あなたの語りには、価値がある。/ 当事者の語りプロジェクト

連載2回目

~配慮はするけど特別扱いはしない~

MISAKI IWAOKA

文/嶋田拓郎・北地智子 : 写真/Masumi Ando

頚髄損傷・北九州市在住|岩岡美咲(いわおかみさき)

1988年生まれ。高校2年生で体操競技中に受障し第4頸椎脱臼骨折。頭部以下完全四肢麻痺、呼吸筋麻痺により気管切開+人工呼吸器。総合せき損センターにて反射シールを貼った口元を動かし、シールの動きを読み取る機器を使用することでパソコン操作が可能となる。退院後、往診・訪問看護・介助者派遣・訪問リハ・訪問マッサージ・訪問入浴を利用し在宅生活。総合せき損センターの先生から後押しを受けて入院し気切を閉じ、人工呼吸器を口でくわえるNPPVへ変更する。発声可能となり吸引も必要なくなる。呼吸器をくわえながら会話や食事、パソコン操作ができるようになり介助者との外出機会も増えてきている。

目次

北九州市の通学支援事業も使う

――大学合格後の岩岡さんの生活は順調でしたか?

岩岡:実は順調ではありませんでした。大学側は授業で使われる資料のデータ化などはすると行ってくれたものの、通学や学内での介助、移動をどうするかという問題は残ったままでした。

――現行の重度訪問介護制度では、「通年かつ長期にわたる外出」は対象になっていません。移動支援の取り扱いも市町村によって、ばらつきがありますよね。

岩岡:大学に相談したところ、「お母さんと通学するなどどうか」と当初は言われました。しかし、その場で大学側の提案にはきっぱりと否定したんです。「(お母さんとではなくて)介助者と通いたい」ということを伝えました。「学校に行って友だちとか先生と話すときや、たとえば好きな人ができておしゃべりするっていうときに(笑)、隣にお母さんにいてほしいですか?」と、言いたかったんです。

――その通りですね。岩岡さんはそこからどのように交渉していったのでしょうか?

岩岡:そこからは北九州市に相談していきました。当初は市からも保護者の付き添いや自費で介助者を頼むことを、提案されましたが、「それが無理です」と交渉し続けましたね。そして市や障害者団体の方と交渉を続けるなかで、大学などへの通学支援の在り方を研究する国のモデル事業の存在に辿り着きました。

――その事業が、現在の岩岡さんの通学を支える制度に繋がっていったのですね。

岩岡:そうです。この制度の存在がなければ、大学は諦めていたと思います。このモデル事業がきっかけで、翌年度に北九州市の取組として通学支援事業がつくられました。

油田:大学での介助サービスの使用という前例ができた点は、後ろに続く障害学生にとっても凄い大きいことですよね。それまで北九州では重度障がい者への大学の通学支援はなかったことを考えると、北九州市民はすごく勇気づけられたんだろうなと思います。

岩岡:そうなってくれたら嬉しいです。それこそ油田さんもおっしゃっていたように、私のような重度障がい者ができるなら自分もできるって思ってもらえたら、私が生きる意味にもなります。

油田:通学は北九州市の事業で、事業所の介助者と通学しているのだと思いますが、例えばトイレに行くときなどは、介助はどうされているのですか?

岩岡:入学時に、「呼吸器を着けてる方への学生ボランティアは難しい」と言われてしまいました。呼吸器を着けているから、何かトラブルがあった時にその学生さんに迷惑をかけるわけにはいかないというのが理由のようです。そのため、大学内の移動から、学校で食事をする等は常に介助者がしてくれます。授業前のパソコンのセットだとか、授業中も常に側にいてもらえます。だから家を出て帰ってくるまでは全て介助者と一緒です。

油田:介助のお金はどこから出ているのですか?

岩岡:お金については通学支援事業(※7)から出してもらっています。

油田:私は、授業中は大学側が用意する学生サポーターで、それ以外が普通の介護派遣事業所の介助者です。市からお金が出る移動支援の枠組みでやってもらっていて。そこは私の場合は分けられますね。

――油田さんの場合は、授業中は大学からの支援というような形になっていて、岩岡さんの場合は、市が独自で財源を出すというところで、行きから帰りまで、介助者を利用できるような違いがあるんですね。

油田:授業中の支援は、大学側の提供すべき合理的配慮に入るので、そこは大学のサポートになり、それ以外は行政のサポート、と分かれています。

――なるほど。大学側のリソース不足で、当事者への授業中の支援はやると言い出しづらいようなところでも、就学支援事業を利用する事で、当事者の受け入れがしやすくなる可能性もあるということがよくわかりました。

岩岡さんテーブルが、どんどん増える

油田:コロナ禍以前は、どのように授業を受けてらっしゃったのですか?

