就労ルポ
就労支援特別事業の現状と課題~介助付き就労の重要性と可能性を広げる~
Profile
白杉眞(しらすぎまこと)Makoto Shirasugi
自立生活センタースリーピース代表。脳性麻痺当事者。京都府京丹後市出身。大学時代は香川県で過ごすも、立命館大学大学院に進学後、再び京都に過ごす。2010年から自立生活センタースリーピースの活動を開始。相談支援を通して、障害当事者の自立生活の後押しをしている。
イントロダクション
白杉さんは養護学校に付属の障害児の入所施設で中学までの9年間、集団生活を送っていました。その後、府立の宮津高校の定時制に進学し、香川県の四国学院大学に進学。さらに、立命館大学大学院に進学しました。現在は自立生活センタースリーピースの代表として、重度障害者等就労支援特別事業を利用して相談支援専門員をされています。
私たちは「はたらきたい」と思った重度身体障がい者が、勤務中に介助を受けながらはたらく「介助付き就労」の実現を目指しています。今回のインタビューは、白杉さんの学生時代の経験やCILとの出会い。また、運動が働くにつながったことや現在の就労に関する現状について、お話を伺いました。
目次
大学進学で京都府から香川県へ。友達やボランティアのサポートで学生時代を楽しく過ごす

自己紹介をお願いします。
白杉: 生まれは京都府の、現在京丹後市という日本海側の方です。いわゆる過疎地域で育ちました。養護学校に付属の障害児の入所施設がありまして、そこで中学までの9年間、集団生活を送っていました。そこは京都府の舞鶴市にある養護学校で、当時は小学部・中学部までしかないような場所で、中学を卒業したら大体みんな高等部のある昔の養護学校に進むか、普通の高校に進むかという選択肢でした。
僕は地元に近い高校、府立の宮津高校の定時制に進学しました。送り迎えは両親がやって、そこで4年間を過ごしたことを今でも覚えています。1997年に香川県の四国学院大学に入学しました。当時としては割とバリアフリ―環境ができていて、障がい者の推薦入試がありました。アメリカのアファーマティブアクション(※1)をモデルにした特別な枠を利用して四国学院大学に入りました。
ありがとうございます。ご両親は進学や自立生活に協力的な方だったんですか?
白杉:よくある自立の壁になることはなかったですね。大学進学は高校ぐらいからずっとしたいと思っていて、親も大学に行ってほしいとずっと言っていたので、なんとか行ける方法を探していました。
京都から四国に引っ越しをしてどういった暮らしをしていたんですか?
白杉:当時は1997年で、ご存じの通りに制度がまだない時代でした。大学の中に学生寮があって、男女みんな友達みたいな感じで、いろんなところで捕まえて手伝ってもらいましたね。毎日楽しくやっていました。また、私が寮生活できて親も安心感があったと思います。心配して親が入ってくることはほぼなかったですね。
ボランティアとして介助に関わっている人が周りにたくさんいる状況が、寮生活を後押ししたんですかね。
白杉:私も相談支援としていろんな人に出会うんですけど、周りに恵まれていたんだなと思いますね。
修士ではどんな研究テーマで研究されていたんですか?
白杉:CILをやっていく中で訪問介護事業に時間がとられて、その事業部分がメインになっている現状があり、どうやって運動とのバランスをとっていけばよいか、みたいなことをやりました。
運動と事業体の時間は言われていますよね、
白杉:それが始まってすぐのことで、結構問題になりつつあった頃の話です。今よりももうちょっと事業が激しいころだったと思うんですけどね。
京都に引っ越したのは先端研に入ることが一つの理由だったんですね?
白杉:そうですね。2009年に入学しました。
今話されていたように、CIL含め事業所の研究をもっとしたいと思われたんでしょうか?
白杉:そうです。フリーダム21(※2)に修士論文の頃からの流れっていうのもあります。フリーダムで実際にCILの内部で関わった経験の中で、運動がどこまでできているのかを感じる中で、やっぱり研究してみたいと思いました。立岩真也先生にその頃に知り合ったんですけど、いろんな条件が重なって先端研に入った感じです。
CILに出会うか出会わないかで生活の質が変わってしまう

その頃できて間まもない先端研で研究もされていて、将来的には研究職につきたい思い事業所を作っていきたい思いがあったのか、当初はどうだったのでしょうか?
