あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

「自分は何ができて、何ができないのか」を伝える

HIDAKA MISAKI

文/岩岡美咲 : 写真/池田圭吾

「自分は何ができて、何ができないのか」を伝える|日髙美咲2回目

SMAⅡ型(脊髄性筋萎縮症)・株式会社エバーライフ|日髙美咲(ひだかみさき)

1998年、福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。全身の筋肉が徐々に落ちていく脊髄性筋萎縮症(SMA)のⅡ型。小中学校は普通校へ通い、高校は特別支援学校へ進学。短期大学のビジネス情報学科でビジネスマナーやパソコンの技術を学び、一般企業の株式会社エバーライフへ就職。

目次

「自分は何ができて、何ができないのか」を伝える|日髙美咲2回目

障がい者雇用のはずなのに「車いす不可」の驚き

油田:就活の経緯を教えてください。

日髙:短大を卒業したら就職をするというのが自然と私の中にはありました。それで就職活動になったんですけど。やっぱ就職活動はけっこう大変だったなって思います。
まず、就職活動として学内合同企業説明会に参加したのと、障がい者雇用促進面談会(障がいのある人向けの就職面談会)に参加をしました。プラス、障がい者就業・生活支援センター (※2)の方にお世話になりました。
今、勤めているエバーライフは、学内企業説明会で出会いました。私自身、パソコンをしたかったんですけど、話すことがすごく好きで、中学生ぐらいから電話を使ったオペレーターの仕事をしてみたいな、ちょっと興味があるなって思っていました。就職活動のときも、電話応対の業務がある企業をいろいろ探していて、その中にエバーライフがありました。

油田:エバーライフさんに決まるまでどんな苦労やハードルがありましたか?

日髙:私が就職するにあたって、自分で通えるところと、自分のやりたい電話応対、あとパソコンの仕事ということが(条件として)ありました。それプラス、エレベーターやお手洗いだったり、設備が整っているという条件で探していくと、当てはまるところ自体がありませんでした。
障がい者雇用促進面談会も、障がいのある人向けを謳っているので、選択肢がいっぱいあるんだろうなーっていう目で集まっている企業のリストを見ていたんですけど、そこに「車いす不可」とありました。理由としては、「エレベーターがない」、「お手洗いが整ってない」など、「障がい者雇用」を謳っているのに、そこが整ってなくて「不可」と書かれていることに逆に驚きやショックを覚えました。

小暮:めっちゃわかります。私からも一つお聞きしたいことがあります。 企業から書類を提出してくださいと言われた時に、障がいのことや必要な配慮事項とかを書かずに履歴書を出してくださいという企業もあれば、最初から「書いて出してください」という企業、どっちもあると思うのですが、日髙さんが受けた企業はどういう企業でしたか? 書かなくて良かった場合、書かないで出したか、あえて書いて出したか、どうでしたか?

日髙:私は最初の時点でつまずいて。書類を出すところもあんまりありませんでした。今勤めている企業は、学内合同企業説明会で「興味があります」と言って、その場でエントリーシートを出しました。その時に、この企業の採用担当の方とお話しして、後日企業内説明会に伺ったとき、詳しく「自分自身どういう障がいなのか」「何ができる」「何がしたい」ということをその場で話しました。
書類を出す時点で何か(障がいに関して特別なもの)を出したかというとそうでもなくて。障がい者雇用促進面談会はもう面談会なので、履歴書と一緒に、自分の状態を話す感じでした。

小暮:私は、障がい者向けの採用サイトとかから応募して選考に進んだりして、実際会ったことない企業でも応募してました。だからそこはなんか、めっちゃ地元密着というか。そういう就活の仕方だったんだなって思いました。

日髙:障がい者就業・生活支援センターの方にはお世話になったのですが、一方で、障がいのある方(向け)のエージェントみたいなのはあんまり活用できてはなかったかな。

「自分は何ができて、何ができないのか」を伝える|日髙美咲2回目

できないこと・できることを伝える

登り口:大学時代のお話を、懐かしいなあと思いながら聞いていました。私は車いすじゃない一般の学生と一緒に、合同面接会に行ったり、ハローワークに行って100件以上求人票を見て担当の方と相談したり、就労支援も利用したりなど、いろんな方法で就職活動をしました。

私の場合は、やっぱり介助がネックで、結果的に3年ぐらい就職活動していました。一般就労で事務で働けた決め手が、「自分はこれぐらい、仕事ができるんだ」「私の働いている姿を見てください」と言って、実習の機会を作ってもらいました。それで「あ、全然働けるよね」って(分かってもらえて)、意外とあっさりそこで働けたりもしました。今回エバーライフさんで、働けた決め手は、なんだったんですか?

