あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載1回目

特別支援学校と普通学校、それぞれの良いところを取り入れる

HIDAKA MISAKI

文/岩岡美咲 : 写真/池田圭吾

SMAⅡ型(脊髄性筋萎縮症)・株式会社エバーライフ|日髙美咲(ひだかみさき)

1998年、福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。全身の筋肉が徐々に落ちていく脊髄性筋萎縮症(SMA)のⅡ型。小中学校は普通校へ通い、高校は特別支援学校へ進学。短期大学のビジネス情報学科でビジネスマナーやパソコンの技術を学び、一般企業の株式会社エバーライフへ就職。

【イントロダクション】

一般企業で事務の仕事をしている日髙美咲さん。通勤し顔を合わせて仕事をすることの大事さを日々感じる中で、障がいのない人にとって当たり前のことが、障がいのある人にはなかなか当たり前にならない現状、そして障がい者の在宅ワーク推進に偏りがちな風潮に疑問を抱いていると言います。
今回のインタビューは3部構成です。第1部は日髙さんが生まれてから学校を出るまでの生い立ちについて。第2部は就職活動について。第3部は日髙さんと面識のある油田優衣さんをファシリテーターに迎え、日髙さんと同じように就職活動・就労を経験した登り口倫子さん、小暮理佳さん、さらに「介助付き就労ハンドブック」の編集者である篠田恵さんと、一般社団法人わをん代表理事の天畠大輔さん、事務局長の嶋田拓郎さんといった大人数の座談会形式で、「障がいのある人が働く」ことをテーマにお話を伺いました。

油田優衣さんの記事はこちら
https://wawon.org/interview/categorize/yudayui/
登り口倫子さんの記事はこちら
https://wawon.org/interview/categorize/%e7%99%bb%e3%82%8a%e5%8f%a3%e5%80%ab%e5%ad%90/
小暮理佳さん記事はこちら
https://wawon.org/interview/categorize/%e5%b0%8f%e6%9a%ae%e7%90%86%e4%bd%b3/

(文/岩岡美咲

目次

友達と同じ小学校に通いたい

油田:まずは自己紹介をお願いします。

日髙:日髙美咲です。1998年11月29日生まれの22歳 (インタビュー当時)です。病名は脊髄性筋萎縮症のⅡ型で、全身の筋肉が徐々に落ちていくものです。今動かせるのは顔、首と指先ぐらいで介助は全介助になります。

油田:今の所属は?

日髙:株式会社エバーライフ (※1)という、健康食品や化粧品の通信販売をしている会社の事務をしています。

油田:働かれてどれぐらいになりますか。

日髙:3年目です。

油田:日髙さんが生まれてから、幼少期や学生時代について教えてください。

日髙:私は地域の保育園と小学校、中学校に通って、高校は特別支援学校に通いました。それから短期大学に進学しました。

油田:普通学校の入学にハードルはなかったですか。

日髙:小学校に入るときは教育委員会と10回くらい面談して、けっこう闘いました。

油田:それは親御さんが頑張って交渉してくださったのですか。

日髙:そうです。私は同じ保育園の子と同じ小学校に通いたい気持ちが強くて、それは両親もすごく分かっていたので、教育委員会に言ってくれました。あと、母は実際に(教育委員会に)私を見せて、私の意思も伝えてくれました。

油田:日髙さんの出身は、福岡県のどこでしたっけ。

日髙:糟屋郡粕屋町です。

油田:町かぁ。そんなに(インクルーシブ教育は)進んではない感じですかね。

日髙:全然。当時は特に「車いすだったら特別支援学校でしょ」みたいな空気がすごく強かったです。障害者手帳の等級も一級だから、それを見て特別支援学校っていうのが強くって。でも手帳じゃなくて本人を見てくださいって、私もけっこう話し合いについて行っていた記憶があります。

油田:小さいころから、そのような場に参加していたんですね。小学校の思い出はありますか。

日髙:小学校はすごく楽しかったです。小1から小6までみんなと過ごしていたので、周りも私が車いすなのは当たり前だし、「美咲ちゃんは美咲ちゃんだから」っていう感じで接してくれました。私自身もその空気に慣れていました。

油田:中学校はどうでしたか。

日髙:中学は逆に人間関係にすごく悩みました。私が行っていた中学校は、複数の小学校が一緒になった中学校でした。私を知らない人が半数と多かったので、今思えばどう接していいか分かんなかったんだろうなと思うんですけど、そのときの私は避けられているまではないけど、一線引かれているというか、遠くから見られている感じはすごくありました。中学は正直そんな、めっちゃ楽しかったっていうのはなかったです。

特別支援学校で自分に合ったやり方を見つけられた

油田:日髙さんは、中学校から高校にあがる時に特別支援学校に行かれたとのことですが、その経緯について教えてください。

日髙:私は小・中は普通学校にいたので、高校も普通学校に行きたい気持ちはありました。小・中学校は大学生が学生サポートスタッフとして、朝、私が登校してから帰るまでのサポートをしてくださっていたので普通学校に通うことができていたんですけど、高校は義務教育じゃないのでそれができないと言われました。わたし一人で学校生活を送るのは厳しかったので、特別支援学校ということになりました。

油田:それは悔しいですよね。不本意ながら特別支援学校に行かざるを得なかったんですね。

日髙:そうですね。

油田:特別支援学校の高校時代はどんな生活でしたか?

