介助付き就労学習会レポート

特別な願いではなく、解決すべき社会の課題として、
「介助付き就労」が実現できるために

今回の介助付き就労学習会は、社会に大きな変化をもたらす貴重なスタートとなったと思います。日常的に介助が必要な障害者は、働きたくても就労中は介助を受けられないため、トイレや食事などの生きるために必要なことを犠牲にするか、働くことをあきらめるか、どちらかを選ぶことを問われ続けてきました。そのことを声に出すことさえもできなかった時代から、今は、悔しい思いを経験してきた様々な障害者の声を集め、きちんと視覚化して国会議員の方々などに伝えられる時代へと移ったのだと改めて思いました。

当日の学習会を迎えるまでの間、アンケートやインタビューを通じて、実際に働くことをあきらめた方や生理現象を我慢して働いてきた方から、たくさんの実態を聴くことができました。そこで忘れてはならないと思ったのは、「なんとか働いている最中は、生理現象を我慢することさえも普通になってしまう」ということです。私の場合は「介助してくれる人がいないわけじゃないから、まだ大丈夫。せっかく就職したんだから頑張りたい」という思いで働いていました。しかし、実際は「必要な介助をいつでも受けられるという保障がなければ、生きることそのものに多くの労力を使い、体や心にしわ寄せが来る」のです。体や心が疲れてしまっては、社会に声をあげることもできなくなってしまいます。そういうことがないよう、声を拾っていくことが最も大事だと強く思いました。

学習会では、様々な立場の発言のおかげで、埋もれていた「介助付き就労の必要性」を説得力のある視点で明確にできたのではないかと思います。前半は、「介助付き就労実態調査報告書」により、個々人で抱え込んでいた課題を明らかにした上で、就労中の介助も人権であること(報告:登り口)や、これから働いていく次世代の障害者も不安を抱えるほど「重度障害者が働くことを想定していない社会」であること(報告:小暮さん)を指摘しました。また、企業の社長さんとの対談の中で(報告:岩岡さん)、介助体制が保障されれば、企業側は障害者雇用のハードルを考えなくても良くなり、働く側も水分補給や姿勢の調整などに不安を感じずに同僚とともに働けるのだということがわかりました。

後半は、「重度訪問介護では24時間、介助が保障されているのにもかかわらず、就労する瞬間に介助を利用できなくなる」ということが、いかに矛盾しているのかを問う時間になりました。脳性麻痺で小児科医の熊谷晋一郎先生が「人はだれでも、仕事しながら(生産性を持ちながら)、トイレや食事をする(人間としての欲求を満たす必要性を持っている)ということを同時にしている」のに、介助が必要な障害者だけ「働いている時間は必要性を我慢」している、それを強制させる制度設計は人間の現状に合っていないと指摘しました。また、藤岡弁護士の発言やディスカッションを通して、「補装具の一つである『車いす』は、就労中は降りなさいということにはならない。家でも会社でも使っている。車いすは物理的サポート、介助は人的サポートという違いだけなのに、介助が使えないというのは筋が通っていない」といった観点や、そもそも介助そのものは「経済活動ではなく、その人個人の必要性を満たすためにある」という捉え直しもありました。

私は、学習会に参加したことで、「介助が必要でも働きたい。でも、どうして働けないの?」という思いは、個人的な範疇で我慢することではないと確信できました。そして、社会的で政治的な課題として声を上げていってもいいんだ!と全国の介助が必要な障害者に届けたいと思いました。NPO法人境を超えての理事長・岡部さんもヘルパー事業所の運営にも「重度訪問介護を利用しているからボランティアで携わるしかない」状況があったように、ほとんど稼ぎがないボランティア状態で働いている人も少なくありません。

いつまでも社会全体が「重度障害者は働けない」というイメージを持っているのは、働きたくても就労の場にいることができない制度設計が大きな要因です。「就労中も、生きるために必要な介助が保障され、手段があれば働ける」ということが当たり前になるまで、声を上げ続けていくことが必要です。

社会に物申す!