日髙:まず学内合同企業説明会で、「ここに興味があります」って話したときの採用担当の方が、ちゃんと私の話を聞いてくれるすごく良い方でした。他のみんなと一緒に企業説明会の参加もできて、私の病気のことについてけっこう詳しくお話しできました。見た目じゃ何ができるかはわからないと思うので、そこをけっこうこと細かに、「(体の中で)動くところはここで。こういう操作の仕方でパソコンをして。どれくらい打つのに時間がかかって。ただこういうふうにしたらできます」みたいなのを、私自身はその時点で、「お手洗いとかも無理だし、サポートや介助が必要です」とできないことも伝えました。その後「ちゃんとできること・できないことを、教えてくれていたのはすごく良かった」と言われた記憶がありますね。

登り口:障がい者のことをまったく知らない方は、理解しようとする人と、「そんなに介助が必要なんだったらちょっと仕事無理だよね」とか「車いすだから無理だよね」と決めつけてしまう方にと二分化するなと思っていて。その中で自分ができることとしたら、日髙さんがおっしゃっていた、「自分は何ができて、何ができないのか」。私もパソコンの事務だけじゃなくて、自分は話せるからその特技を活かしたいなと思って、オペレーターにもチャレンジしたことがあります。普通のオペレーターだったら、ヘッドホンマイクがあるんですけど、たとえばそれを操作するとなるとスピードがついていけないことがあって。じゃあ一般企業で、普通の電話で自分が電話対応するならどうするかを考えたときに、受話器は持てないから重りを受話器を置くところに置いて、それを指でただ引っ張るだけで出られるとか。そういう策を考えて企業にプレゼンしました。たぶん日髙さんはそういうプレゼンの作業をすごいしてたと思うんですけど。なかなか大変でしたか?

日髙:これまで小学校や中学校のときも、サポートの先生に自分のできることできないことをけっこう伝えていました。自分自身のことを伝えるのはわりと得意な方ではあったのかなと思っています。自分自身のことなので特別大変なことはなかったかと思います。逆に企業側はそれを上司や社長に伝える作業が大変だったんじゃないかと思います。

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障害者手帳の等級はその人のすべてを表すものではない

油田:今登り口さんと日髙さんの話は、自分が「何ができるか」を見てもらうことが大事という話だと思うのですが、それを聞いていて、「障がい者手帳一級」というだけで、「何もできない人」と思われてしまうという小暮さんの話を思い出しました。「障がい者手帳一級」というだけで、すごい重度でひ弱でみたいなイメージをもたれてしまって、就活の時に「障がい者手帳一級」という言葉の重みを感じたと。

小暮さんは1週間くらいインターンシップに行かれていたと思うんですけど。その中で、「意外と元気なんだね」って言われた話あったよね。

小暮:普通の人からすると「手帳が一級で、かつ手があまり動かなくて」と聞くと、物怖じしちゃったりとか、他のもっと軽度の障がいの人がいたら、そちらを雇っちゃうのが現実だなって思ってたんだけど。
今働いているエバーライフの人は「(日髙さんが)前向きだし雇いたいと思う人だったから社長と掛け合って、採用した」とテレビ (※3)でも言っていて、本当にそうだよなって思いました。

でも日髙さんが実際内定をもらったのが3月ギリギリだったように、採用に至るまで、調整が必要なのも現実としてあるから、そこをどう乗り越えていくか、他の企業もこれからどうしていくかは社会全体の課題だと思っています。
採用に至るまでの採用担当の人と社長との掛け合いや、大変だったことなどについてはなにか聞いていますか。

日髙:私がエバーライフの企業内説明会に行ったのは2年生の5月終わりです。一緒に行った友達は1週間くらいで1次面接の日程が組まれていましたが、私はまだ来ていなくて不安でした。

私自身その時はそこしか受けてなかったので障がい者就業・生活支援センター障がい者雇用促進面談会に参加をしつつ、エバーライフの返答を待ちました。採用担当者は上の方と掛け合ってくれたとのことで返答が来たのは10月でした。

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インターンシップで実際に働く姿を見てもらって分かること

日髙:12月くらいに、「インターンシップはどうですか」と連絡がありました。その間に会社会議がかけられたのかはわかんないんですけど、色々掛け合ってくださって、実際3日間インターンシップをしました。そこから面接を年明けぐらいにしたのかな。学内合同企業説明会の時は「電話応対の仕事を」っていうことで参加をしたんですけど、実際にインターンシップの前に話した時に、電話応対でもお客様の情報を入力するところが結構時間との勝負みたいで、私の入力のスピードだと結構厳しいところがあるんじゃないかということでした。私は今、人事総務という部署に配属をされているんですけど、そこだったら、「締め切りはあるけど、切羽詰まった状態ではないから、そこでどうですか」みたいな感じで、色々考えてくださいました。12月にインターンシップをして、年明けぐらいに面接をして、3月終わりに合格が出ました。

小暮:インターンシップを3日間やってみてどうでしたか?

日髙:めちゃめちゃ緊張して、ドキドキしていました。その時点で他のところも受けていたけど、障がい者雇用促進面談会でも書類で不合格と出ていて、自分の中ではすごく焦っていました。もうすぐ卒業だし、でもここがもしダメだったら就職できないかもという焦りがありました。

小暮:実際インターンシップをして採用に至っているから、インターンシップをしたことによって何かしら社員さんや社長の考えが変わったのかなって私は思うんですけど、周りの社員さんの反応はどうでしたか?