日髙:もともと普通学校に行きたかったので 全然乗り気じゃなかったんです。でも今思うと、特別支援学校に行ったから短大に行けたと思っています。中学までは30人40人の中の1人だったので、私だけを特別視することも、当たり前ですけどなかったです。中学のとき、パソコンの授業があって、私自身手が動かせないので、マウスとかキーボード操作をするのは、サポートの先生にお願いしていました。自分でパソコンの操作ができるとはあんまり思っていませんでした。
だけど特別支援学校に行って、これだったらできるんじゃないかということで、トラックボールを使って操作をする方法を知りました。パソコンの楽しさや、自分でもパソコンができるんだと、特別支援学校に行ったから知ることができました。

油田:普通学校時代は、日髙さんがどうしたらできるか、個別の対応はしてもらえなかったけど、特別支援学校で細かく、いろいろ試せたんですね。そこはインクルーシブ教育の中身を考える時にも大事なことだと思います。

日髙:小・中学校では普通学級所属で特別支援学級でもなかったのでずっと時間に追われて、授業にもすごい遅れたし、板書もけっこう時間がかかっていました。

油田:周りに合わせるのに必死だったんですね。

日髙:中学はそれもけっこうしんどかったかなと思います。

油田:不本意ながら行ったものではあったけども、特別支援学校に行ったことで、自分のペースとか自分に合ったやり方を探ることができたんですね。

日髙:そうですね。特別支援学校は少人数なので、ひとりひとりに合った授業や、やりたいことを伸ばせるところだなとすごく思いました。

油田:インクルーシブ教育を進めようみたいな話があるけど、単に一緒にすればいいかというとそうじゃない。
日髙さんが、特別支援学校の中でパソコンの楽しさを見つけられたのは、必要な個別の対応があったからだと思うし、そこって大事だなと思いました。

日髙:特別支援学校で学んだことはすごく多くて。高校2年生のとき、週末は公務員の専門学校の授業を受けに行きました。そのときに就職よりも進学したいと自分の中でも決まってはいたんですけど、視野を広げるためにいろいろできたなと思っています。

天畠:特別支援学校では教科学習とか、大学進学のための勉強の機会を得られないということをよく聞くのですが、日髙さんはどういうふうにカバーされていたのでしょうか?

日髙:大学進学にあたっては、学校側が放課後や休暇中に課外授業を開いてくださっていました。しかも先生たちは、私がセンター試験を受けてもいいように授業をしてくださっていました。私がセンターを受けるって思っていたみたいで。「すみません、受けません」って言ったら、「なんだよ~」みたいな感じだったのはすごい覚えています。

油田:センターの対策までも考えているって、すごいなって思いました。

日髙:もともと普通校にいらっしゃった数学の先生で。私が「大学進学したいです」と言うと、特別支援学校だと授業で遅れやすい所があるので、そこはカバーしないといけないと。「課外授業お願いできませんか」と、私たちから言ったと思うんですけど。快く引き受けてくださいました。ただ、私はお手洗いとかも一人で行けないので、まず放課後課外や夏休みの課外に協力してくださる先生を募ってみなさんに協力して頂きました。

短期大学時代~友人が学生サポートスタッフに~

油田:日髙さんは特別支援学校の高等部を卒業して、短期大学に進学されたんですよね。その際も色々考えないといけないことやハードルがあったかと思います。進学のことについて教えてください。

日髙:進学すると決めたのは、高校生の時に自分もパソコンができるとわかって、今のスキルをもっと伸ばしたいと思ったからです。私は自力で食事やお手洗いなどができないので、そこが1番ネックになりました。通学や学内の支援は、大学とも数回話し合いました。

油田:受験する時にはまだ完璧なプランはないですよね。

日髙:なかったですが、私はAO入試だったので、学校と直接話す機会はけっこうありました。面接の時にも高校の先生と一緒に行って、今後学校生活を送るにあたってしてほしい事や、必要な支援についてすごく話せたほうなのかと思います。私が入学する時には、私の短大が四年制大学の中にあったので、私の先輩だったり、四大の方の先輩に事務の方が学生サポートスタッフを募ってくださって。それでお昼休みのお手洗いなど、学生の方、先輩にしていただいていました。

油田:それはもともとあった制度ですか?

日髙:いえ、なかったんです。私が入学するので多分、色々してくださったんじゃないかなと。

油田:日髙さんが行かれた短大はけっこう柔軟に動いてくれたんですね。大学では介助以外にどんな合理的配慮を受けましたか? その中で困りごとはなかったですか?

