あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

「当事者と介助者が同じ方向を見たい」秋田県初のCIL立ち上げ

Anpo Rume

文/嶋田拓郎 : 写真/窪田健斗

ALS(筋萎縮性側索硬化症)・CILくらすべAkita代表 安保瑠女(あんぽるめ)

1978年、秋田県藤里町に生まれる。県内の高校を卒業後、建設省(現在の国土交通省)に入職し、道路の設計業務に従事する。26歳の時に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。その後自薦登録ヘルパーの利用を開始。34歳のときに秋田市内に引越し、本格的な自立生活を送る。現在はCILくらすべAkitaの代表として、県内の自立生活を希望する当事者の支援に日々奔走している。日本ALS協会秋田県支部副支部長でもある。

目次

自薦ヘルパーで、24時間介助を目指す

川﨑:自薦ヘルパーを実際に利用してみようと思ってから、どのように動いたのかは、他の当事者にとっても大事な情報だと思います。自薦ヘルパーの準備について、伺ってもよろしいでしょうか。 

安保:まず前提として、地元の社協との関係がうまくいっていなくて、相談員からは病院に入るか、家で暮らしたいなら家族に見てもらうかしか選択肢がないと言われました。そこで自薦ヘルパーを採用、育成していくしかないと思って。それで社協さんからは「自薦ヘルパーの目処がついたら撤退する」と言われたんです。そこで、広域協会に相談のメールをしました。

――そこからまずは自治体と支給時間の交渉を始めたということですが、最初は交渉してみてどのくらいの時間数を獲得できたんですか?

安保:当時、すでに居宅介護から重度訪問介護に切り替えており、時間数は250時間でした。自薦ヘルパーを利用したいと交渉し、620時間が出ました。これは相談員が交渉してくれました。

――そこまでの支給量が出るまでは大変だったのではないですか? 

安保:当初はなかなか支給時間を行政からもらえませんでしたね。そこからヘルパーが採用するたびに少しずつ支給量を増やしていきました。既に働けるヘルパーを確保していたのは大きかったと思います。また、同じ自治体に月620時間以上の支給時間がでていた先輩当事者がいました。行政にとって前例があることがどれだけ大きいことなのか、よくわかりました。

必要な数のヘルパーが揃わなかったら、生きるのを諦めようと思っていた

――620時間まで獲得できたことで、常勤の自薦ヘルパーを雇用する条件が整ったのですね。常勤の自薦ヘルパーの求人を出してみて、スムーズに介助者は集まりましたか? 

安保:私が住んでいた町はすごい田舎で、コンビニもない街なんです。なのでなかなか応募してくる人がいなくて……。常勤一人と夜勤専属のヘルパーさんの2人まではなんとか採用できたのですが、そこからいっこうに人が集まりませんでした。それなのに社協は少しずつ入ってくれる時間数を減らしてくるし……。

 このままだとヘルパーさんが揃う前に母が倒れてしまうと思ったんです。母には母の生活があるから、母に介護をさせたくなかったんです。でも、なかなか上手くいかなくて。それで、母の代わりを探したくて、思い切って秋田市に引っ越しました。そんな中で、呼吸器を装着する段階で、必要な数のヘルパーが揃っていたら、付けようと思うことにしたんです。逆に言うと、この人数では自立生活はできないと判断したら、生きるのを諦めようと思っていました。

 ――それはつまり、家族に迷惑をかけないような形で、地域で自立生活をできると確信が持てたら、生き続けようということだったんですね。一方で、例えば、ヘルパーを雇用することの責任が生まれたという意識はありますか? というのも一般社団法人わをん代表理事の天畠は、介助者を雇用し生活を守ることも人生の意味の張り合いになっていると、日頃から言っているんです。

 安保:その点もたしかにあると思います。ヘルパーさんは私がいることで生活しています。ヘルパーの生活も守りつつ、私自身も生きて行くために死に物狂いでヘルパーを探しましたし、どうしたらヘルパーさんが辞めないでくれるかも考え続けていましたから。

 ――ヘルパーとの関係性作りでの工夫などは?

 安保:私は、よく目がにらんでいるみたいと言われて、ヘルパーと関係がこじれることが多かったんです。あと口文字[i]では限られた情報しか発信できないので、とにかく今の自分の気持ちを話すようにしています。にらんでいるように見えるかもしれないけれど、今笑ってるんだよとか(笑)。今は怒っているのではなく、痛かった表情だよとか。

くらすべAkitaの設立。当事者とヘルパーが同じ目的を共有する仲間になることを目指して。

――秋田市に引っ越した後、様々な出会いを経て、安保さんはお仲間とともに「CILくらすべAkita」を立ち上げられました。くらすべAkitaが立ち上がった経緯について教えていただけますか? 

川﨑:私からも聞きたいです。くらすべさんのご活躍はめざましくて、今年度からJIL(全国自立センター協議会)にも加盟されると言うことで、仲間として本当に素直に嬉しく思っています。ただ自薦ヘルパーを利用されている方って、自薦ヘルパーの利用だけで精一杯というか、自分の生活を安定させていくことに重きを置きたいとなるのは、当然そうだと思うんです。安保さんがCIL設立などの自立生活運動に関わっていきたいと思われたきっかけは、何だったのでしょうか?

