あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載4回目

~やりたいことをやるために、介助を受ける~

MISAKI IWAOKA

文/嶋田拓郎・北地智子 : 写真/Masumi Ando

頚髄損傷・北九州市在住|岩岡美咲(いわおかみさき)

1988年生まれ。高校2年生で体操競技中に受障し第4頸椎脱臼骨折。頭部以下完全四肢麻痺、呼吸筋麻痺により気管切開+人工呼吸器。総合せき損センターにて反射シールを貼った口元を動かし、シールの動きを読み取る機器を使用することでパソコン操作が可能となる。退院後、往診・訪問看護・介助者派遣・訪問リハ・訪問マッサージ・訪問入浴を利用し在宅生活。総合せき損センターの先生から後押しを受けて入院し気切を閉じ、人工呼吸器を口でくわえるNPPVへ変更する。発声可能となり吸引も必要なくなる。呼吸器をくわえながら会話や食事、パソコン操作ができるようになり介助者との外出機会も増えてきている。

目次

在宅で何ができるかを考える日々

――大学卒業後、こうしていきたいという希望はありますか?

岩岡:一番悩んでいることは、卒業後の進路です。理想論でいえば、私は外に出て働きに出たいということを最初考えていました。通学と同じように介助者を使って、通勤してみたいという気持ちはずっとあって。また、私自身は人前でしゃべるのが好きで、講演活動もすごく好きだから、そういう活動も続けていけたらと思っています。ただ、制度の問題で介助者を通勤に使うことが現時点では難しいので、在宅でもなんでも、その仕事でちゃんと稼げるというところが今は目標です。在宅でどういうことができるのか、どういう仕事に向かってまず何をしていけばいいんだろうというところ自体が、すごく壁にぶつかっています。

――生活の基盤となる仕事を持って、それに加えて講演活動ということで、本当に大事なところですね。確かに、就労の壁は当事者の方が悩まれる大きな問題だと聞きます。

まずは介助を利用する

――将来に向けて動くための基盤づくりとしては、まずは介助利用していくことが必要なように思いました。

岩岡:そうですね。まだまだ家族介護が主体なので、介助の時間を増やしていきたいです。ただ、介助者派遣事業所は多いのですが、自分に合うところは本当に少なくて苦労しています。

油田:北九州市は介助者を派遣しているところが本当に少ないですよね。ニーズは絶対あるのに追いついてない。

岩岡:今いくつか入ってもらっている事業者も、重度訪問介護になると入れなくなるところもあるかもしれません。私はまだ居宅介護や移動支援を使ってるんですけど、そこを切り替えるタイミングっていうのは、とても難しいなと思っています。

――地方における重度訪問介護事業所の少なさはよく話題にあがりますよね。

岩岡:そうですね。いつの時代もそうですけど、やっぱり介助者を集めるのはすごく難しいです。なおかつ障がい者の生活というところで、昔みたいな自立生活運動を知っている介助者ばかりではない時代にはなっているので、重度障がい者の自立生活に知識・理解のある事業所・介助者はあまり多くありません。

――そうですね。油田さんは、事業所から派遣される介助者を利用しているとのことですが、介助シフトの枠を責任を持って埋めてくれることは安心していられるというメリットがありますよね。自薦ヘルパーを利用する場合、介助者を集めたり、シフトの穴ができたときに、自分で探す必要があります。

油田:自分の生活を理解してくれる、ずっと入って欲しいな思う介助者がいて、そういう人たちをつなぎとめておくには、自薦ヘルパーの利用は大きな可能性がありそうですね。

互いに負い目を持つ

――事業所を介すると、事業所の都合がどうしても入りますよね。

油田:そうなんですよ。私との関係が悪くなかったとしても、事業所との関係で、転職とか、違う事業所にいったり、介助者自体を辞めてしまう場合があって、惜しいなと思います。

岩岡:そういうときが、一番ショックです。自分には対応できないところでさよならしなくちゃいけないのは、責めることはもちろんないけど、私の気持ちはどこに持っていけばいいのか、と思うときがあります。

油田:私たちにはどうしようもない力で「あーっ」みたいな。悲しいですよね。

岩岡:わかります。

――事業所の都合という、自分ではコントロールできない問題はありますが、介助者を繋ぎ止めるために何か気を付けていることはありますか?

