あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

手のひらにつづる私の言葉

MIYU SHIBATA

文/黒田宗矢 : 写真/松永よしこ

熊本市在住|柴田美優(しばたみゆ)

1994年12月3日、熊本市生まれ。生後4か月で発症したウイルス性脳炎の影響で、四肢麻痺や言語障がいなどの後遺症が残る。熊本県立松橋支援学校を経て、2013年4月に九州ルーテル学院大学人文学部臨床心理学科へ入学、障害や心理学について学ぶ。卒業研究の内容は「障害について描いた絵本を用いた、障害児をもつ親の心理的影響について」。2017年3月に卒業後、障害のことを深く理解するため、同年4月に同大学大学院障害心理学専攻へ入学。松橋支援学校小学部での自身への支援体制を客観的に分析した修士論文を完成させ、2019年3月に卒業。現在は生活介護支援センター「あゆみ」への通所と重度訪問介護の制度を利用しながら、大学院へ戻ること・カウンセラーになることを夢見て準備中。

目次

「学校の先生になりたい」――大学進学を目指して

――柴田さんはそもそも、なぜ大学への入学を希望したのですか?

柴田:まずは学校の先生が大好きで、自分も学校の先生になりたくて、大学に行きたいと思いました。学校の先生は難しいと思いましたが、大学に行くことができたらなれると思っていました。学校ではみんな応援してくれました。途中で障害があると難しいと分かり、美優は美優でもできることを見つけようと大学に行きたいと思いました。それから、キャンパスライフに興味があったのが大きかったです。

――(支援学校の先生は)どういう先生だったんですか?

柴田:幼稚園から高等部まで、学校の先生たちはずっと好きでした。好きな先生がたくさんいて、毎日楽しかったです。先生を下の名前で呼んだり、先生に「柿、取ってきて」と命令したりしたことをよく覚えています(笑)

――先生との距離がとても近かったんですね!ちなみに美優さんは、人に教えるのが好きですか?

柴田:聞くのも教えるのも好きです。

――美優さんは人とコミュニケーションを取るのが好きなんですね。

柴田:人から「教えて」と聞いてもらえることが好きです。実際に人からそう聞いてもらえたのが嬉しくて。

――それが美優さんの原体験なんですね。美優さんのやりたいことの根っこにあるもののように感じました。そんななかで、なぜ九州ルーテル学院大学を選んだんですか?

柴田:大学に行くと決めたときに、どこがいいだろうと思っていて、いろんな学校を見学しました。見学のときの印象と心理学を勉強できるということで、ルーテルに決めました。

――じゃあ、そのときから心理学にも興味があったんですね。九州ルーテルに行くにあたって、受験のときの配慮とか、あと入学後のサポートについて等の交渉はたいへんでしたか?

柴田:配慮やサポートについては美優の松橋支援学校のときの校長先生が、ルーテルで先生をされていたこともあって、スムーズではあったと思います。美優はあんまり「こうして」っていうのはしてないです。

――校長先生がもともとコネクションがあって、そこで交渉とかもわりとスムーズになったんですね。

柴田:はい、校長先生が先頭に立ってくれました。支援学校の他の先生たちも、とても協力してくれました。

――受験勉強では何を勉強されていたんですか?特にどんな教科を勉強されていましたか?

柴田:科目は、数学、英語、国語、小論文の4つでした。高等部の普通科で、かなり勉強しました。今までが、小等部、中等部がすごくゆったりとした授業だったこともあって、ついていくのでやっとでしたが、先生とお母さんと頑張りました。美優が特に頑張ったのは、小論文です。詩を書いたり、短い文章は今までいっぱい書いてきましたが、長い文章を書く練習を高等部一年から続けて練習をしました。

――大学に合格後、入学後のサポート体制を構築するため、どのような交渉をしましたか?