日髙:私がインターンシップに行っていた3日間は、企業側がお昼ご飯の時間も一緒に取れるように、配慮してくださいました。その時に色々、私のことや学校のことだったり、和気あいあいとできるような雰囲気を作ってくれました。その時間はすごく楽しかったです。

小暮:普通の感覚というか、その楽しかったのがわかったから「雇おう」と踏み切れたのかなって、私は 聞いていてすごく思ったし、インターンシップってすごく大事だなぁって改めて思いました。

日髙:入社してから聞いたのかな、インターンシップを終えた後に、採用担当の方が周囲の社員の方に「実際に私がいることによってどうでしたか」みたいなアンケートだったり、理解を求めるような時間というのを作ってくださっていたみたいです。実際に「採用」に踏み切るまでには色んなステップを企業側がしてくれていたんだなと、就職した後に知りました。

小暮:ちなみにインターンシップしている3日間の介助は誰が担っていたんですか。

日髙:介助は母がしていました。

登り口:インターンシップでは緊張していたとのことですが、実際にどういう事をやったのかを聞かせてください。

日髙:パソコンの操作をするのに問題がないかをその時に見たんじゃないかなと思います。実際に事務なので、パソコンの操作をしたのには間違いはないんですけど。本当に緊張していたので、何をしたかな……? あんまり覚えていないです。

登り口:わかります。私も行政機関でそういうのをやらせてもらったことがあります。その時もパソコン操作とか、資料の出し入れとか、どういう机のポジションだったら作業がしやすいとか。実際的な仕事をする上でスムーズにできる方法を模索した時間だったなって思い出しました。

日髙:そんな感じです。自己PRシートを作ったように思います。そこから社員の方に自己紹介をしてとかだったかな。

油田:登り口さんは実習の機会を作った、小暮さんも日髙さんもインターンシップの段階があったとのことで、まずは「実際に何が出来るか。何ができないのか。できないことも工夫したらできるのか」そういうところを知る/知ってもらう機会が大事だなって思いました。現在は、そのマッチングにすらありつけないという状況が大半で、悔しいですよね。

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ランチタイムで見えてくる生活面と介助

小暮:もう一個私のインターンシップと共通していたのが、お昼ご飯を企業の方と一緒に食べる機会があったという点です。そこで色んな社員の方と日替わりで食べたりして、仕事中だと話せない他愛もないこととかが話せたりするんですよ。インターンシップしてみて、「実際どう?」とか、お互い「どうですか?」って聞きあったりとか。それこそ生活のことや大学でどういう事をしているかとか。そういう他愛もない会話をして相手のことをより深く知れたのが、私もランチタイムの時間でした。

重度障がいの人は在宅就労がベスト! っていう流れがけっこうできてきているけど、実際会社に行って働いてランチを一緒に食べて、そういう休憩時間とか仕事以外の時間でコミュニケーションをとることによって、お互いのことが深く知れるところが、ポイントだなって思いました。それは働く上で、必要なときに介助者が常にいることによって可能になるところなのに、そうではなくて、在宅就労がいいんじゃないかという社会の流れが、私はちょっとうーんって思っていて。インクルーシブな環境を作っていくためにランチタイムは1つの重要なポイントだと思います。

油田:すごく重要だよね。仕事以外の面でその人のことを知る場ってすごい大事だと思うし、また、そこで介助者との関係性というか、「介助はこういうふうなんだ」みたいな、「介助があればこの人はこういうこともこうできるのか」とか知ってもらえるってめっちゃ大きいよね。

小暮:私と介助者のやり取りを見て、「ああこうやってやり取りしてるんだ」とか。私が携帯で介助者を呼ぶときに、いつもワンコール しているのを見て、「え、そんな感じでやり取りしてるんだ」とか。

油田:どんなふうに介助者を呼ぶかすら、多くの人には想像しにくいですもんね。

小暮:そうそうそう。そういうところを見ているとやっぱり変わってくるというか。「ああ、こうやって生活してるんだ」っていうのがリアルに分かるところがすごくポイントかなと。

注釈

※2 障がい者就業・生活支援センター https://plushearty-salon.com/situation/service-contents-t/
障害者就業・生活支援センター ちどり https://fukuoka-colony.net/consultation_chidori/
福岡市障がい者就労支援センター http://fc-jigyoudan.org/syuro

※3 地元のRKBテレビが2019年に制作、放送したドキュメンタリー番組「わたしの仕事」
https://rkb.jp/article/90558/ RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「わたしの仕事」

「自分は何ができて、何ができないのか」を伝える|日髙美咲2回目

プロフィール

SMAⅡ型(脊髄性筋萎縮症)・株式会社エバーライフ|日髙美咲(ひだかみさき)

1998年、福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。全身の筋肉が徐々に落ちていく脊髄性筋萎縮症(SMA)のⅡ型。小中学校は普通校へ通い、高校は特別支援学校へ進学。短期大学のビジネス情報学科でビジネスマナーやパソコンの技術を学び、一般企業の株式会社エバーライフへ就職。趣味はカラオケで歌うこと、音楽を聴くこと、絵を描くこと。

文/岩岡美咲

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