岩岡:私は昼過ぎから大学に行くことが多かったですね。大学では、常に私の傍に介助者がいてくれるので、授業中は自分でパソコンを使ってノートを取っていました。また、大学側には、パソコンが置けて車椅子でも使えるオーバーテーブルを準備してもらっていました。そのため、年々オーバーテーブルのある教室が増えていきましたね(笑)

油田:岩岡さんテーブルがどんどん増えていってる!

岩岡:そうですね。今多分大学にあと2人くらい車椅子の学生がいて、その子たちのためにテーブルも増えていったのは良かったと思います。あとは、私が備え付けの教室のテーブルや椅子に移れない・座れないので、教室の大きさによって違うのですが、教室の1番前の端っこにオーバーテーブルを置いてもらうので、1番前でも明らかに授業受けていますというアピールを先生や他の学生にできたのは良かったですね。あとは規模が大きく坂になっている階段教室では、通路の間を塞いでそこにいる時もあります。私が人の頭を避けてスライドを覗き込むことができないので、先生が張り紙を作り、私の前の座席は空けて、スライドが見えやすい環境を提供できるように大学側には配慮をしてもらっています。

「フィジカルヘルス」に夢中になる

油田:大学で思い出に残ってることはありますか?

岩岡:この4年を通して1番印象に残ってることは、入学したばかりの時に受けた体育の「フィジカルヘルス」という授業でした。シラバスに「障がい者でも受講可能」と書いてあったので、「え?体育?私も受けたいんですけど!」と受けることになりました。「障がい者でもって書いてあるやん!」っていうノリですね(笑)。その先生は障がい者スポーツを専門にされてる先生でした。座学はパソコンを利用すれば問題ありませんでしたが、実技をどのように他の学生と一緒にできるか?ということを考えてくれました。

――具体的にどのようにされたのですか?

岩岡:体育館の中を歩くというカリキュラムでは、介助者ではなく、同じ授業を受けた学生にかわるがわる車椅子を押してもらいながら、一緒に体育館の中をぐるぐる歩きました。みんなが走る時は、若い子たちだからか、もう遠慮なく、みんなぶぁーと車椅子を走りながら押してくれましたね(笑)。

――普段なかなかできないことですね(笑)

岩岡:あとはトレーニングをするというカリキュラムの際は、エレベーターがない部屋に移動する必要がありました。そのため、一緒に授業を受けた野球部の子たちが、私を車椅子ごと抱えてトレーニング室に上がるということしてくれました。もし先生に「ちょっと岩岡さんは下で待っとって」って言われたら、それはそれで「はい、わかりました」と言ったと思います。だけど先生は「上がる?」と聞いてくれて、私もやっぱり「上がりたい!」と思ったので、私の車椅子を5.6人くらいでしっかり抱えてくれました。他の学生は下で見守ってくれながら、みんなで上がった喜びを分かちあいながら、その授業に参加させてもらいました。こうやって理解してくれる先生がいたからこそ実現したことですし、他の学生と一緒に授業に参加できたことは、すごく嬉しかったですね。この授業はすごく印象に残ってる授業の一つです。

油田:私も高校の時よく階段を上げ下げしてもらったりしていました。行けないなら行けないで問題ないのですが、でもそこで「一緒に行こう」と声かけしてくれるのは、すごく嬉しかったですね。まぁ、そもそもエレベーターがないことが問題ではあるのですが……。他の学生にとって、普段意識しないバリアが目の前にあることを知ってもらうきっかけになることはとても嬉しいことです。高校時代を思い出します。

