、悩んでいることはありますか?

國光:仕事なので、介助は最低限のレベルはやってもらわないというのは、あります。ただ、100%お仕事的な感じになっちゃうと、流れ作業みたいになっちゃって、互いのコミュニケーションの不足がどうしても出てくると思います。
介助者の関係は、深くなりすぎても駄目なんですけど、やっぱりコミュニケーションを取ったりとか、介助者としてもせっかく介助に入っているので、障害者の状況とか何か一緒に何か考えていけるような関係であってほしいと思っています。障害当事者の置かれている状況も、介助者には知っていただきたいとは思っています。

――介助者との関係が深すぎると、抜き差しならぬ関係というか、しんどくなるかもしれないけど、かといって仕事として割り切りするとそれもそれでしんどい。

國光:体の調子が毎日一定でないので、日によって介助の指示の質にムラが出てくることがあります。デュシェンヌ型筋ジストロフィーは、筋ジストロフィーの中でも最重度とされるタイプです。病状の進行に伴い、少し前までは自分でできていたことができない状態になるということにいつも大きな喪失感が伴います。そのため、この喪失感を少しでもなくし、日々の生活の質を高めるためにも、周囲のサポートや介助者の支援も不可欠となります。僕のことを話す時間もあって、置かれている状況とかそういうのも理解した上で、長期的に入ってほしいっていうのはありますね。

――介助者との「ちょうど良い関係」は、今の障害状況だったり住んでいる環境だったり仕事だったりとか、暮らしによって変わるかもしれないし、今日の丁度良さが明日の丁度良さと同じわけでもないということがよくわかりました。國光さん、今日はありがとうございました。

注釈

※4 東京大学先端総合学術センター

プロフィール

デュシェンヌ型筋ジストロフィー・奈良市在住|國光良(くにみつりょう)

1989年生まれ。広島県広島市出身。デュシェンヌ型筋ジストロフィー。日頃はNPPVを利用している。小学校は地元の公立小学校、中学高校は私立の中高一貫校に通う。大学進学を機に京都で一人暮らしを開始。障がいが重くなったことから、在学中に重度訪問介護を利用し始める。現在は奈良市内で24時間介助の一人暮らしの傍ら、東京大学先端科学技術研究センターで在宅勤務をしている。コロナ禍での最近の趣味は、Googleマップでのオンライン旅行。

文/油田優衣・嶋田拓郎

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