あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載1回目

介助者はビジネスパートナー。ライスチョウ ジョナに聴く、
利用者として、経営者として、そして漫画家としての生き方

Rice-zhao Jonah

文/山﨑彩恵 : 写真/其田有輝也

先天性ミオパチー・漫画家|ライスチョウ ジョナ(らいすちょう じょな)

アメリカ人の父と中国人の母をもつ。日本生まれ、日本育ちの27歳。過剰自己貪食を伴うX連鎖性ミオパチーという、進行性の筋疾患の重度身体障がい当事者。2014年、母親と弟とともに、介護者派遣事業所(合)家族舎を立ち上げ、副代表となる。事業所運営の傍ら、プロの漫画家ジョナ☆シェンとして活動し、ギャグマンガでウェブマガジン連載や、クラブイベントの企画・開催も行う。

【イントロダクション】

わをんスタッフ:「では、自己紹介をお願いします。」
ジョナ:・・・・・・・・・・「…はい、えっとジョナと申します」
ジョナ:・・・・・・・・・・「筋ジストロフィーと同じような筋肉の病気をもって生活をしています」

ライスチョウ・ジョナさんは、筋力の低下により、大きな声を出すことが出来ない。そのため、ジョナさんが発話した内容は、介助者によって聞き取られ、第三者に伝えられる。いわゆる、通訳介助によるインタビューだ。

しかし、その語りはとても自然で、ジョナさんと介助者との関係性を映し出しているかのようだった。通訳は、ジョナさんにニュアンスを確認しながら、慎重に…それでいて淀みなく行われる。介助者の、仕事に対する緊張感がそこにはある。一方、インタビュー中盤の砕けた話題の際に、ジョナさんと介助者の笑いあう声がかすかに聞こえてきた。こういう所に、介助関係の絶妙なバランスが表れるようだ。

ジョナさんと介助者のちょうどいい関係作りの秘訣とは。
重度の障害を抱えながらも、漫画家という夢を叶え、ギャグ漫画で人々に笑いを届けることが喜びだと語る、ジョナさんの素顔に迫りました。

(文/山﨑彩恵

目次

普通学級でもいけるんじゃないか
――特別支援学級から普通学級へ

ジョナ:ジョナと申します。ぼくは筋肉の病気でして、厳密には違うんですけれども、筋ジストロフィーと同じような筋肉の病気を持って生活をしています。今は家族と立ち上げた重度訪問介護の会社(※1) の役員をやりながら、イラストとか漫画を描く仕事をしています。
重訪を使って、24時間の介護を受けて生活をしています。ちなみに、僕は大きな声を出すことができないので、横でヘルパーさんに付いてもらって、大きな声で通訳をしてもらっています。

――ご兄弟ともに障害を持って生まれたと伺いましたが、保育園や小学校というのは、どういうところに通われたんですか?

ジョナ:僕は、弟も同じ病気なんですけども。幼稚園に通い、小学校は地元の普通校の特別支援学級(※2) に通っていました。同じ小学校の中にある障害児学級みたいなところですね。僕はですね、籍は特別支援学級にあったんですけども、授業はほとんど全部、普通の学級で受けていました。体育とか普通学級の子たちと一緒にできない授業のときは、僕だけ、特別学級に行って課題などをやったりというふうに過ごしていました。入学当時は教育委員会から特別支援学校に行きなさいとずっと言われてたそうですが、親は普通校に行かせたいという思いが強く、何度も交渉を重ねた末に普通校に通えることになったそうです。そうして中1の時までは特別支援学級にいましたが、「環境さえ整えれば普通学級でもいける」と交渉した結果、中2からは普通学級に行くことができました。

――普通学級にいくことは交渉したのは、ジョナさんご自身ですか?

ジョナ:中学2年のころに特別支援学級から普通学級に移籍したのは僕自身の強い希望からです。僕が中1のとき、弟が小6のとき、引越しをしまして。弟が転校先の学校で特別支援学級に入ろうと思ったんですけども、転校先の小学校の先生たちが弟の様子とかを見て、「これだったら普通の学級でもいけるんじゃないか」ということで、普通学級に入ったんですね。僕はもう先に中学校で特別学級に入ってしまっていたんですが、弟の授業の様子を見て、「それだったらぼくも普通学級いけるんじゃないか」と思いまして、それがきっかけで、次の年、中2からは僕も普通学級に行くようになりました。

漫画家になろう
――頑固な僕が決めた進路

――その後、高校は芸術系のところに行かれたんですよね。

ジョナ:僕は小学校5年生の頃から漫画家になろうと思っていました。そのために芸術の高校に行くと決めたのは中3になってからです。僕は非常に頑固という欠点があるので(笑)親もそこはわかってくれてて、ちゃんとサポートもしてくれました。

――ちなみに、小5で漫画家になろうと決意したのは、どういったきっかけだったんですか?

ジョナ:きっかけというほど大きなきっかけはなくて、もともと小さい頃から絵を描くのが好きだったので、その中で漫画とかも読み始めるようになりまして。今度は自分がストーリーを考えながら絵を描くのがすごく楽しくなったりしはじめて、それで漫画家になろうと思いました。

油田(※3) :私は福岡県の高校だったんですけど、その時は公的な介助を付ける制度が整ってなくて、前例がなかったので、最初はすごく大変でした。ジョナさんは高校のときの配慮とかは、どうされてたんかなというのを聞きたいなと。

ジョナ:中学校の時までは普通学級に在籍していたとしても、教育委員会の方から介助員の方が派遣されてまして、その方に介助してもらって学校生活を送っていました。高校になると義務教育ではないので、介助員の方を派遣してもらうことができなくなってしまいました。ちょっと変則的な方法なんですが、自分で介助してくれる人を探して、学校の事務員として雇ってもらうことによって、介助体制を確保しました。

油田:私と似たようなパターンですね。自分で良さげな人を探して学校の事務員として雇ってもらうにあたって、教育委員会や高校との交渉って、どうでしたか?