柴田:大学入学前から支援に対してなど話し合いはずっと行っていましたが、入学後は月一回支援会議を行っていました。学生支援センターと支援者、私と母で行っていました。内容は各授業の支援していただきたい内容等を話していました。

――そうなんですね。結果的に、どのようなサポートを受けていましたか?

柴田:大学では1〜2年で2人、3〜4年で2人、大学院で1人(七海です)がコミュニケーション通訳としておりました。通学や学校内での介助は母が行っておりました。大学院で母の病気がわかった後は七海さんも介助を行っています。サポートは授業を受ける際の支援が主だったと思います。大学2年は母抜きで授業を受けることもありました。

「もっと勉強したい」――自分を研究対象にした修士論文

――大学卒業後、なぜ大学院に行こうと思ったんですか?

柴田:大学卒業のときに少しわかってきたのですが、もっと勉強がしたくて院に行きました。美優のことをサポートしてくれる人もいたので、ルーテルで勉強と研究をしました。

――もっと勉強したいっていうことに、(卒業の時に)自分のそういう気持ちに気付いたってことですか?

柴田:そうです。美優は今でもずっと勉強がしたいと思っています。美優はピアカウンセラーになるためにも、いろんな障害についての知識も必要だと思ったので、ルーテルの障害心理学を選びました。

――天畠も同じでした。大学のときに、大学院で学び、もっと勉強したいと思ったのは一緒です。

柴田:そうなんですね。一緒ですね。

――ピアカウンセラーになりたいと思ったのは、どういったきっかけがあったんでしょうか?

柴田:学校の先生になれないとわかったときに夢を考えたのですが、わからなくなって。学校の授業をしているときに、ピアサポートやピアカウンセラーについて知りました。美優は元々みんなの話を聞くのも好きでしたし、ゼミの先生にも「いいと思う」と勧めてくださいました。美優はなりたいと思っています。

――先ほど先生になりたかった理由でも話していましたが、人とコミュニケーションを取るのが好きっていうことに繋がっていますよね。

柴田:はい。美優は(人の話を)聞いて、(その人に)話すことが好きです。

――それでは、ピアカウンセラーを志して大学院に入って、大学院ではどのようなテーマで研究されていたんでしょうか?

柴田:まずは、障害当事者の方の絵本を作成して、アンケートをとるような研究をしていたのですが、美優のことを研究にすることを勧められたこともあって、変更しました。本当は高等部までやる予定だったのですが、お母さんのこともあって、小学部までになりました。

――それは、小学部時代の学校内の支援を、自分に対する支援について客観的に分析したということですか?

柴田:そうです。美優の記憶や母の記憶と、当時の先生方の記録や資料を使いました。小学部は美優の言葉や詩を書くことに苦悩してるので、もっと書きたいし、これからもしようと、続きを書きたいと思っています。

――大学院とか文章を作り上げるときに、一つの長い文章の構成とか、全体の部分を修正するときとかは、美優さんの場合は目で追って、「ここ、もうちょっとこの文章をこうして」とかっていうのができる感じですか?たとえば、天畠の場合は視覚障害があるため、何ページ、何十ページの文章だと、やっぱりある程度介助者の文章構成力にも頼らなきゃいけないっていう部分が出てくるってことは、論文とか研究でも言ってるんですが、その点はどうかなと思って。

柴田:目で確認もしますが、長いとしんどいので、介助者に「文章へんなところない?」って聞くことがあります。「こうしたら?」って言ってくれるとスムーズに文章が作れるので、頼ります。

――そこで気になるのがオーサーシップのことなんですが、書きながら、これは自分が書いてるのか、介助者が書いてるのかって、論文を書いている主体が揺らいでいくっていうのが、美優さんの場合はありますか?