岩岡:障がい者スポーツの経験がある先生だからこそかもしれませんが、常に私を巻き込んでくれ、どんなことでも一緒にできる方法を考えてくれるので、とても心強いです。ただ、先生によっては「岩岡さんはいいから」「岩岡さんは大丈夫だから」って言われる授業もあります。「いや、私もできます!」って何回か言いますが、通じない時がありました。その先生には、例えば、レポートを授業終わりに書いて提出する時に、「私は授業が終わってメールで送ってもいいですか」と聞きました。みんなと形は違っても、「パソコンを使ったらみんなと同じようにレポートだって出せます」と言ったのですが、とどめに「特別扱いは不満なんでしょうね」みたいなメールが先生から来ました。

――それはひどいですね。

岩岡:それはなんかもう笑ってしまうレベルです。その先生も特別扱いしてる自覚があったんだなって思いました。そもそも、特別扱いと合理的配慮は違います。私のゼミの先生は、「配慮はするけど特別扱いはしない」って言ってくれる先生なんです。そういう先生たちが多い中、大学に行ったからこそ通じる人ばかりじゃないという経験ができました。一方で、通じない時にどう乗り越えていくかということも、大学に行ってるからこそ経験できることです。

今までわかってもらえる人ばっかりに支えてもらってたけど、そうじゃないことってこれからもっとあるんじゃないかなって思ったりしました。

平等とは、「特別扱い」ではなく「合理的配慮」

――合理的配慮と特別扱いの違いについて、もし改めて言葉にするならば、何だと思いますか?

岩岡:難しい質問ですね……。例えば、私が大学の試験を受ける場合、私もみんなと同じ試験を受けるためには、パソコンデータで問題をもらいデータで答えることを許可してもらう必要があります。それがみんなと同じ形式で私ができることなので、それが配慮だと思います。でも、「合格扱いにするから、もう岩岡さんはその試験受けなくていいよ」となったらそれは特別扱いです。他の学生と同じように参加できるか、みんなと同じところに立たせてもらえることが重要で。

――大学側も配慮の意味がまだ理解できていないと、特別扱いの対応を取ってしまう可能性はありますよね。

岩岡:そうですね。大学も毎回、授業や試験についての面談をしてくれるのですが、「どうして他の先生に同じように説明してるのに通じないんだろう?」と、思うことはよくあります。それこそ同じ先生の授業を受けていた友人が、私が不当な特別扱いをされていることを、他の先生に相談して心配してくれたこともありました。私が常々、「特別扱いしないでほしい」「私にできることをさせて」と主張していたからこそ、「岩岡さんはしなくていいから」という先生の言葉に対して心配してくれていたようです。一緒に過ごしてきた学生の友人たちが、私がどういう人かということ理解してくれたお陰で助かりました。

油田:まだ大学によっては、合理的配慮を一体どこまでなすべきかがわからないという事例が多そうですね。当事者によってケースバイケースだから答えはないと思いますが、当事者にまず聞くというスタンスが大事だと思います。

岩岡:それこそ今ゼミでは、オンラインで授業をしているのですが、ゼミの先生が「この状態だから岩岡さんが障がい者って感じることは1ミリもない」と言ってくれたことが印象的でした。

油田:よくわかります。Zoomで授業受けていたら、「障がい者感」みたいなものがなくなった感じがあります。私は呼吸器もつけてないので、電動車椅子に座ってても、高級な黒い背もたれの椅子に座ってるんだと思われてるんだろうなって(笑)。

大学は、健常者と障がい者が出会える場

――岩岡さんにとって大学に通うことには、どのような動機があったのでしょうか?

岩岡:私の場合、講演を頼まれて話したときに、「明るいですね」「前向きですね」という感想をもらうことが多いんです。では、前向きであったり、明るくなれない場合はどうすればいいのだろう、と心理学に興味を持ったことが大学進学に繋がりました。

――大学に行ってみていかがですか?