油田:深田耕一郎さんのお話(※9)にある関係は一つの参考になりそうですよね。介助をサービスという、交換で割り切れる関係だったら、いつでもその関係は解消できますが、負い目がある関係というか、受けとる-返す関係は、交換を終わらせない力が働きます。両者を常に負債のある状況にとどめておいて、その負債のある状況が相互関係をずっと維持させる、続けさせる力にもなっていくのだと思います。ただ、非対称的な権力を生むものになったら意味がない。良い意味で、負い目が互いにある関係というのを作っていけたら介助者をつなぎとめられるんだろうなと思っています。

――互いに負い目のある関係が、介助関係を長続きさせる可能性があるんですね。

新たな関係性が深まる

――前回のお話しで、介助者との関係をつなぎとめていくという意味では、互いに相手に対して負い目を持つことが大事だという話になりました。

岩岡:介助者が事情があってやめてなくてはいけないことがあっても、私と介助者自身との関係が変わるわけではありません。今まで、一緒に過ごしてきた関係があって、そこがなくなるわけではないから、関係を切る必要はありません。介助者としては入れないけど、友達として「一緒にご飯行こう」という関係づくりもあると思います。

――今回岩岡さんに、改めてお話を聞いてみて、大学に行っても、大学での友人を作ることのハードルがあったり、介助者との関係をどう長く続けるかという問題があったりすることがわかりました。介助者つけて大学に行き、自立生活を送ろうとしても、いつのまにかお金で割り切る利用者と介助者の関係が生活の全てになってしまう危険性があるのですね。それはもしかしたら、施設と同じだと思われても仕方ないようにも思います。結果的に自立生活を送って、大学へ行っても、そこで新たな関係性や新たな世界を作っていけないと、ずっと介助者と一緒にいるだけになる。なんだかもったいないなと感じました。今コロナの関係で、外に出づらいというのをより感じると、そこをどう打開するかは大きなテーマなんですね。

油田:一番難しいですね。割り切れる関係がありつつ、割り切れない関係を作っておく。いつもそこは書き方が難しいなぁと思いますね。

その先にある、一人暮らしのすゝめ

――最後に、岩岡さんから、こういうことを聞いてみたいというところがもしあれば。

岩岡:そうですね。一人暮らしの良いところと悪いところはなんですか?

油田:まず、今日話しながら思っていたことは、「待って」が一切ないのが最高ですね。介助するのが親だった場合、「あ、ちょっと待って」とよく言われて、それで待っていても「2、3分経ったんだけど……」みたいなことがよくあると思います。それが一切ないのが最高です。たまに実家に帰るんですけど、実家に帰った時に「あ、実家ってこういうとこ(待ってがあるところ)だ」と思い出して。だから本当に私のために介助者が一人いることは、とてもありがたい。基本自由だからいつ外出してもいいし、いつご飯を食べてもいいし、いつ寝ても起きてもいいというのは、すごく自由だなと思いますね。

岩岡:悪いところはありますか?

油田:なんでしょうね、悪いところ……。家事をやらないといけないというのは、楽しいけど大変なのかなと思います。実家に帰ると、自動的にご飯が出てくる便利さを感じますね。慣れるまでは大変だったけど、慣れてしまってからはもう実家には住めないと思います。そんな感じですね。

――一人暮らしを始める人にとって共通していることですが、重度障がい者の場合、両親が生活をお膳立てしている度合いが健常者に比べて大きいので、一人暮らしをした時に感じる大変さがより強いのかもしれないですね。

岩岡:私がもし家を出たら、絶対にご飯の問題が一番大きいなと思いますね。母が何も言わなくてもいつも作ってくれているので、それが介助者を通して自分で作らないといけない、そして何を食べるか自分で決める必要があるということですね。

地域で私らしく生きる

岩岡:油田さんは実家から遠い京都に出て行く時、不安はなかったんですか?