白杉:その当時は、CILを作って現場で地域移行、自立支援をやっていと思っていましたが、ここ5、6年は話がくれば研究職の方に回りたいと、思うようになってきました。人材を育てる側に回れたらなと思うんです。生活の中で、できない部分に支援が入る考え方があります。IL運動(※3)で考える自立支援が、見守りも含めた支援体制です。何もやることがなければそこは支援が入らないのかって言ったら決してそういうわけではありません。
そもそも何が起こるか分からないし、机のものが落ちるかも分からないし、リモコンひとつの操作にしても時間がかかるし、本を取るのも一苦労だしみたいな、そういう部分に支援は必要ないことは決してないと思います。そう思っている行政の人があまりにも少ないのを現場でものすごく感じました。
本来自立っていうのはそういうことではないんだって伝えていきたいと思うから、やっぱり育てる方に教員で関わっていきたいなと思いますよ。
とても大事なことをおっしゃっていただいたと思います。「身体的にどうしてもできないことだけに介助を利用する」のが、本来の自立生活ではないこと。その人がその人らしく生きて行くために、介助を受けながら暮らすことが自立生活であることだと、改めて思いました。現状だと、介助のあり方にも医療モデルは浸透していて、本当の意味での、社会モデルに根ざした介助のあり方がまだまだ浸透していないのかもしれません。
白杉:同じCILの仲間と話したりするんですけど、京都は大学がものすごく多い街だから、いろんな地域から障害学生が入ってきます。JCIL(※4)やCILに出会えた障害学生は結構学内サポートも使いながら地域の重度訪問介護も、見守りありきで支援計画を作っていくから、融通がきかない状況なので、少しでも学生が生活しやすいような環境を作っていこうとします。
一方でまだCILに出会っていない子達は、お母さんが一緒に大学に連れてきて、学内もずっとお母さんと一緒にいて、お母さんと一緒に帰宅してみたいな人がいます。CILに出会うと出会わないとではすごく生活の質に差があるよねっていう話はよくしますね。
それは本当に白杉さんがされてきた経験、どこかで家族への依存を少しでも減らしながら、他の人に頼るあり方みたいな経験ができないまま大学生活を過ぎていってしまう。それがその後の生活に響いていくんですね。
白杉:そうですね。そもそも自立という言葉を知りません。自立っていえば自分でなんでもする感覚が皆さんおありなので、僕たちがいう自立生活みたいなところまでは、なかなか辿り着かない人が現実的にはいます。
CILや先端研との関わりからスリーピースを立ち上げる

CILの関わりはいつごろからだったんですか。
白杉:修士の院生だった頃です。友達が香川県の高松のCILに介助者で就職したんです。今度その子がお出かけILPやるから、ちょっと参加してみない?と声を掛けてくれました。それに参加したことで、当事者職員、代表、事務局長と知り合いになりました。そこからCILとの関わりが強くなっていきました。それがちょうど上限問題とか、介護保険統合問題とかの時期だったんです。時代背景はそういう時代です。
ピアカン(※5)の講座があるから受けてみないかと誘いがあって、高松CILの介助者を、(介助費)1万円でいいから介助者連れてっていいよと言ってくれました。それで広島のピアカン、長期講座と集中講座を受けました。その時に大阪のCILの人と仲良くなって、国会前行動とか、厚労省前行動とかに一緒に参加していたんです。
僕も出身が京都なので、京都と言わなくても、関西のどっかのセンターで募集していないかと相談しまして、奈良のセンターでピアカウンセラー募集しているのを教えてくれて、その人の紹介で、奈良の自立生活センターに就職したんです。その後奈良で4年くらいやったのかな?
その後、京都に引っ越して立命館大学の先端総合学術研究科に入りました。立岩さんの支援も受けて、今のスリーピースを立ち上げたという経緯があります。
立岩先生との繋がりで、スリーピースを立ち上げるに至ったきっかけとはどういったものだったんでしょうか?