日髙:大学もすごく友人に恵まれたので、1人でいることはほとんどなくて、誰か友人と一緒に行動することが多かったです。学校側の配慮としてはテスト時間の延長、あとは空きコマに休憩できるスペースを作ってくださって、そこにいることが多かったです。

油田:大学生活、どんなことが思い出に残っていますか?

日髙:友達にすごい恵まれました。一緒にランチするとか。ちょっと空きコマでコンビニに行くとか。そういうなんでもないことがすごく楽しかったなあって思います。

油田:なんでもないことが楽しいってとても重要ですよね。その時は友達に介助もお願いしながらですか?

日髙:そうですね。

油田:それが自然とできる関係というか、頼める関係だったのも、素敵だなぁ。

日髙:2年生になったときは、私の友達が学生サポートスタッフになってくれて。いつでも介助してもらえる環境ではありました。

油田:短大への通学はどのように?

日髙:通学は家から最寄り駅までは母に送ってもらって、そこから乗り換えもあったので、1時間弱かけて毎日行っていました。

油田:1時間弱! 遠いですね。

日髙:乗り換えがうまくいけば30分で行けると思うんですけど、JRってけっこう厳しくて。特に私が住んでいるところの通学で利用する駅とは別の駅だと、15分前までに駅員さんに言わないと乗せてくれませんでした。まだ電車は来てないのに、「ああちょっと時間的に無理なんで次の電車でいいですか」みたいに言われてけっこう待たされることが多かったです。でも通学は顔見知りというか、毎日通学するので、けっこう駅員さんがスムーズになってくれました。

油田: 体力的にはしんどくなかったですか?

日髙:その時は全然。大学に行くことはすごく楽しかったし、それが当たり前でそうしなきゃいけないと思っていました。今の自分にできるかと言われたら多分できなくて。過去の自分すごいなって思います。

油田:私も高校時代、朝6時起きの夕方5時過ぎに帰る生活をしていました。今では信じられないです。

日髙:そうなんですよ。もう考えられない。毎日、朝1時間弱電車に揺られるって。

やりたいことをやらせてくれたお母さん

油田:ご家族との関係やご両親のことを聞かせてもらいたいと思います。ご両親はどういう人なのか、どういう関係か、お聞きしていいですか?

日髙:けっこうパワフルで元気な明るい感じのお母さんです。だから今の私の性格があるんだろうなと思います。お母さんは「なんでもやってみないと。やらんと分からんやろう」みたいな感じだし。私が大学に行くと伝えたのも、事後報告でした。

油田:事後報告!?

日髙:はい。「大学行くから」みたいな。それに関して全然反対もなくって。「あんたの人生やし」「行きたいんやったら行けばいいんじゃない。ただお金とかどうすると(どうするの)?」みたいな感じでした。障がいのある人が進学する上で、返さなくていい奨学金があって。それに学校推薦で応募して通る見込みがあったので、親には「大学に行きます」と報告をしました。

油田:そのようなお母さんのスタンスは、最初の頃から?

日髙:ちっちゃい時からです。 私がやるっていうことに対しては、特に反対はなかったですね。

油田:「あなたがやることはあなたの責任だから」と言って子供にやりたいことをやらせるのって、親にとってみればすごく勇気がいることだと思います。障がいのある人って、危ない目に遭わせたくない、しんどい思いをさせたくないという親の思いや先回りによって、自分が主体的に責任をもって動く経験を積めない人も中にはいると思います。その中で日髙さんのお母さんはなぜそういうことができたのかなぁと思いました。

日髙:何でですかね。
ただお父さんは私の心配をけっこうしてくれました。私に直接言うことは特になかったと思うんですけど、母には中学に進学する時も、普通学校で大丈夫?って言っていたそうです。

油田:そういえば、以前も旅行に行ったり、遠出をした時に、お母さんについてきてもらう必要がある時も、全部事後報告でやっていると聞きました。手配が済ませてあったそうですね。

日髙:そうです、そうです。電車とか、新幹線とか全部予約をして。母の空いている日は前もって一応リサーチをしておいて、「この日空いてたよね」って。「この日ここに行くけん」みたいな。まあ基本ダメとは言わないですね。お母さんが言っているのは、「命に関わらなければ別にやりたいことはどうぞ」という感じですね。

油田:そういう経験の積み重ねは、自分の進路を切り開いていく上でも大事だよね。日髙さんが「短大行きたい」と思えたのも、今までの選択の積み重ねの上にある気がします。

注釈

※1:https://www.everlife.jp/

プロフィール

SMAⅡ型(脊髄性筋萎縮症)・株式会社エバーライフ|日髙美咲(ひだかみさき)

1998年、福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。全身の筋肉が徐々に落ちていく脊髄性筋萎縮症(SMA)のⅡ型。小中学校は普通校へ通い、高校は特別支援学校へ進学。短期大学のビジネス情報学科でビジネスマナーやパソコンの技術を学び、一般企業の株式会社エバーライフへ就職。趣味はカラオケで歌うこと、音楽を聴くこと、絵を描くこと。

文/岩岡美咲

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