油田:あまりありませんでしたね。私はまず大学を選ぶ時、親が簡単に来られない距離にしようと思っていました。まずそこで「脱九州」はマストだなと(笑)。もし両親が簡単に来られたら、一人暮らししている感じがないですし、それは嫌でした。完全に一人で、親の目が届かないところで一人暮らしを成功させたいと思っていたので、離れて不安というのはそんなになかったですね。いざとなれば大学で知り合った人や、コネを使えば1日2日は生き延びられるやろうみたいな想いはありました。

岩岡:そこの勇気というか、自分にはなかなかそこはできないところだから、すごいなと思います。

油田:すごいのか、無鉄砲なのかわからないですけど。

岩岡:こういうのに対して、お母さんの反対は全くなかったんですか?

油田:反対はありませんでしたね。ただ、祖母あまり積極的ではなかったり、あと親戚の人から「そんな、女の子を、しかも障害のある子を、一人遠くに出すなんて」ということを言われたりしていたようです。でも母親が全面的に賛成していたので、押し通せたところはあります。母親が反対しなかったのには、たぶん私が普通高校でやっていけていたのを見ていたことのも理由にあると思います。また、高校2年生の時に、一人で東京に一週間ぐらい”DO-IT Japan”という研修に参加するために行ったこともあって、母親自身も自信というか「まぁ優衣は一人でも大丈夫だろう」みたいなことを思ってくれていたかなとは思います。

岩岡:今まで一人暮らししていて、大きなトラブルとかはなかったですか?

油田:とくに大きな問題はなかったですね。幸いなことに肺炎など、今のところ重大な病気にかかったことがないから良いんですけど。もし、体調悪くて指示だしもままならないことになったら、心配だなと思います。

岩岡:一人暮らしに向けて、私も頑張りたいと思います!

――貴重なお話をたくさん聞かせていただき、どうもありがとうございました。

編集後記

今回の対談を終えて印象的だったのは、「私みたいな重度の障がい者ができたんだから、あなたもできるよ」と思ってもらえたらうれしいし、それが私の生きる意味なんだ」という岩岡さんの言葉。講演会への夢は、まさに次世代へのメッセージです。 でも今の岩岡さんの揺らいでいる思いも伺いました。大学進学の壁を乗り越えた先の大学生活で、介助者がいることによって新たな関係をどう作っていけばよいか、大学卒業後に夢を実現するためにどうやって介助者を派遣して、生計を立てていけばよいか……。それは前例の少ないロールモデルになってきた生き方ゆえの悩みでもありますが、それを分かち合う油田さんや天畠さんとともに新たな道につながっているように思いました。 先人たちのつながりによって生かされ、またどのように次に生かそうとしているのか。岩岡さんから、道しるべとなる大切さを教えてもらいました。(文/嶋田拓郎・北地智子)

注釈

9.深田耕一郎,2013,『福祉と贈与――全身性障がい者・新田勲と介護者たち』生活書院.

プロフィール

頚髄損傷・北九州市在住|岩岡美咲(いわおかみさき)

1988年生まれ。高校2年生で体操競技中に受障し第4頸椎脱臼骨折。頭部以下完全四肢麻痺、呼吸筋麻痺により気管切開+人工呼吸器。総合せき損センターにて反射シールを貼った口元を動かし、シールの動きを読み取る機器を使用することでパソコン操作が可能となる。退院後、往診・訪問看護・介助者派遣・訪問リハ・訪問マッサージ・訪問入浴を利用し在宅生活。総合せき損センターの先生から後押しを受けて入院し気切を閉じ、人工呼吸器を口でくわえるNPPVへ変更する。発声可能となり吸引も必要なくなる。呼吸器をくわえながら会話や食事、パソコン操作ができるようになり介助者との外出機会も増えてきている。現在、北九州市立大学に在学中で講演活動もしている。父・母・双子の弟・7歳下の弟・12歳下の弟がおり、両親と同居している。好きなものは、ボディクリーム(を集めること)、チョコレート・ポテチ・焼き鳥、読売ジャイアンツの坂本勇人、Youtube。

文/嶋田拓郎・北地智子

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