白杉:フリーダム21というセンターにいた頃の終わりの方は、自分でいつかは立ち上げしたいなって気持ちもどこかでありました。奈良にいた頃の後半は、いろんな当事者仲間と話を、結構してました。京都に引っ越して、昔の施設仲間に話したことがきっかけで、ちょっとずつ立ち上げに向かって進んでいきました。
結局その人は、今別のところに移っているんですけど。立ち上げのきっかけは僕の介助に来ていた介助者が割と立ち上げに積極的な人だったんで、いろんな人と知り合っていく中で、立岩さんも協力してくれて立ち上げた感じです。
CILの当事者スタッフとして活動されてきて、そこから当事者事業所という、事業所設立に至っているんですね。
CILは介助付き就労の先駆者?

白杉さんは当初、どういった働き方をされていたのでしょうか?
白杉:奈良では、フリーダム21で、有料介助派遣のコーディネート、施設訪問、相談支援に関わる業務をしていました。あの時は自立支援法が出来るか出来ないかという大きな動きがあった時代なので、行動に参加したり、奈良でもピープルファースト(※6)とか、一緒に計画したり、運動に関わることも一手に任されていたので動いていました。
施設や家族の元にいる当事者の人達を、一緒に地域で活動していかないかと、先頭に立ってされていたことが、今の白杉さんの活動に繋がっているところだと思いました。どうしても介助が必要な、車椅子を引いたりトイレ介助も含めて、そのあたりはどうされていましたか?
白杉:CILの方に健常者の常勤の職員が男女1人ずついて、基本的には当事者メンバーの介助、もちろん介助派遣の職員も事務所に行った時にはヘルプをすることになっていました。一応メインでCIL部門の健常者スタッフがサポートを中心にすることになっていたので、行動に参加したり、あとは事務の総会に全国セミナーがある時は、空いてる職員が一緒に介助として同行するという感じでした。
僕が持ってる重度訪問介護の時間をCILの活動で使うことはなくて、あくまで事業団体の仕事の内容として、役割を担っていたので、常勤職員の介助を経て、参加していました。
支援費制度や障害者自立支援法以前からCILで作ってきたシステムというか、運動を作っていくために、できあがっていった方法なのだろうなと聞いてて思いました。そういう意味では、介助付き就労の先駆者はCILなのかなと思います。
白杉:CIL畑でずっとやってきたので、京都に引っ越して色んな事業所と知り合って、ほかの一般の事業所がね、そういう就労中の介助保障を事業所で自前でおこなう体制がないと話では聞いていました。CILだからこその介助システムと京都に来て初めて実感しました。
ありがとうございます。ところで差し支えなければ白杉さんの今の支給時間数をお伺いしても大丈夫ですか?
白杉:重訪が月に615時間ぐらいで、プラスで就労支援の時間数が120時間マックスで出ているので744時間(1日24時間介助だと月744時間)にだいぶ近い形の時間数は出てます。ちなみに京都に引っ越したばかりの頃は月200時間程度でした。
今は一日20時間から、就労支援含めると22、23時間ですけど、当時は1日6時間?7時間と考えると明らかに足りないように思うんですが、なんとかなってたんですか?
白杉:当時は僕の体の動く範囲もあったんですけど、もともと奈良市の支給決定が結構厳しいところでした。それを引き継いで京都に来たので、とりあえずこの時間数で出しておきますので必要であればまた言ってください、みたいな感じで。ちょっとずつ交渉して伸ばしていきました。
今はどれくらいの事業所を利用されているんですか?
白杉:定期的なところは2事業所。あともう1箇所あるんですけど、ここは不定期で使っているところです。主にスリーピースで、足りないところがもう一つの事業所です。
アルバイトから正職へ。当事者の右腕になる介助者を育てる

スリーピースの活動は普段どう言った立ち位置で仕事をされているんですか?
白杉:普段は相談支援専門員として地域移行に携わっています。
法人運営や介助派遣のコーディネート業務はスタッフに?
白杉:そうですね、法人の代表者は僕がなっています。実際のコーディネートとかは他のスタッフがしてます。
自薦も当事者事業所もまさに1人でやろうとすると破綻すると聞いています。右腕となる人がいないと、健常者のスタッフもそうかもしれませんが、そういう人がいて初めて、白杉さんがでる相談支援や、研究活動含めて専念できると思うんですね。今右腕となるような人は、どういう人なのか、どのように見つけたのか、どのように育てたのかお伺いできますでしょうか?