 安保:私もはじめは、CIL設立なんて考えてもいなかったんです。自薦ヘルパーさんがいれば生活できるからです。でも、ヘルパーさんと生活していく中で、最初の私は上手くいきませんでした。「チーム瑠女」でなく、利用者とヘルパーの関係になってしまったんです。どうにかヘルパーさんと同じ方向を向きたくて、私はCILを考えるようになりました。

――「利用者とヘルパーの関係になってしまった」というあたり、もう少し詳しくお伺いできますか? 

安保:そもそも私は、病気になる前と同じ生活がしたかっただけなんです。自分で物事をきめて行動したかった。時にはリスクのある選択や、間違った選択をするかもしれない。ヘルパーにはそれに付き合ってほしかったのです。ですが、私のコミュニケーション不足が理由ですが、「私たちは奴隷ですか」とか、「召使いですか」といわれてしまうようになりました。次第に私はヘルパーさんの顔色をうかがいながらの生活をするようになってしまいました。だからこそ、当事者とヘルパーの関係性ではなく、目的を共有する仲間の関係性になりたかった。それがCIL設立の一つの理由です。

川﨑:「チーム瑠女」ではなく、利用者とサービス提供者の関係性になってしまう。それを打開するために、本当のチームになるためにはどうしたらよいかということを考えた先に、CILっていうことなのかなということを理解しました。方法としてCILが選択肢にあったことがすごいなと思いました。そういう思いで作られたCILのセンターは、きっと良い方向に向かうだろうなと。

 ――CILを設立されたことによるヘルパーとの関係の変化はありましたか?

 安保:自薦ヘルパーのみんなに、突然CILをやりたいと打ち明けたとき、みんな戸惑っていました。「それが瑠女さんのやりたいことならやってみます」といってくれたヘルパーさんもいましたが、自薦ヘルパーを長くやっていたヘルパーさんのほうが抵抗感が強かったように思います。なかには「私はそういうことがしたくて入ったわけではない」と、きっぱり言われたりもしました。自薦ヘルパーがCIL所属のヘルパーに移行したことがきっかけで、些細なことでも揉め事が大きくなり、安保家はいざこざが絶えない働きにくい職場になってしまったように思います。

 そのような状況で、私の力不足で辞めていったヘルパーさんもいます。そこで、残ってくれたヘルパーさんと一緒に、どうすれば当事者主体の生活をし、ヘルパーも働きやすい職場になるのか、とことん話し合い、ようやく今は落ち着いてきたように思います。

 川﨑:その話し合い、とても大事なことだと思います。とくにヘルパーと障がい当事者が同じ方向を向いて、目的を持ってCILの活動を始める上では、障がい当事者の思いだけが先行しないよう話し合いが大事だと思います。両者が一緒にやっていきたいというところで始まったCILって、あんまり僕は聞いたことがなかったので、これからがすごく楽しみです。今後、くらすべAkitaとしての活動をどう盛り上げていきたいかということや、安保さんご自身が今後チャレンジしてみたいことと、もっとこういう生活してみたいなというのはありますでしょうか。

 安保:まだまだCILとして組織作りがしっかりできていないので、まずはしっかりとした組織作りをして、できる限り秋田で自立生活したい障がい者を増やしていきたいです。少数ではありますが、病院や施設から出て地域で生活したいと相談があったり、実際に自立に向けて動いている障がい者もいます。くらすべAkitaは、ただヘルパーさんの手を借りて生活できればいいのでなく、自分で物事を選択して、決定して、そのことに対して責任を取れるような当事者になってもらえるようなロールモデルを増やしていきたいです。

ロールモデルが増えることで、今は病院や施設で守られた生活が当たり前ですが、地域で暮らすことが当たり前になっていくと信じて活動していきたいと思います。

注釈

[i] 口文字は、AACAugmentative and Alternative Communication;拡大代替コミュニケーション)の1つ。AACとは、話すこと・聞くこと・読むこと・書くことなどのコミュニケーションに障害のある人が、残存能力(言語・非言語問わず)とテクノロジーの活用によって、自分の意思を相手に伝える技法のことを指す。口文字は口の形や瞬きなどその人のしやすい合図により、伝えたい言葉を表現してそれを読み取るコミュニケーション手段である。患者が母音(あいうえお)の形が出来ない、読み手が50音の横の段を覚えてない場合などは、50音読取法(音読文字盤)を利用する。

プロフィール

ALS(筋萎縮性側索硬化症)・CILくらすべAkita代表 安保瑠女(あんぽるめ)

1978年、秋田県藤里町に生まれる。県内の高校を卒業後、建設省(現在の国土交通省)に入職し、道路の設計業務に従事する。26歳の時に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。その後自薦登録ヘルパーの利用を開始。34歳のときに秋田市内に引越し、本格的な自立生活を送る。現在はCILくらすべAkitaの代表として、県内の自立生活を希望する当事者の支援に日々奔走している。日本ALS協会秋田県支部副支部長でもある。

文/嶋田拓郎

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