柴田:論文は美優の考えや思考をずっと一貫して入れているので、悩んだことはないです。美優の場合は支援者として名前を連名で入れることもあります。研究を手伝ったり、書いてくれたら介助者ではなく、連名にすると思います。このことは、ゼミで先生と(オーサーシップについての)話はしました。「どうなんだろう」って。

――「どうなんだろう」って思うんですね。答えはなかなか見つからないですよね。でも、基本的には文章の構成とか、あと誤字脱字とか文章的にへんなところとかで支援者の力を頼ることはあるけど、論文の主張っていうのは一貫して自分の主張をちゃんと一貫してて、そこは揺らぎないっていう感覚があるんですね。

「大学院にも行きたいし、カウンセラーにもなりたい」――柴田さんのこれから

――将来の夢はなんですか?

柴田:美優はこれから先大学院にまた行きたいし、ピアサポートをするカウンセラーとしても働きたいと思っています。美優はまだ準備していないです。今はまだ生活を安定させるのが必要だと思います。介助者が少ないので増やしたいと思います。

――今後について、大学院に戻りたいこと、カウンセラーになりたいということでしたが、大学院ではどんな研究をしたいのか、またどのようなカウンセラーを目指したいですか?

柴田:大学院では美優の経験をまとめたいと思っています。カウンセリングについては、その人が少しでも前に向けるような相談支援をしたいと思っています。

――大学院での研究とカウンセラーの仕事はリンクしているのでしょうか?

柴田:大学院での研究がカウンセラーの仕事にも役立てば良いなあと思います。研究を通して、美優のエピソードを集めるので、そこから他の人の問題を解決できるようなエピソードが見つかるかもしれないと思います。

――七海さんは美優さんの夢についてどう思っているんですか?

菅:美優さん、私からしゃべっていいですか?(柴田:イエス)
美優さんがピアカウンセラーになりたいというのを、私はすごく応援しています。私にとってのカウンセラーは美優さんだったんです。実は大学卒業の半年前にうつ病になってしまって。大学院に入る1年目は症状が特にひどくて、美優さんから「支援者にならない?」と誘われたときは、本当に(症状が)ひどかったんですけど、美優さんが外に連れ出してくれて。それで半年くらいしたらだいぶ良くなったんです。しんどいこともよく話すし、美優さんは私にとってカウンセラーで、命の恩人なんです。

――美優さんと七海さんの間にはそんな背景があったんですね。美優さんは当時のことを覚えていますか?

柴田:七海ちゃんが学校に来ないね、とお母さんが話していて、その頃大学院の受験もあって、七海ちゃんと連絡できなくて、しかも(美優が)一回受験に落ちて結構凹んでいて、もう一度受験して、受かった時に介助者どうしようと話になって、その頃(七海ちゃんの)病気のことを知って、あらーと思いました。もともと結構へこみやすいから大丈夫かなと思っていました。その時にすぐ、お母さんが会いに行こうと行ってくれて、(七海ちゃんに)会えたんです。「生きてた」って、良かったと思ったのを覚えています。美優にできることは何だろうと思いました。ちょうど支援者もいなかったので、七海ちゃんに無理させるかなーと思ったけど、一緒にいた方がいいなと思って、(支援を)お願いしました。

――美優さんと七海さんは、単に介助する/される関係性ではなく、お互いに支え合いながら、より豊かな関係性を築いているんですね。お二人が一心同体となってコミュニケーションをとる姿がそれを物語っているように感じました。美優さんが目指すピアカウンセラーもまさに「仲間で支え合う」ことがベースにあるので、美優さんは介助者との関係性を通してすでにピアカウンセリングを実践しているのかもしれないと思いました。次に、美優さんはその夢に向けてまずはご自身の生活基盤をつくらなければならないとおっしゃっていましたが、これから生活するうえでヘルパーは何人ぐらい必要なんでしょうか?

柴田:ヘルパーは、夜間見てもらう人と、休みを回す人がいるといいなと思います。

――事前のメールで、グループホームに入るのを考えてるっておっしゃってたんですけど、それはNPO法人でしたっけ?センターあゆみとはまた別の法人なんですか?

柴田:そうです。あゆみとは別になります。

――それはどういった関係で知り合ったんですか?