白杉:見つけてくるのは健常者のスタッフも含め、口伝えが多いですね。あとは重訪の研修であったり、いろんな大学の先生と知り合って、授業でビラをまかせてもらいました。バイトの子はそういうパターンが多ですけど、バイドから正職になる子がたまにいたりしました。求人広告試したりしたんですけど、金がかかる割にはあんまり見つからない。
実際に大学に入り込んで見つけてくるってことですよね。そうやってバイトが正職に育っていって、事業を動かせていける。学生が多い京都ではとても有効な人材育成の方法のように思いました。
利用できる対象者はごく少数、就労支援特別事業の課題

京都では就労支援特別事業が去年の4月から始まったと思います。相談支援専門員として働いているときに就労支援事業を使っているんですか?
白杉:そうですね。もともとは当事者仲間の口伝えの中で、こういう制度ができたらしいよと聞きました。それで市役所に問い合わせして、使いますとなって、2021年の10月ぐらいに申請しました。京都市の担当者にとってもできたばっかりの制度だったので、まだ手探りの状態なんですとおっしゃっていました。一緒に手探りで手続きの段取りなんかを進めていった状況です。
本来なら重訪で修学も就労を認めてくれたら、それに尽きます。それができない中での苦肉の策というような。試行錯誤ではあるにしろ、事業所の負担が結構あります。事務処理が増えることとか。そういう面でこれが本当に広がっていくのか難しいと思いつつ。実際その辺りはいかがでしょうか?
白杉:業務的なところで言えば確かに増えていますね。介護報酬の締め切りが毎月10日までで、就労の場合は地域生活支援事業なので、毎月20日までが締め切りです。実績を全部それように整えないといけないので、手間は確かに増えてはいます。
それ以上のメリットとして、就労中に介助者を派遣できるというのは大きいですか?
白杉:そうですね。毎月大体120時間フル出勤して、就労支援特別事業だけで1人分が大体20万ちょっとです。報酬単価は重訪と一緒です。加算は移動中加算があるくらいで。基本的には在宅での重訪の昼間の時間と同じです。
そういう意味では、事業所が利益取れるよりかは、就労中の単価をまるまる介助者に渡す前提ですよね。制度としての改善点や、これを他の人に紹介したいと考えてらっしゃいますか?
白杉:課題ですが、この就労支援特別事業は、重訪や行動援護、あと同行援護の利用者しか対象ではないんですよ。居宅介護の人たちの場合は対象外なので、だいぶ対象者が限られてることです。区分6でないと申請できない、上限があるとか、その辺は問題点です。京都市の方から、今回の京都市のこの事業の取り組みと、僕の利用の事例を厚労省の方に報告してもいいかという話がきました。
全然してくださいと答えたんですけど、どういう形にしろ、こういうニーズがあるというのは、国に上がっていくのだろうと思います。重訪の就業中も利用できるにつながっていけばいいんだろうなと思いますし。色々問題はあるにしても取り組み自体はいいことです。CILとしても求めてきたことではあるので、それが制度につながっていけばいいなとは思ってます。
当事者の声を届ける必要性、家族も一緒に外の世界へ

介助付き就労ハンドブック(※7)をつくったなかで、区分6まではいかないけどちょっとした介助があれば、もっとバリバリ働けるのに、働くこと、キャリアを諦めずに済んだのにという人がすごく多いです。この介助付き就労ってすごい実は垣根が低くて重度訪問介護、同行援護、あとは視覚障がいの人と限定されているものをもっと使いやすく、より範囲を広く、全時間必要で、全介助が必要な人もそうなんですけども、途中途中であればいいのにという人にとっても使えるものになればもっと大きなインパクトになると思います。
白杉:そうですね。そういう取組をしている人たちがどれくらいいるのかはわからないですけど、でもそんな多くは絶対ないと思うんです。すごく限られたところだけがやるのではなく、ほんまに重訪の枠で、学校の部分も含めて対象になれればすごくいいとは思います。