ジョナ:当時は親がかなり頑張ってくれてたのが大きかったので、裏でどういう交渉が行われてたのか、僕はちょっとわからないです。ただ親から聞いた話では、そんなにごちゃごちゃしたような印象はなかったです。学校側が入学する前から色々積極的に、前向きに取り組んでくれてたのは間違いないです。

油田:それはやっぱり中学校まで、普通学校に通ってて、そこでコネクションがあったというのが大きいんですかね。私の場合は中学まで特別支援学校で、そこから地域の高校に行ったんですけど、周囲は全く私のことを知らないし、油田優衣って存在がいたのかみたいな感じで(笑)本当にゼロの状態からだったので、高校で事務員として介助員を雇ってもらえるようになったのも、入学して半年後ぐらいだったんですよね。入学前からちゃんと学校側が動いてくれてたのは、すごい、当たり前のことですけど…いいことだなって聞いてて思いました。

前例をつくり、積みかさねる
――24時間介助の獲得

天畠:支給時間数(※4)の変遷についてもお伺いできますか?

ジョナ:ヘルパーさん自体は小学校5年生の頃から利用していたんですが、その頃は放課後に晩ご飯作りに来てもらう程度でした。夜勤に入ってもらうようになったのは、中学校に入ってからで、大学生になってから24時間ヘルパーさんが入るようになったという感じです。障害の状況、状態とかを行政の方に見てもらうことで、24時間の判定がおりました。時間数は、少しずつ増えていきました。

天畠:24時間の時間を取れたのは、スムーズにいけたなと感じたのか、もしくは交渉大変だったなという感じでしたか?

ジョナ:結構、支給自体はスムーズにいったと思います。というのも、大学に入って24時間おりたんですが、大学の先生方はかなり協力的ですごく助かった一方、介助のサポート体制が大学の方では全然なかったんです。普通だったら大学側でサポート体制というものを整えるべきなんですけれども、それが大学側でないので、大学内でも公的な制度のもとでヘルパーさんを使わないといけない(※5)という状況になりまして。だから、どっちかというと、僕というよりも行政と大学との間でかなりやりとりがあったみたいで。それで大学と行政がお互いの事情を考慮した結果、大学内でもヘルパーを利用するのを前提に、24時間の支給がおりた…という流れです。

油田:私も授業中のサポートは大学側が提供する合理的配慮で賄ってて、それ以外に、休み時間のトイレとか食事は行政のサービスを使っています。私が学内で行政サービスを使うにあたって、大学の先生が京都市と交渉してくれたんですけど、京都市は前例があるから、結構突破しやすかったということを聞いて。その前例の一つはジョナさんなんだろうなと。ジョナさんが大学に入られた当時は、そういう前例があったのか、分かったりしますか?

ジョナ:僕の聞いた話では、僕の一個前の前例が初めてだったそうです。

油田:そういう積み重ねの上に、今の私の生活の快適さがあるのかと思うと、すごい、しみじみするなと勝手に思ってました。

 

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注釈

1.母親の趙没名(ちょうめいみん)氏が代表、ライスチョウ ジョナが副代表を務める合同会社 家族舎。WebマガジンB-plus掲載記事参照www.businessplus.net/interview/1802/k3903.html

2.義務教育を受ける上で、特別な配慮を必要とする生徒のために普通学校の中に置かれた学級のことで、通常の学級とは別の学習カリキュラムを行う。これに対して、特別支援学校とは、学習をする上で、大きな困難をもつ障がい児が、義務教育に準じた教育を受けながら、生活上の自立が図られることを、大きな目的にした学校のこと。

3.油田優衣。第一回わをん当事者インタビュイー。わをんの活動にもスタッフとして参加。SMAⅡ型の当事者。

4.障がい者総合支援法に基づくサービスとして、各自の障がい程度や生活環境に応じて、市が介助者派遣時間を支給決定する。その支給時間数に応じて、公的サービスを受けることが出来る。この支給時間数がどれだけ伸ばせるかによって、在宅生活環境は大きく改善されることがある。

5.重度訪問介護は「通年かつ長期にわたる外出」には使えないとされており、「通年かつ長期にわたる外出」には学校や大学への通学やそこでの介助も含まれている。そのため、重度訪問介護は、学校や大学への通学やそこでの介助には使用できないことになっている。

プロフィール

先天性ミオパチー・漫画家|ライスチョウ ジョナ

アメリカ人の父と中国人の母をもつ。日本生まれ、日本育ちの27歳。過剰自己貪食を伴うX連鎖性ミオパチーという、進行性の筋疾患の重度身体障がい当事者。2014年、母親と弟とともに、介護者派遣事業所(合)家族舎を立ち上げ、副代表となる。事業所運営の傍ら、プロの漫画家ジョナ☆シェンとして活動し、ギャグマンガでウェブマガジン連載や、クラブイベントの企画・開催も行う。

京都精華大学マンガ学部卒業。2016 年週刊少年サンデー新世代サンデー賞奨励賞受賞。2018 年 3 月~2019 年 7 月、Web マガジン「ウブマグ 」 http://ubmag.jp/ にて『ジョナのオムニバスショートギャグ漫画』、『ジョニーの燃 えよ裁判』を連載。京都を拠点に、弟のライスチョウ ノア氏と共同で、アートイベント「CANVAS」の開催も。
趣味は音楽と映画鑑賞。好きな映画は『おおかみこどもの雨と雪』
通信 Twitter @ricezhao1993 、Instagram @jonah_ricezhao

文/山﨑彩恵

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