柴田:あゆみに入る前ぐらいから美優の相談支援員を(6、7年)してくれている方がいらっしゃったんですね。その方が独立をして、相談支援事業所及びグループホームをつくることになって、そこに美優も入所できると。その方は(美優が)これからも大学に行きたいっていう要望も知ってくださっているので、(美優の大学内の支援もできる)事業所をつくりたいっていうことで話をしてくださっています。今のところ、スムーズにいくと1月には(グループホームを)立ち上げることができるっていうお話は聞いてます。

――そのグループホームに入れれば、お父さんのお家を完全に出て、そこに住まわれるんですね。

柴田:はい。最初は家に帰る日もあると思います。

――移行期間を設けて徐々にですね。

柴田:美優の食事介助や身体介助が特殊なので、それと夜間の介助に慣れる期間は、実家とあゆみと、そのグループホームを行ったり来たりする生活になるのかなっていう話はしてます。

――中~長期的な部分で、美優さんが描いているのは、例えばグループホームが気に入ればいいな、居心地よければずっとそこに住むっていうのもありっていうことなのか、例えば、ゆくゆくは一人暮らしを目指したいなっていうのはあるんですか?

柴田:本当は一人暮らしから始めたいのですが、ヘルパーを増やしたりするためにも、(グループホームに)入ったほうがいいかなっていうところと、大学院に行くこともできるようにグループホームではしてくださる予定なので、行こうと思っています。

――やっぱりヘルパーを増やすためにも、まずは実家から離れるっていうのが大きいんですね。尚且つ、前から知ってる方が、美優さんのやりたいことをグループホームでサポートもしてくれるのも大きい理由ですね。

柴田:はい。それと、お父さんの負担を減らしたいので。

――ちなみにグループホームの話なんですけども、グループホームであれば、七海さん以外にもヘルパーを増やすことができるし、グループホームの職員も美優さんの見守りとかができるんですか?

柴田:美優の介助ができる人を増やすのと、見守りについてて欲しいのと、座位保持椅子に乗る訓練をあゆみでしているので、一人暮らしできるようになるまで、グループホームで訓練したいと思っています。

――それと、これから大学院に戻る場合、大学にはどのようなサポートを求めますか?

柴田:大学院では、(グループホームで)私の支援員になる人に入ってもらえるように調整してほしいと思います。送迎車も大学構内に入れるようにしてほしいと思います。

――美優さんには夢に向けてまだまだたくさんの壁があるかもしれませんが、これまでのお話を伺って、美優さんの「~したい!」という強い思いと、それを実行するバイタリティを垣間見て、美優さんなら自分の夢に向かってこれからもどんどん突き進んでいくんだなと強く思わされました。また美優さんは人とのコミュニケーションを大切にしているからこそ、周りも「美優さんとコミュニケーションを取りたい」と思って、今までもこれからも周りにサポートしてくれる人が集まってくるんですね。そんな美優さんの今後のお仕事・ご研究が本当に楽しみです!!今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

プロフィール

熊本市在住|柴田美優(しばたみゆ)

1994年12月3日、熊本市生まれ。生後4か月で発症したウイルス性脳炎の影響で、四肢麻痺や言語障がいなどの後遺症が残る。熊本県立松橋支援学校を経て、2013年4月に九州ルーテル学院大学人文学部臨床心理学科へ入学、障害や心理学について学ぶ。卒業研究の内容は「障害について描いた絵本を用いた、障害児をもつ親の心理的影響について」。2017年3月に卒業後、障害のことを深く理解するため、同年4月に同大学大学院障害心理学専攻へ入学。松橋支援学校小学部での自身への支援体制を客観的に分析した修士論文を完成させ、2019年3月に卒業。現在は生活介護支援センター「あゆみ」への通所と重度訪問介護の制度を利用しながら、大学院へ戻ること・カウンセラーになることを夢見て準備中。好きなことは、食べることとテレビを見ること(バラエティ番組やYoutube番組など)

文/黒田宗矢

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