―このプロジェクトの取組のひとつに、介助付き就労ハンドブックを作ったり、今は全国の特別支援学校でも、肢体不自由の生徒向けに取組を伝える講座(※8)があります。ただ、話を聞いていくなかで、それ以前の自立とはどういうことなのかや、地域で暮らしていくこと、介助者を使うこと、介助を利用することとか、親との適切な距離ということも含めて、そこの前例がないと、その後につながらない、働くことにつながっていかない、学ぶことにつながっていかないこともあるので、そこの部分も含めたワークショップが必要かと思っています。
白杉:本人もそうですし、教職員ももちろんそうですし、そういう意味では親がやっぱり1番壁になるので、親にしっかり、自立の理念とか、実際にそういう自立している人の話を、当事者の話というのはやっぱり1番、威力があります。
地域移行のときにしてもそうですけど自分が実際に訪問して自分の重訪の時間を持って介助者もついて、実際に見せてこういうふうに生活しています。と本人が喋るのはやっぱ向こうの納得の仕方、理解の仕方も全然違うんです。当事者が実際に伝えるっていうのが1番大事です。
本人、教員、親御さん、言えばまあお母さんですよね、を巻き込んで当事者が伝えることがすごく威力があるんではないんかなと思うので、意識してやっていった方が良いのではないかと思います。
天畠:施設から地域に移行するときにはどのような支援をされているんですか。
白杉:外出、お出かけする機会を作るとか、実際の自分の家に来て見てもらうとか。本人はそういう経験がないと、自立生活することができるって事をそもそも知らないので、実際の自分で体験してもらいます。
施設の、1番大事なのはやっぱり親なんですよ、本人がいくらやりたいって言っても周りがそれをねじ伏せるのも定番なので。本人と親、親も一緒に自立支援する勢いで行かないと、多分失敗しますし、僕もそれで失敗しているので。
ものすごく大事ですね、親は、親の子離れもそうだけど、親自身も見通しが持てないと子を離すこともできないですかね。
天畠:キーパーソンを誰にするかが大事ですよね。地域移行においても、そこで、地域でキーパーソンとなる、その対象者の自立生活というか地域で生活する時に伴走的にずっといてくれるような人、それは介助者だったり、支援団体だったり。そういう人がいるかいないって本当に違いますよね。どうゆう人にマッチングするかってところも。
白杉:まあ、相談員なのか、家族の誰がキーパーソン、大体お母さんだったり、ご兄弟だったりする場合が多いんですけど、そういった家族のキーパーソンとかを繋いで引っ張って行く感じにしないと失敗しがちですね。
家族の愛情を蹴ってでも外に出ようっていう時代ではなく、家族も一緒に外に出ようってことでしょうか。
白杉:うんうん。
本日は貴重なお話をありがとうございました!
※1 社会的な要因による差別で不利益を被っている者に対して、実質的な機会均等を実現することを目的として講じる暫定的な措置のこと。
※2 自立生活支援センターフリーダム21は、 特定非営利活動法人、いわゆるNPO法人として運営しており、「地域活動支援センター事業」 と「居宅介護事業」により、障害のある人の自立生活を支援する組織。https://freedom21.jp/index.html
※3 自立生活運動のこと。 障害者が自立的な生活を送るために必要な社会体制や意識の変革を求める社会運動。
※4 日本自立生活センターのこと。障がいのある人が人として当たり前にくらす、地域社会を目指し、自立生活に関する活動をしている。
※5 ピアカウンセラーの略で、同じ環境を共有する仲間(peer)に対して力を発揮する専門家のこと。
※6「自分たちのことは、自分たちで決める」という、『自己決定』からはじまった当事者の権利を求める運動。
※7 本研究プロジェクトで作成した介助付き就労ハンドブックは、下記参照。https://wawon.org/assets/file/202203/webhandbook.pdf
※8 本研究プロジェクトで、特別支援学校へ進路指導ワークショップを行った。詳しくは下記記事参照。
https://wawon.org/work-with-care/proposal/workshop_001/
サポートを受けながら主体的に生活するって、具体的にどんなもの? ~直方特別支援学校進路学習~