岩岡:介助者と大学に通うなかで、障がいを負う前とは違って、積極的に周りの人に絡んでいくことが最初はなかななできませんでした。例えば、授業でのグループディスカッションでは、健常者の学生と話すことに緊張してしまったんですね。それまでの私が、障がい者や家族ばかりに囲まれて過ごしてきたからかなと思います。そのことに気づいてからは、自分から他の学生にどんどん関わっていかなければと思うようになりました。私のような人がいると知ってもらうきっかけ作りが大事で、それが大学での私の役割だと感じるようになりました。「障がい者は自分とは関係ない」と通り過ぎてしまう人は沢山いるので、障がい者支援の授業で毎年1コマ自分の経験をしゃべらせてもらう機会や、大学の先生が声をかけてくれたシンポジウム等、今までなかった新しい場にはどんどん挑戦していきたいなと思っています。

油田:大学という場を通じて、障がい者とあまり関わりのない「健常」と言われる人たちに、自分のような存在を知ってもらって、巻き込んでいってるんですね。

岩岡:そうですね。例えば、大学2年生の時、人権論の大人数の授業で話したときに、「声が出てびっくりした」という感想をもらったこともあります。私ってただ授業に出ているいるだけではダメで、自分を知ってもらうきっかけが必要なんだなと思いました。もしその先生に依頼されたときに、「やめておきます」と言ったら、私を知ってもらう機会はありませんでした。そういう事をひとつずつチャレンジしたいなと思っています。

――大学は健常者と障がい者が出会えるチャンスの場かもしれないと思いました。障がいについて真正面から語り合える機会を、大学では用意されているからこそ、当事者が次のステップにつながるような機会が持てるところなのかもしれないと思いました。

「つながりの連鎖」が、生きる意味をつくる

岩岡:油田さんは大学で周りに障がい者っていますか?

油田:大学での他の障害のある人とのつながりはあまりないですね。大学外で同じ病気の人や障がいのある人と関わることが多いです。

岩岡:北九大でも障がい者同士のコミュニティはありません。だけど、障がい者支援の授業で感想もらった時に、「自分は発達障がいで」や「アスペルガーで」など、目に見えない病気や障がいを持っている学生がいることにも気づきました。ただ、その人たちの苦労と私の場合はまた違います。どうにか北九大の中でもそういったコミュニティが作れて、なおかつ、それぞれの立場や福祉の専門の先生と意見を交わす場があるといいなと思っています。

油田:大学によっては、障がい者コミュニティが盛んなところもあります。ただ、ないところはないですよね。大学の中で障がいについて語ったり集える場があったら、それは障がいのある学生だけではなくて、生きづらさを抱える多くの拠り所になる可能性がありますね。

岩岡:それこそ今高校生で、障がいがあって北九大に行きたいって言ってくれる子もいます。その子が今北九大に行きたいって言ってくれているから、頑張らなければという想いがあります。やっぱり彼女が合格した時に、大学内でのサポートって今は北九大では本当にないです。友達や支えてくれるボランティアの学生とか、そういうことがあるだけでも「あ、行ける!」って思う人って沢山いるんじゃないかなと思っています。

油田:大学の中にそういうコミュニティがあったら、後から入ってくる人にも重要な情報源にもなるだろうし。そういうのは確かに大事ですよね。今岩岡さんがロールモデルになって、高校生の子の協力者になって。そういうロールモデルが連鎖していくことが、大事なことだなと思いました。

 

第3回は、岩岡さんと介助者との関係性についてお聞きします!

注釈

7.北九州市重度障害者大学等進学支援事業のこと。https://ssl.city.kitakyushu.lg.jp/files/000803866.pdf

 

プロフィール

頚髄損傷・北九州市在住|岩岡美咲(いわおかみさき)

1988年生まれ。高校2年生で体操競技中に受障し第4頸椎脱臼骨折。頭部以下完全四肢麻痺、呼吸筋麻痺により気管切開+人工呼吸器。総合せき損センターにて反射シールを貼った口元を動かし、シールの動きを読み取る機器を使用することでパソコン操作が可能となる。退院後、往診・訪問看護・介助者派遣・訪問リハ・訪問マッサージ・訪問入浴を利用し在宅生活。総合せき損センターの先生から後押しを受けて入院し気切を閉じ、人工呼吸器を口でくわえるNPPVへ変更する。発声可能となり吸引も必要なくなる。呼吸器をくわえながら会話や食事、パソコン操作ができるようになり介助者との外出機会も増えてきている。現在、北九州市立大学に在学中で講演活動もしている。父・母・双子の弟・7歳下の弟・12歳下の弟がおり、両親と同居している。好きなものは、ボディクリーム(を集めること)、チョコレート・ポテチ・焼き鳥、読売ジャイアンツの坂本勇人、Youtube。

文/嶋田拓郎・北地智子

この記事をシェアする